風月庵だより

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坊主憎けりゃ

2007-08-02 07:54:50 | Weblog
8月2日(木)朝のうち雨あり【坊主憎けりゃ】(昨日の久しぶりの夕焼け)

29日夜、テレビ朝日の選挙速報番組でのこと。すでに民主党の大量当選が確定していた。つまり自民党の大敗である。それに対して、評論家なる田原総一朗氏が「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と自民党の大敗を表現した後で、慌てて隣の古舘伊知郎氏に「これ差別語?」と尋ねた。「いや、差別語ではありません」と言葉を返していた。

観ていた私は、大変不愉快に感じた。なぜなら私は僧侶であるから。年金問題に加えて、久間氏や赤城氏等の失態が、自民党の候補者に与えたマイナスの影響について、田原氏はこのように形容したのであろう。

果たしてこの語は差別語ではないだろうか、翌日差別語に詳しい人に尋ねてみた。これは差別語ではないが、「不快語」という類になるだろう、と教えられた。また物知りのtenjin和尚さん(ブログ『つらつら日暮らし』)に尋ねたら、この言葉は既に鎌倉及び室町時代、浄土真宗の覚如(1270~1351)が使っていたという。

鎌倉・室町の頃は、僧侶は権力者たちの庇護を受け、鼻持ちならない僧侶もいたことであろう。その後も、仏教は貴族や武士等の権力者と結びついてきた。(しかし、手前味噌になるが、曹洞宗の道元禅師は、権力との結びつきを、忌み嫌った方である。)

歴史的にそのような背景はあるが、現在如何であろう。皆さんの周りに、憎いほどのお坊さんはいますか。僧侶というと、一番問題視されるのは、ご葬儀に関することかもしれない。葬儀は高いといって、僧侶を目の敵のように書く記事もあるが、葬儀屋さんの費用が多額なのではなかろうか。また付けなくてもよい院号をほしがって、高いと言っているのではなかろうか。

私の周りには、信頼できる僧侶が多くいるし、真面目なな青年僧侶もたくさんいる。ごく稀に多額の寄付を強要したり、とんでもないことをしでかす僧侶もいるかもしれない。一人を見て、全ての人がそうであるような、十把一絡げ的な安直な見方はさけるべきであろう。

田原氏には、心許せるような僧侶の友人はいないのであろう。(つまり視野が狭いと言うこと)。だから安直に失礼な表現が口から出たのであろう。しかし公共放送でこのような失礼な表現を使用することは、避けていただきたい。古舘氏も即座に「差別語ではありませんが、不快語です」と即答できるような認識を持って欲しい。大変に優秀なキャスターなのだから。

また田原氏は、選挙疲れで、番組に顔を出せない小沢氏に対して「出てこい!」出るべきだろう的な居丈高な態度であったが、評論家はそれほどに偉いものなのか。品格が無さ過ぎるのではなかろうか。テレビも含めマスコミが、社会に幅を利かせすぎるのは危ない現象である。

選挙速報番組を観ていて、少しでも暮らしやすくなるように、政治家に期待しながら(私のような薄給でも、税金があまりに高くなった)、こんなことも気にしていたのである。

美しい日本より、住みやすい日本を!