風月庵だより

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常不軽菩薩品

2021-01-22 16:08:17 | Weblog

1月22日(金)晴れ【常不軽菩薩品】

今日は、生前『法華経』を信仰していた方の法事がありました。子どもさんが病気がちだったということで、なんとか子どもの命を守っていただきたい、という思いから信仰に入ったそうです。子どもさんも今や立派に育ち、すでに定年までお仕事も勤め上げました。

働き者のお母さんの余徳もあり、子供さんたちも悠々自適な定年後の生活をなさっています。生前は私のところにも、お嫁さんに連れられて、しばしばお野菜を届けてくださいました。

それで本日のご法事では、特に『法華経』の「常不軽菩薩品第二十」の偈文の部分を和文でおとなえしました。お唱えする前に、常不軽(サダー・パリブータ)菩薩について解説を致しました。おとなえしながら、つくづく有難いという気持ちがあらためておきました。

常不軽菩薩は、会う人誰に対しても、「私はあなたを敬います。軽んじ慢ることはいたしません。なぜならばあなたがたは皆菩薩の道を行じて、あなたがたは完全にさとった仏になるでしょう」と、いうようなことを告げました。そう言われた人たちは、「この無智の比丘にそんなことを言われてなるものか」と罵り、木や石で叩き投げつけさえしました。

それでも常不軽菩薩は逃げ去りながらも、「汝当作仏(汝当に仏と作るべし)」と、声高にこの言葉を投げかけるのでした。

二百万那由他もの長い時を経て、今釈尊は、得大勢(マハー・スターマ・プラープタ)という比丘に向かって、この話を聞かせています。

そして「彼時不軽 則我身是(彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり)」と。その時の不軽こそこの私である、釈尊は明かされるのです。そうして、その時、釈尊に石を持て打ち付け、木をもって叩いたけれども「汝当作仏」仏になる、と不軽菩薩に授記された人々は、今、釈尊の前で法を聞いている比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷であると明かされるのです。

現在、こうして法事を通して、法を共に学んでいる私たちも、いつかは必ず仏に成ることを信じて、日々の務めに励みたいことを願いました。

(宮沢賢治さんの「雨にも負けず」の詩も思い起こされますね。)