先日のニュースで、FRBのバーナンキ議長が、国際学会にビデオメッセージを寄せ、「個人が実感できる幸せや豊かさなど、多様な経済指標の研究が必要との考えを表明した」、と報じていた。米国の中央銀行にあたるFRBは雇用を拡大し、物価を安定させることを政策運営の目的としているが、バーナンキ議長はFRBが政策を運営する際の判断材料としている国内総生産(GDP)や個人消費支出(PCE)などの経済統計の問題点とし、「指標が景気回復を示していても、現実には多くの個人や家庭が困難に直面していることがある」と指摘する。その上で、健康や教育、治安、家族や地域社会との良好な関係、雇用の安定などを例示して、国民の幸せを重視するブータンが導入した国民総幸福量(GNH)」にも言及し、「多様な経済指標があれば経済の現状分析や政策決定、将来見通しなどに役立つだろう」と期待感を示したようである。
現状の経済成長はある意味行き着いてしまっているように思える。これから先さらに経済が豊かになり、生活が楽になったとしても、万人が幸せと感じるとは思えないのも確かである。GDPが日本の20分の1のブータン王国の国民の95パーセントが「自分は幸福」と感じているそうであるから、豊かさと幸せとは必ずしも連動するものではないのであろう。これからの時代、経済発展ばかりに目を向けるのではなく、人が幸せと感じる世の中とはいったいどんな社会なのか?、FRBのバーナンキ議長のコメントは経済政策一辺倒の行き詰まりから、そろそろ方向転換していく時期であると示唆しているのであろう。
では人が「幸せを感じる」のはどんなときなのだろう? 自分の人生を振り返ってみても「幸せだなあ~」と感じたことは特に思い当たらない。しいてあげるなら、今が一番こころ穏やかで安定している時期なのだろうと思うぐらいである。考えるに「幸せ」という言葉に敏感なのは、どちらかといえば女性の方であるように思える。映画やドラマで、男性がプロポーズする相手に「貴女を幸せにするから・・・」とか、女性の親に結婚の承諾を得る時、「お嬢さんを幸せにしますから」と誓い、親も娘に対して「幸せになって・・・」と願っている。だから「幸せ」という言葉が何時も女性に付随してくるように思うのである。また本人も、「絶対幸せになってやるんだから・・・」と、幸せが一つの目標のような言い方を聞くが、男性が自分にその言葉を当てはめるのは(加山雄三以外)あまり聞いたことがない。
「幸せ」を辞書で引くと、「運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運」としか書いていなくて、具体的な表記はないようである。ある機関の調査で「幸せ感を構成する条件」を調査したとき、健康・・・70%、家計・・・65%、家族・・・65%、という結果が出たようである。家族全員が健康で和気藹々とし、なに不自由なく暮らせること、それが絵に描いた幸せのようにも思えるが、それも少し違うように感じる。何を「幸せ」と感じるかは100人いれば100人違うのだろうし、同じ人でもそのときの状況や心の持ち方で違うようにも思える。そして「幸せ」とは待っていれば降ってくるものではなく、また人から与えられるものでもなく、自らが努力して得るもののように思うのである。
先日妊娠6ヶ月の女性と話す機会があった。彼女は30代前半、華奢な体つきで低血圧症、また導眠剤を使わないと、まともな睡眠も取れないぐらいの不眠症で、なにかと体調不良な状態が多かったようにも見えた。だからなのか自分には子供は作れないし、あまり欲しいとも思っていなかったようである。しかし夫や親との会話の中に暗にその期待が伝わってくると、「まあやるだけやってみようか」と思い直し、不妊治療にチャレンジしてみることにしたそうである。そして1年以上に及ぶ辛く苦しい治療を経て、今年の春に目出度く妊娠したのである。それからも何度か危機もあったが、今は6ヶ月の安定期に入っている。彼女が言うには、妊娠したことで自分の体質が変わったのか、風邪も引かないし、食欲もあり、適度な疲れからか導眠剤を使わなくても寝られるようになったと言う。自分の中に迷いがなくなり、今が30年の人生の中で一番充実しているように思えると言う。彼女にとっては妊娠出産という、当面の大きな目標が現実のものになり、日々お腹の中で成長していく命を実感することで、自分の使命感のようなものが出来上がったのだろう。
以前読んだ心理学の本に「幸せ感」について書いてあったことを思い出す。人が「幸せ」と感じる時は、自分が良い方に変化していると感じる時、その変化がフラットになった時は「幸せ感」は消失し、反対に自分が悪い方に変化していると感じる時はストレスを感じると書いてあった。この説からすれば彼女は自分の希望が叶い、良い方に変化している自分を日々感じることが出来るわけだから、今が一番「幸せ」な時期なのかもしれないと思うのである。
ある調査によると日本人の幸福度は6.5点(10点満点)、幸福度の判断基準は「自分の理想との比較」(35.7%)が最多で、「他人や世間との比較」(24.1%)と続くそうである。この調査では男性は40代が幸福度が最も低く、歳を重ねるごとに上昇して行って80代が最高になるそうである。それに対して女性は60代をピークに幸福度は下降していくらしい。自分が関わる子育てで、成長を見守ってきた子供が巣立っていったとき、自分の置かれた環境に変化が感じられなくなるから幸福度は落ちるのであろうか。それに対して男性は仕事で家族の生活を支えるという責任やストレスを抱え、精神的に最も大変な時期が40代なのであろう。しかし退職後はそのことから開放され、自分のために使える時間が多くなる。趣味とか健康とか、自己の向上を目指すことで自分の変化を楽しんでいける。そんなことから幸福感は増していくように思うのである。
こういうことから考えると、「幸せ」を感じたければ、自らを変化(向上)させて行けばいいのではないだろうかと考えてしまう。何かに打ち込み、日々の自分の成長を感じ取ることが出来れば、充実感というか「幸せ感」を得られるようになるのかもしれない。したがって「幸せな社会」とは経済的に豊かで便利で保護することではなく、経済的には豊かでなくても個人個人が自分の意思を発現し、活き活きと暮らせることに価値を置く社会であるように思うのである。
現状の経済成長はある意味行き着いてしまっているように思える。これから先さらに経済が豊かになり、生活が楽になったとしても、万人が幸せと感じるとは思えないのも確かである。GDPが日本の20分の1のブータン王国の国民の95パーセントが「自分は幸福」と感じているそうであるから、豊かさと幸せとは必ずしも連動するものではないのであろう。これからの時代、経済発展ばかりに目を向けるのではなく、人が幸せと感じる世の中とはいったいどんな社会なのか?、FRBのバーナンキ議長のコメントは経済政策一辺倒の行き詰まりから、そろそろ方向転換していく時期であると示唆しているのであろう。
では人が「幸せを感じる」のはどんなときなのだろう? 自分の人生を振り返ってみても「幸せだなあ~」と感じたことは特に思い当たらない。しいてあげるなら、今が一番こころ穏やかで安定している時期なのだろうと思うぐらいである。考えるに「幸せ」という言葉に敏感なのは、どちらかといえば女性の方であるように思える。映画やドラマで、男性がプロポーズする相手に「貴女を幸せにするから・・・」とか、女性の親に結婚の承諾を得る時、「お嬢さんを幸せにしますから」と誓い、親も娘に対して「幸せになって・・・」と願っている。だから「幸せ」という言葉が何時も女性に付随してくるように思うのである。また本人も、「絶対幸せになってやるんだから・・・」と、幸せが一つの目標のような言い方を聞くが、男性が自分にその言葉を当てはめるのは(加山雄三以外)あまり聞いたことがない。
「幸せ」を辞書で引くと、「運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運」としか書いていなくて、具体的な表記はないようである。ある機関の調査で「幸せ感を構成する条件」を調査したとき、健康・・・70%、家計・・・65%、家族・・・65%、という結果が出たようである。家族全員が健康で和気藹々とし、なに不自由なく暮らせること、それが絵に描いた幸せのようにも思えるが、それも少し違うように感じる。何を「幸せ」と感じるかは100人いれば100人違うのだろうし、同じ人でもそのときの状況や心の持ち方で違うようにも思える。そして「幸せ」とは待っていれば降ってくるものではなく、また人から与えられるものでもなく、自らが努力して得るもののように思うのである。
先日妊娠6ヶ月の女性と話す機会があった。彼女は30代前半、華奢な体つきで低血圧症、また導眠剤を使わないと、まともな睡眠も取れないぐらいの不眠症で、なにかと体調不良な状態が多かったようにも見えた。だからなのか自分には子供は作れないし、あまり欲しいとも思っていなかったようである。しかし夫や親との会話の中に暗にその期待が伝わってくると、「まあやるだけやってみようか」と思い直し、不妊治療にチャレンジしてみることにしたそうである。そして1年以上に及ぶ辛く苦しい治療を経て、今年の春に目出度く妊娠したのである。それからも何度か危機もあったが、今は6ヶ月の安定期に入っている。彼女が言うには、妊娠したことで自分の体質が変わったのか、風邪も引かないし、食欲もあり、適度な疲れからか導眠剤を使わなくても寝られるようになったと言う。自分の中に迷いがなくなり、今が30年の人生の中で一番充実しているように思えると言う。彼女にとっては妊娠出産という、当面の大きな目標が現実のものになり、日々お腹の中で成長していく命を実感することで、自分の使命感のようなものが出来上がったのだろう。
以前読んだ心理学の本に「幸せ感」について書いてあったことを思い出す。人が「幸せ」と感じる時は、自分が良い方に変化していると感じる時、その変化がフラットになった時は「幸せ感」は消失し、反対に自分が悪い方に変化していると感じる時はストレスを感じると書いてあった。この説からすれば彼女は自分の希望が叶い、良い方に変化している自分を日々感じることが出来るわけだから、今が一番「幸せ」な時期なのかもしれないと思うのである。
ある調査によると日本人の幸福度は6.5点(10点満点)、幸福度の判断基準は「自分の理想との比較」(35.7%)が最多で、「他人や世間との比較」(24.1%)と続くそうである。この調査では男性は40代が幸福度が最も低く、歳を重ねるごとに上昇して行って80代が最高になるそうである。それに対して女性は60代をピークに幸福度は下降していくらしい。自分が関わる子育てで、成長を見守ってきた子供が巣立っていったとき、自分の置かれた環境に変化が感じられなくなるから幸福度は落ちるのであろうか。それに対して男性は仕事で家族の生活を支えるという責任やストレスを抱え、精神的に最も大変な時期が40代なのであろう。しかし退職後はそのことから開放され、自分のために使える時間が多くなる。趣味とか健康とか、自己の向上を目指すことで自分の変化を楽しんでいける。そんなことから幸福感は増していくように思うのである。
こういうことから考えると、「幸せ」を感じたければ、自らを変化(向上)させて行けばいいのではないだろうかと考えてしまう。何かに打ち込み、日々の自分の成長を感じ取ることが出来れば、充実感というか「幸せ感」を得られるようになるのかもしれない。したがって「幸せな社会」とは経済的に豊かで便利で保護することではなく、経済的には豊かでなくても個人個人が自分の意思を発現し、活き活きと暮らせることに価値を置く社会であるように思うのである。