風月庵だより

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宗教の風光(四)三祖ーよりごのみをしない

2011-09-16 10:30:09 | Weblog

9月16日(金)晴 【宗教の風光(四)三祖僧璨ーよりごのみをしない】

 東の空

本師の著述より

「禅門において三祖僧璨の『信心銘』の冒頭にいう。「至道無難 唯嫌揀択」と。至極の道理、それはそんなに難しいことではない。「よりごのみ」さえしなければそれでよいのだという。揀択とはよりごのみをし、比べあうことである。それは人間の価値判断の世界である。値段表をつける世界である。

善悪、美醜、好悪などの相対的判断の世界であってみれば、よりごのみをしないというわけにはいかない。好ましい方をとり、好ましくない方を捨てるということになり、どれが大事で、どれが大事でないかということも人間の尺度の中では大切なこととなってくる。

よりごのみをしている限り、至極の道理は、杳(はる)かに手のとどかぬことになる。至極の道理などという面倒なもののかかわりを避けようと思うても、それはできない相談である。かの聖アウグスチヌスの『懺悔録』の冒頭にある「汝吾等を汝にむけて造り給えり」という神様への呼びかけの言葉のように、そううふうにつくられてある存在であると思わざるをえない

難しくいえばわれわれの存在は(人間は)真善美を求める志向性を内在しているが故に真を求めて学問的真実を求め、善を求めて道徳的正しさを求め、美を求めて芸術的世界が現成する。

そして聖なるものを求めて宗教の風光の中に遊ぶということになる。そして猫に小判というときに、猫に小判の価値がわからぬということをいうのであり、そういう文化価値は人間だけの問題となる。いやが王でも至極の同ウリというような価値の世界にかかわりをもたねばならぬことになるわけである。

至極の道理というのは、宗教の風光の世界をいうわけである。そういう世界からの提言が、『信心銘』の「よりごのみをするな」ということになる。「よりごのみをするな」という提言の裏打ちになるのは、対象が等価値であるということになる。

(『宗教の風光』21~22頁)

★本師は学生時代、聖アウグスチヌスの研究をなさったそうです。よく聞かされました。特にここに出てくる言葉は。

★また台風15号が西日本で暴れるようです。台風12号でかなりの被害がでましたのに、追い打ちをかけられてしまいます。地盤が緩んでいますので心配です。知り合いのお寺も流木が本堂の前にも駐車場にも一杯になってしまったそうです。写真を見ますと、車に流木がささっていました。

地震も紀伊半島にありました。なんとかこれ以上の被害がでませんように。西の空、早朝。真ん中にぽつんと見えるのはお月様。