11月17日(木)
「芸術の秋」という事で、先日上野の森に在る美術館へ出掛けた。このチケットは勿論新聞販売店からタダで貰ったもの、正確には新聞販売店が発刊するミニコミ紙のクイズに応募して、その景品として貰ったものだ。
あまりにも希望通りに貰えるから販売店の人に尋ねると、「映画館の鑑賞券や地元野菜の引換券等は希望者が多いけれど、美術展のチケットは人気が無いんですよ。」との事だった。我が街の住民は何とも即物的で、私のように知性・教養を深めようと意欲がないのか実に嘆かわしい。
今回は2箇所の美術館を巡る。最初は「クラーナハ展」が開催されている国立西洋美術館を訪れた。クラーナハは15~16世紀頃ドイツの宮廷画家として名声を博した画家で、絵画の大量生産で実業家としてもヤリ手であったそうだ。
国立西洋美術館
彼は肖像画や木版画等多くの作品をの描いているが、際立っているのは女性の裸像を描いた作品で、写実的な絵が数多く展示されていた。これらのモデルは神話の登場人物なんだろうけど、妙に官能的で色っぽい。江戸時代の春画や現代におけるエロ写真的性格も帯びていたのではと推測した。
次に東京都美術館で開催されていた「ゴッホとゴーギャン展」を訪れた。高名な画家達の美術展とあって、入場者も多く館内は混み合っていた。印象派と言うんであろうか、近現代の作品なので何となく親しみやすく、ゴッホの「自画像」やゴーギャンの「タヒチの女」等以前何処かで見たような気がする。本音を言えばこれら絵を前にしても私の感性に何の響きも無く、「猫に小判」「豚に真珠」の言葉が頭をよぎる。
東京都美術館
ゴッホ、ゴーギャンの経歴を探ると、彼らの作品が高い評価を受けるのは共に死後の事、両者ともあまり幸せな人生ではなかったようだ。社会の片隅で泡沫のように過ごす私が言うのもおこがましいが、不憫な人達である。
二つの美術館巡りを終えて館外へ出ると、色づく木々の向こうに陽は陰ろうとしていた。「フー、ノロノロ歩きで足が重い。ゲージュツ鑑賞とは疲れるもんじゃのう。」