風月庵だより

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トラウマの克服

2016-12-18 21:06:06 | Weblog

12月18日(日)晴れ【トラウマの克服】

「真田丸」最終回を観ました。このドラマだけは観ていました。

しかし、はじめ優勢であった豊臣の軍勢が、徳川方の罠によって形勢が逆転し、結局、史実のように真田信繁(幸村)も壮絶な死を遂げました。

観ていて疲れました。戦いのシーンに疲れただけではなく、やはり「罠」に疲れを覚えます。それだけでも観ていられない状態に自分はなります。

かつて、「罠」にかかって、ある事件の犯人に仕立て上げられたことがトラウマになっているのです。

事件の真犯人は生きていますが、罠にかけた人はすでに亡くなりました。

やはりなかなかトラウマから抜け出せないことを、「罠」が出てくるドラマを観ていて、そのたびに自分の中にそれがあることを自覚します。自分に辛いトラウマのない人は、他のトラウマに対して「なんだ、そんなことなの」と、冷たいかもしれませんが、私は、他人のトラウマに対しても、同情心を持っています。辛いだろうと思っています。

そんなこと、こんなことがあって「人生」なのだと、そう思うようにいたしましょう。そうしてドラマではありますが、幸村や他の武将のように、己の美学のために生き、死んでいきましょう。

「真田丸」は大変に面白いドラマでした。脚本が素晴らしかったと思います。役者さんたちもとても好かったと思います。当分テレビドラマは観ないことにします。充分な気持ちです。ドラマの中の「罠」に疲れるよりも、いまだトラウマを克服しきっていない自分の修行未熟を恥じ入り、「勤心に善法を修習」(『遺経』の教え)いたします。

人間のむき出しの悪意を身に受けた経験をしたことは、僧侶としては得難い経験をしたということにしておきましょう。そのお陰で今がありますし、愛知、長野、群馬、埼玉を行脚しようなどという気も起こすことになりました。ただドラマといえども、罠に苦しむ人にハラハラとしてしまってとても観ていることができないほどになってしまうのです。

私のトラウマなどは、考えてみれば他と比較したならば、たいしたことではないのです。生きていることもできているのですから。

トラウマに苦しむ人たちにも、生きてさえいれば、それだけでも素晴らしいと伝えたいです。