風月庵だより

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宗教の風光(五)趙州狗子

2011-09-23 11:23:49 | Weblog

9月23日(金)曇り【宗教の風光(五)趙州狗子】 (なんとなく面白い雲)

台風12号の被害もひどかったですが、またも15号の被害をさらに被った場所もあります。友人のお寺には、まだ電話連絡がつきません。

日本列島は、今年は常にもまして、天災に遭ってしまいました。日本列島のみならず、地球上のあちこちで自然災害の多い年かもしれません。

9月1日に気になる記事がありました。「太陽北極域で異例の磁場反転」という記事です。宇宙航空研究開発機構の太陽観測衛星「ひので」が、太陽の北極域で磁場が反転し始めた様子を観測することができたそうです。

「太陽の北極、南極の磁場は約11年周期で反転することが知られているが、今回は予想時期より2年も早いうえ、南極域では反転が見られないなど異例の様相を呈している。地球の環境変動につながる恐れもあるという。」と、書かれていました。

このような太陽の状態も、地球になんらかの影響があるのでは、心配性の私は気にしていた記事でした。

さて、「宗教の風光」について、また本師の著作から書き抜いてみます。

「趙州和尚に狗に仏性が有るかと問う問僧に、趙州は答える。「有るよ」と。問僧は、仏性はきれいな、尊く、美しいものとの先入観があるために、そういうものが、きたない、狗のようなものの中に有るのかと合点がゆかぬゆえに、さらに問う。「どうして仏性というような尊いものが、きたない狗の中に入ったのですか」と。

趙州それに親切に答える。「為他知而故犯」ー他の知って、故(ことさら)に犯すがためなりと。仏性がよく承知してわざと入っておるのだと。仏性が狗というかたちになっているのである。

哲人西田幾多郎氏の表現を借りると、「無の自覚的限定」ということである。ここで一つの傍註を試みると、大乗戒の十重禁戒をどのように受けとるか。道元様の『教授戒文』に訊くこととする。

たとえば第四不妄語戒に、「法輪本より転じて剰(あま)ることなく欠くることなし、甘露一潤して真を得、実を得るなり」とある。法輪というのは端的にいえば仏性のことであり、天地本源のいのちをいう。

その法輪が自ら展開して森羅万象ができていることを思えば、一木一草それぞれが仏性の、天地法界のいのちであり、それぞれのすがたにおいて過不足はないわけである。

(中略)

命を生きるという提題は、かくして天地のいのち、天地法界の道理をここに生きてあるのである。人間の寸法で手垢をつけない清浄の世界である。

意義有る人生、意義のない人生など分ける尺度のないことに気がつきたいものである。すべて等価値というのが『信心銘』の「唯(ただ)揀択(けんじゃく)を嫌う」ということの意味であった。これは至極の道理である。宗教的風光の世界であり、大肯定の世界である。天地法界の命を生きるというのは大肯定の世界である。絶対開の世界であり、開かれた世界のリズムということができる。」

(『宗教の風光』26頁~28頁)

★今日はお彼岸のお中日です。