12月11日(金)大雨、そして晴れ渡り、夕方は黒雲が再び【介護の果てに】
今日は、近在のご僧侶の本葬がありました。大変、信頼の篤い老師でしたので、多くの僧侶の方がお見送りにいらっしゃいました。私は20数年前にお目にかかったことがありましたが、思いがけず、近くのお寺の住職として入りましたので、この頃はよくご尊顔を拝することがありました。温和なお顔と、少しトーンの高いお声が目にも耳にも残っています。個人情報もあるでしょうから、お名前は書きませんが、僧侶として多くの人々をお導きくださった方でした。僧侶の模範のような方でした。
さて、数日前のテレビで、「介護殺人」という特集がありましたので、他人ごととは思えずに見ていました。介護に疲れてその挙句、心ならずも、手にかけてしまうという痛ましい事件を時々耳にいたします。先日起きた、車で川に入って両親がお亡くなりになった事件も、介護をなさっていた娘さんに同情の念が湧きます。
自殺のことも自死という表現でこの頃は表現されますが、介護殺人と言う表現もいかがなものかと思います。もう少し救われる表現はないものでしょうか。ご自分も死を覚悟してした場合、自分は死ねなかった場合はせめて「介護心中」とでも言ってほしいです。決してそれほど良い意味ではありませんが、「介護マーダー」は?マーダーは英語murderですが。
もっとよい表現をどなたか自死を考えたように、お考え頂きたいものです。
しかし、私もほとんど一人で百歳の母のめんどうを見ていますが、時々は爆発しています。
ところが、母は耳が遠いので、全く爆発は通じないところが、ご愛嬌です。介護をなさっている皆さん、いかがですか。無理しすぎないで、時々は息抜きが必要です。これは冗談ですが、母に「お母さん、いつお亡くなりになっても享年百歳になりましたから、ご安心ください」などと平気で言っております。僧侶だから言える冗談かもしれません。
また、10位何か言われても、5位は聞きますが、それ以上は聞き流すこともいたします。全部聞いていては、こちらの仕事ができなくなります。
また、母の認知状態が去年の12月くらいから始まりましたので、すぐに介護保険を使わせていただくことにしました。それまでほとんど介護保険は使わなくて済んでいましたので、お陰様でしたが、すぐにリハビリの方や看護師さんに来ていただけるようになりまして、認知状態はストップしてくれました。週に三回ですが、それでも私以外の人と話したり、時には、若い男性のリハビリの先生に来ていただけますので、とてもよい刺激になっているようです。
介護なさっている方は、一人で見ようと思ってはいけません。周りの助けをお借りくださいませ。そうして、必ず最期の時は来ますので、安心してお世話をなさってください。夜徘徊されるのは困りますが、危なくないように周りの品に気をつけて、ご自分はなんとしても寝なくてはいけません。
母も夜中に時々転ぶことがあり、その物音で、私もすぐ飛び起きますが、そんなこともありますが、睡眠は大事です。一頃、私も心配事があって眠れないことがありましたが、今は自分の身を大事にしなくてはいけないと思いまして、寝るように心がけています。
介護の果てのマーダーに及ばないように、まーだだよ、と自分に言い聞かせてください。介護が終わりましたら、あなたの自由な時間が必ずやってきます。その時までの辛抱です。母の場合は私よりも元気なくらいですから、なかなかその日を望めそうもありませんが、なんといいましても百歳ですから、もうしばらくの辛抱でしょう。これは内緒の冗談です。
どうぞして、介護で苦しんでいる皆さん、時折は介護を忘れて、雲を眺めたり、星を眺めたり、鼻ではなく花を眺めたり、猫をなでたりなさってみてください。時には、一人でダンスでもなさったり、楽しい歌でも大きな声で歌ってみてはいかがでしょうか。実は、私はダンスも歌も大好きです。自由ダンス、自由メロディーです。なんとしても、介護の果てに、という切ないことになりませんように。
でも、おそらく、私のブログを見てくださるような余裕はない方が多いでしょうね。このブログをお読みくださる方、どうぞ、自殺を自死とかえたように、介護殺人という表現をなんとかしてくださいませんか。