先週の雪が降った日、シャーベット状になった雪の中を駅に向かって歩いていると、通勤客の中を通り抜けようとした自転車が我々の方に倒れ掛かってきた。左手に傘をさし右での片手運転である。幸い周りの人には被害はなかったが、本人は雪の中に転倒してしまいズボンやコートが泥だらけになってしまった。50代後半だと思われるその運転者は周りの人に頭を下げて詫びていた。
先月の終わり、通勤の帰りに駅の傍の人道だけの狭い踏み切りを渡っていたら、私を追い抜いていった自転車が、踏み切りからハズレ線路の中に倒れ込んでしまった。私は駆け寄り「大丈夫ですか?」と声をかけ自転車を踏み切りの上に戻してあげた。しかしその60代と思われる男性は「大丈夫、大丈夫」と言いながら、立ち上がって踏み切りの上で自転車に乗ろうとしてまた転びそうになった。その動作から見て明らかに酔っ払っていた。
本来なら傘さし運転は5万円以下の罰金、飲酒運転は5年以下の懲役又は100万円以下の罰金である。自動車だとルールを守る人達も自転車だと平気でルールを無視してしまう。無灯火や信号無視はあたり前、交差点を斜めに横切ったり、歩道をベルを鳴らしながら人を蹴散らして行ったりと、自転車の傍若無人さは以前から目に余るものがあった。それはルールを無視しても、自分たちは大目に見てもらえているという甘えが根底にあるからであろう。
先日ラジオを聴いていたら、今年の6月から交通ルール無視の自転車運転手に交通違反切符が切られ、3年間に2度以上摘発されると、3時間の講習が義務づけられる(講習費5700円は自腹)。その講習を受けなかった場合は5万円の罰金になるようである。自転車事故が多発している中、やっと警察も重い腰を上げたようである。これから警察も本腰を入れて摘発していかない限り、自転車のルール無視は直らないように思うのである。
我が家では女房専用の自転車が一台あるだけで、私は自転車は持っていない。以前は通勤に駅まで自転車に乗っていたのだが、「わずかな時間の短縮のために、折角の歩く機会を失うことになる」、そう思って自転車をやめてしまった。元々私は自転車に乗るという習慣がなかった。それは生まれ育った下関は坂が多く、自転車が便利な乗り物ではなかったからであろう。以前沖縄に行った時、街にほとんど自転車を見かけなかった。それは暑さで自転車を漕ぐ環境ではないからかもしれない。自転車の保有率を見ると、保有率の少ない県は沖縄(24.4%)、長崎(28.6%)、鹿児島(31.3%)で、保有率の高い県は埼玉(73.9%)、大阪(72.5%)、東京都(70.0%)と言うことである。このことから自転車は生活環境に大きく左右される乗り物なのである。
私が住む埼玉県は確かに自転車は多いという実感がある。駅の周りもスーパーの周りも自転車が取り囲んでいる。主な乗り手は主婦と中高校生であろう。歩くより所要時間は半分以下で済み、荷物も自転車があれば楽に運べる。だから郊外の住宅地では自転車は必須の乗り物なのである。しかし便利だからということから、自転車に乗る人の多くは自転車の依存傾向があるように思っている。上の例のように雨が降っても酒を飲んでも自転車を使ってしまう。時と場合で歩くという選択肢を持ち合わせていないように感じるのである。
女房を見ていると歳を取るに従って歩くとことが極端に少なくなったように思う。買い物はもとより、駅までは雨が降っていても自転車を使う。団地内の集会所のわずかな距離(200m)も自転車に乗って出かける。だんだん自転車が歩行器の役割になっているようである。「健康のために駅までぐらいは歩いたら・・」と言うと、「膝が痛くなるから」という。
私は比較的に健脚だと思っているが、自転車に乗ると足の筋肉が痛くなることがある。このことから自転車を漕ぐ筋肉と、歩行で使う筋肉は違うように思える。自転車ばかりに乗っていると、歩行に使う筋肉は衰えてきて、足の筋肉バランスが崩れてしまい、膝に影響を与えるのではないだろうか。体重が増え脚力が衰えてくると、益々自転車に依存するようになる。人は歩くことが基本運動だから、歩くことが億劫になるのと比例して、健康も失っていくように思っている。