平櫛田中彫刻美術館
日曜日36度を越す気温でも、やはり家の中にジッとしているのは面白くない。近場でどこか行く所はないかと西武線の散歩の雑誌を見ていると、小平市に「平櫛田中彫刻美術館」というのがあった。小平は何度も歩いたがこの美術館は行ったことが無い。そう思うと早速バックを持って家を出る。このあたりの腰の軽さは自分でも自慢できるところである。西武の支線を乗り継いで一橋学園駅から歩いて10分、一橋大学小平キャンパスと玉川上水のそばの住宅地の中にその美術館はあった。ここは平櫛田中(ひらぐし、でんちゅう)が晩年暮らした邸宅に併設して作られた美術館である。館内は私と親子連れだけ、自分のペースでゆっくりゆっくりと見て回る。平櫛田中の彫刻は40点ぐらいあるだろうか、どの作品もリアルで、作者の気迫がほとばしる感じがして、作品の確かさのようなものを感じる。
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鏡獅子
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法堂ニ笑
美術館を出て玉川上水の遊歩道を歩いていると、小平に住んでいるK.Hさんが頭に浮かんだ。「たぶん暇しているだろうから、呼び出してみよう」、そう思って携帯に電話してみる。彼は電話に出るなり、「暑いねぇ~、俺まだ生きているよ」と言う。「今、平櫛田中美術館まで来たんだけど、会えますか?」と私、「家に来る?」、「いや家はお邪魔だから、近くでお茶でもしませんか?」、「ではそうしよう。そこから玉川上水を三鷹の方に歩くと20分で喜平橋がある。そこで待ちあわせよう」ということになった。
会うのは1年ぶりだろうか?久しぶりにあって感じたのは「痩せたなぁ」と言う印象である。彼は私と同じ干支の一回り上で83歳である。バブル期までは従業員を何人か使って会社を経営していた。しかしバブルが弾けてからは坂を転がるように業績は落ち、一時は娘のボーナスまで借りて資金繰りをしたそうである。しかし1997年に会社は倒産、抵当に入っていた自宅も競売に掛けられ、彼自身も個人破産の手続きをして無一文になってしまった。その後紆余曲折を経て70過ぎまで働き、今は息子の家に夫婦で居候している。そんな事情があるからか家族との折り合いも悪く、会えばいつも女房や息子の愚痴を言っている。
人間観察が趣味の私は、そんな彼の波乱万丈の人生に興味を持ち、又私より一回り上ということから、年齢と共に健康や内面の変化など聞いて、私のバロメーターとしている。今回は70代から80代になって、体調や精神状態に何か変化があるのか?、そんなことを聞いて見ることにした。以下彼の答えである。
80代になると急に自分の健康に自信がもてなくなる。自分の記憶力、運動能力、意欲など70代に比べて1ランクも2ランクも落ちたように思う。例えば朝の散歩、今まで1時間で歩けた距離が1時間半かかるようになった。歩き方も老人歩きになって、散歩の常連にもどんどん追い抜かれ、そのことを実感するようになる。
80になると小学校以来の友人など、昔から親しかった相手といさかいが多くなる。原因は相手の話を聞いてやるということが難しくなり、反対に自分の話を聞かせようとする。「お前の話はいいから、俺の話を聞け!」、そんなことから、「あんな奴不愉快だ!」ということになて絶縁状態になってしまう。要は歳をとってきて、我がままになってきたのだろう。
TVドラマなど好き嫌いがはっきりしてくる。先が読めないドラマ、ぐちゃぐちゃと小難しいストーリー、社会派のドラマ、残酷なシーンやオドロオドロしい場面は直ぐにスイッチを切ってしまう。歳をとってくるともう自分の気持ちを揺り動かされるのが嫌になってくる。だから今は「男はつらいよ」などの映画を録画したのを繰り返し見ている。もう48話を3回も4回も見ているから、その台詞まで覚えているぐらいである。なぜ好きなのかと言うと、主人公の寅さんはフーテン(瘋癲)だが優しく誠実に生きている。そして人並みに女性を好きになり、不器用さが災いしていつも不首尾に終わってしまう。そんなキャラの寅さんをみてほっと安心するだろう。それは自分と比較しある部分シンクロするものがあるのかもしれない。
最近お酒を飲まなくなった。あれほど飲んでいたのに、・・・お酒を美味いと思わなくなったからである。食欲もなくなってきた。女房が心配して食べろ!というが、欲しくないのは仕方ないだろうといつも喧嘩になる。去年トイレで血を吐いたことがる。医者嫌いだから病院へは行っていない。医者に行けば即入院だろう。入院すれば悪い所を見つけ出され、体をさんざん痛められて終わりである。もうこの歳になれば入院生活など真っ平である。最後の最後まで自分の意思で動いていたいと思っている。 彼はそんな話をしてくれた。
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平櫛田中は103歳まで生きたそうである。しかも100歳を超えても、あと30年かかっても使いきれないほどの彫刻の材木を所有していた。これはいつでも制作に取り掛かれるようにと、買い貯めていたそうである。平櫛田中と83歳の彼とは20年の開きがある。20年とは結構な時間差である。潜在的な生命力の違いもあるのだろうが、結局この違いは生きることへの執着の差も大きいように思うのである。以前このブログにも書いた「103歳になってわかったこと」という本の著者篠田桃紅も、「なにかに夢中になるものがないと、人は生きていて頼りない。なにかに夢中になっているときは、ほかのことを忘れらるし、生きていて救われる」と語っている。結局何かに夢中になれる人生が、その人の寿命を最大限に使い切るポイントなのであろう。