風月庵だより

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殺人事件に思う

2022-02-10 21:48:23 | Weblog

2月10日(木)雪【殺人事件に思う】

今日は一日雪が静かに降っていました。予報とは違い、積もるほどの雪ではありませんでしたが、静かな一日でした。昨日は工事やお墓の整理やらで一日忙しくしていましたので、今日は久しぶりに積読の中から、『30人に憑依された女性の記録 死者の告白』(奥野修司著 講談社2021年)を、選んで読みました。

さて、今日はどうしても振り返りたいことがあります。最近母親を殺害されてしまったという方に会いました。まだ犯人は捕まっていない未解決の事件です。(プライバシーを守るために具体的には書くことはいたしません。)

私は以前世田谷一家殺人事件が起きた家の近くに住んでいましたので、毎年12月30日には、この家にお参りに行っていました。ご両親の講演にも参加したことがありました。宮澤さんご一家が遭遇してしまったあまりにむごいご最期を思いますと、お気の毒に思うだけではなく、なんとか犯人を逮捕することはできないかと、切に思っています。お父様はお亡くなりになりましたが、この方のご活躍で殺人事件の時効は撤廃されました。お母様のご存命のうちに、なぜ殺されなくてはならなかったか、なんとかそれだけでも解明されないものかと願う気持ちです。

自分自身が霊界との交渉を閉じたことを残念に思うのは、このような事件や子供の誘拐事件などに関してのことです。霊界とのつながりがあったときの経験ですが、不慮の事故や、不遇な死に方をした人たちの霊は、亡くなってそれで終わりではない、ということです。不慮の事故で亡くなった娘さんは何年経っても、死を受け入れらず、その瞬間の苦しみから逃れられていないということです。その娘さんに死を受け入れられれば、その苦しみから逃れられることを説得したことなどを思い出しました。

ですから、もし殺人事件に遭ってしまった霊は、恐らくまだ浮かばれずに殺される瞬間の苦しみの中にいるだろうと、想像することができます。

この考えを裏付けるためにも、この『死者の告白』を読んでみようと思い、手に取った次第です。東日本大震災で津波にさらわれて、突然死んでしまった多くの霊が、死にきれず助けを求めて高山さんに憑依しますと、高山さんがその霊と同じように非常に苦しみます。それで、宮城県にある通大寺の金田諦應住職に除霊(浄霊)してもらって、死者たちに死を受け入れてもらう話が紹介されています。

このようなことは、自分も経験していますので、実際にあることと、私は信じることができます。ですから、殺人事件に遭遇してしまった死者は、恐らく死を簡単には受け入れられていないであろうと想像することができます。憑依体質の人がいたら、その場の状況を伝えてくれることができるのではないかと思うのです。非業の死を遂げた人たちは、恐らく多くの霊は死に切っていないだろうと、私は考えます。

高山さんも「たとえば自殺するとか、殺されたとか、何らかの理由で亡くなった方たちがとどまる死後の世界があることに気づいたのです」とこの本の中で言っています。私も、自分が導師としてご葬儀をあげさせてもらった人の中で自殺してしまった人の場合は何年も語りかけます。そうしてやっと帰り切ってもらえた、という感覚を得るまで語り続けます。

私が霊界との魂鎮めのようなことを閉じたのは、適切な審神(さにわ)の役の人がいないと、自己分裂を起こしてしまう危険を感じたことも一つの理由です。私の場合は憑依ではありません。遠隔地でのこともわかったり、物質化現象も起こしたり、不思議な事がありましたが、どのような霊が降りてきているか見極めるのは難しいのです。

私は、普通に死ねるということが、どんなに有難いことかと思えるのです。今、寺の住職として、檀家さんたちを、お見送りするお役をつとめさせて頂いていますが、常に真剣です。とにかく普通に命を閉じることができることの有難さ、そして、どなたもご自分の一生、頑張って生きられたことを讃えてお見送りをさせてもらっています。

最近はお母様を殺害されてしまったという方の、話から、今日は、不慮の事故や非業の死を遂げた方について、考えてみました。

皆様、寒いですから、風邪など引いてしまいませぬよう、お気をつけくださいませ。