先日の新聞に、ユニクロが夏からほぼ全ての商品を5%値上げすると言う記事があった。また無印良品も高価格商品を増やして平均販売単価を前年比8%引き上げるという方針だという。昨年末からの円安で小麦粉やパン、チーズやハムなどが値上がっている。原油価格が上がり、フィルム関係の包装資材等が値上がりをした。ガソリン価格が上がって物流費が上がる。円安で軒並み輸入原材料が上っているから、値上がりの機運が高まっている。4月から消費税が5%から8%に変わった事で、今まで押さえられていた商品の価格はジワジワと値上がり始めている。
昔を振り返って見ると、45年前の私の初任給は3万円台だっと記憶している。それが毎年のベースアップと昇給で数年すると10万円を超し、結婚する頃には20万円台になっていたのではないだろうか。月給も毎年万単位で上がっていた時期もあったように思う。そんな状況にあると、次ぎはああしよう次ぎはこうしようと期待が膨らみ、働き甲斐もあったように思う。そして、値上がりが激しいから借金してでも家を買っておいた方が良いだろう、という気になってくる。仕事の方は商品の仕入れを担当していたから、毎年のように値上げが行われ、価格交渉が日常茶飯事のことになっていた。しかもその値上げの大きな要因は人件費の高騰にあったように思う。毎年の賃上でメーカーも商品価格に転嫁せざるを得ないのが実情だったのだろう。しかし物価が上がっても、給料も上がっているから消費は衰えない。また製品が上がっても、品質面で優位だから海外競争力もあったようである。そんな好循環で世の中は活況を呈し、高度経済成長をひた走っていた。しかしその右肩上がりの経済はバブルの崩壊でピタリと止まってしまったのである。
「失われた20年」、1991年2月から約20年以上にわたり低迷した期間である。その間給料は定期昇給はあってもベースアップはなく、生活にも余裕がなくなり無駄使いはしなくなる。そんな需要の低迷から小売業は安売り競争になり、デフレ状態になっていった。上がると見込んでいた給料が上がらず、住宅ローンの返済が大きな負担になってくる。しかも不動産価格の下落で、売っても借金の額には足りず、身動きできなくなった仲間を何人も知っている。それでも50代以降の人達は夢を見ただけでも良しとすべきなのかもしれない。それに比べて今の20代30代の若者は低迷期の真っ只中で就活をし、仕事をしても思うように給料はあがらず、閉塞感が漂う状況の中の生活を強いられているのである。
安倍政権が打ち出した「アベノミクス」(安倍とエコノミクスを会わせた造語)、この停滞して動かなくなった経済の歯車を何とか動かそうと打った手である。金融緩和で市場にお金を出し、経済活動にカンフル注射を打った。結果円安になり、輸出はしやすくなったが輸入品は上がる。株価は上がったて一部の投資家は儲かったが庶民に恩恵はない。大手はベースアップがあり給料は上がったが、中小はまだその状況にはない。20年間止まっていた歯車、全てが一斉に動くはずもないのだが、それでも歯車は軋(きし)みながらでも少しずつ動き始めたような気もする。
バブル期、日本人の観光客がヨーロッパのブランドショップで、商品を買いあさっていると批判されていたことがある。今は中国人の観光客が世界中で同じように買いあさっている。中国も経済発展が遅れた分だけ、今は急速な経済発展の恩恵であろう。しかしやがて日本のバブルの崩壊と同じようなことになるのではないかと言われている。世界はグローバルな経済環境になってきたが、しかし全ての国が一斉に良くなるとは思えない、どこかが良くなればどこかが悪い、入れ替わり立ち代わりが今からの世の中なのであろう。「失われた20年」、そろそろ日本も閉塞感から脱しないと息が詰まってしまう。昔のようなバブルは問題も多いが、やはり緩やかな右肩上がりが望ましい。物価が上がれば我々年金生活者は苦しくなってくる。しかし今の若い人達に夢を持ってもらうには、それも不可避なのだろうと思うことにした。強引で傲慢だと色々と批判も多い安倍政権だが、いまだに人気が衰えないのは、国民の閉塞感からの脱却の期待が大きいからなのであろう。
昔を振り返って見ると、45年前の私の初任給は3万円台だっと記憶している。それが毎年のベースアップと昇給で数年すると10万円を超し、結婚する頃には20万円台になっていたのではないだろうか。月給も毎年万単位で上がっていた時期もあったように思う。そんな状況にあると、次ぎはああしよう次ぎはこうしようと期待が膨らみ、働き甲斐もあったように思う。そして、値上がりが激しいから借金してでも家を買っておいた方が良いだろう、という気になってくる。仕事の方は商品の仕入れを担当していたから、毎年のように値上げが行われ、価格交渉が日常茶飯事のことになっていた。しかもその値上げの大きな要因は人件費の高騰にあったように思う。毎年の賃上でメーカーも商品価格に転嫁せざるを得ないのが実情だったのだろう。しかし物価が上がっても、給料も上がっているから消費は衰えない。また製品が上がっても、品質面で優位だから海外競争力もあったようである。そんな好循環で世の中は活況を呈し、高度経済成長をひた走っていた。しかしその右肩上がりの経済はバブルの崩壊でピタリと止まってしまったのである。
「失われた20年」、1991年2月から約20年以上にわたり低迷した期間である。その間給料は定期昇給はあってもベースアップはなく、生活にも余裕がなくなり無駄使いはしなくなる。そんな需要の低迷から小売業は安売り競争になり、デフレ状態になっていった。上がると見込んでいた給料が上がらず、住宅ローンの返済が大きな負担になってくる。しかも不動産価格の下落で、売っても借金の額には足りず、身動きできなくなった仲間を何人も知っている。それでも50代以降の人達は夢を見ただけでも良しとすべきなのかもしれない。それに比べて今の20代30代の若者は低迷期の真っ只中で就活をし、仕事をしても思うように給料はあがらず、閉塞感が漂う状況の中の生活を強いられているのである。
安倍政権が打ち出した「アベノミクス」(安倍とエコノミクスを会わせた造語)、この停滞して動かなくなった経済の歯車を何とか動かそうと打った手である。金融緩和で市場にお金を出し、経済活動にカンフル注射を打った。結果円安になり、輸出はしやすくなったが輸入品は上がる。株価は上がったて一部の投資家は儲かったが庶民に恩恵はない。大手はベースアップがあり給料は上がったが、中小はまだその状況にはない。20年間止まっていた歯車、全てが一斉に動くはずもないのだが、それでも歯車は軋(きし)みながらでも少しずつ動き始めたような気もする。
バブル期、日本人の観光客がヨーロッパのブランドショップで、商品を買いあさっていると批判されていたことがある。今は中国人の観光客が世界中で同じように買いあさっている。中国も経済発展が遅れた分だけ、今は急速な経済発展の恩恵であろう。しかしやがて日本のバブルの崩壊と同じようなことになるのではないかと言われている。世界はグローバルな経済環境になってきたが、しかし全ての国が一斉に良くなるとは思えない、どこかが良くなればどこかが悪い、入れ替わり立ち代わりが今からの世の中なのであろう。「失われた20年」、そろそろ日本も閉塞感から脱しないと息が詰まってしまう。昔のようなバブルは問題も多いが、やはり緩やかな右肩上がりが望ましい。物価が上がれば我々年金生活者は苦しくなってくる。しかし今の若い人達に夢を持ってもらうには、それも不可避なのだろうと思うことにした。強引で傲慢だと色々と批判も多い安倍政権だが、いまだに人気が衰えないのは、国民の閉塞感からの脱却の期待が大きいからなのであろう。