Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№68、越後駒ヶ岳(百名山)、№69、中ノ岳(2百名山)

2019年09月05日 | 三百名山回顧

昭和54年11月4日(日)~5日(月)

 ご好評を頂いている「日本三百名山回顧」、最近載ってないけどどうしたの?何て心配の声が多数寄せられ・・・る事は全く無いけれど、ネタも尽きかけたので久々に回顧してみたいと思います。

 今回は越後三山の越後駒ヶ岳&中ノ岳について振り返ります。最初に両山を登ったのは遠い昭和の話です。あの頃はマイカーを持ってる人などそんなにおらず、若者は殆ど夜行列車に乗って登山へ向かっていました。 

 この時も上野駅から夜行列車に乗り、上越線の小出駅から朝一番のバスに乗って越後駒ヶ岳登山口の枝折峠に着いた。峠からは雄大な越後駒ヶ岳が望む事ができた。

 枝折峠から越後駒ヶ岳

 この日は峠からたおやかな尾根を登って越後駒ヶ岳(2003m)に登り、その後アップダウンの多い細尾根を伝って中ノ岳(2085m)へ達し、山頂の避難小屋で一夜を明かした。

 越後駒ヶ岳山頂(背後の山は八海山)

 中ノ岳へ向かう道から越後駒ヶ岳

 中ノ岳から月夜に浮かぶ荒沢岳(左の山)

 翌日は中ノ岳から鞍部のオカメノゾキまで標高差700mの激降りで、八海山へ再び500m登り返すという厳しい道程だった。重い幕営装備を背負っていたので、八海山の最高峰、入道岳へ着いた時は疲れ果てていた。

 中ノ岳からの降りからオカメノゾキ(鞍部)越しに八海山、入道岳(右の山)

 八海山への登りから中ノ岳方面(鞍部はオカメノゾキ)

 八海山、入道岳から大日岳方面

 八海山から巻機山方面?

 八海山、大日岳山頂

 この時代、八海山ロープウェーはまだ開通しておらず、大日岳から新海道を降って山麓の山口集落へ降った。この下山道も長く辛かったが、終わってみれば充実感のある山行だった。

 

 

平成2年7月7日(土)~8日(日)

 次に登ったのは平成2年、妻と二人での山行だった。三国川の十字峡から登ったが、この頃三国川ダムはまだ工事中だったような気がする。三国川沿いの車道をしばらく進み、ジャコノ峰を経由する尾根を登って午前10時過ぎには丹後山へ着いた。時間は早かったが、笹原に建つ山頂避難小屋があまりに快適そうだったから、この日は此処で一夜を明かす事にした。

 丹後山への登り

 登って来た尾根道

 丹後山山頂

 山頂直下に建つ避難小屋

 翌日は丹後山から利根川源流の大水上山や兎岳を縦走し、長い急登を経て中ノ岳に達した。中ノ岳から越後駒ヶ岳に掛けてはアップダウンの多い厳しい尾根道で、駒ヶ岳山頂で撮った写真の妻は不機嫌そうな顔をしている。

 丹後山から中ノ岳

 丹後山から巻機山方面

 大水上山の利根川源流石碑

 兎岳山頂?

 中ノ岳への厳しい登り

 越後駒ヶ岳山頂

 山頂直下の駒ノ小屋へ着いたのは午後4時頃になっていたが、食料が不十分で温泉へ入りたい気持ちも強かったから、更に歩いて小倉尾根を下り登山口の秘湯、駒の湯温泉へ着いたのは午後6時を過ぎていた。

 この日は午前5時から午後6時まで13時間を超える長丁場で、やっとの思いで一軒だけある温泉宿に辿り着いたのだが、幸いな事に豪華な部屋が一つだけ空いており、格安料金で泊る事ができた。

 疲れた身体に秘湯のお湯は格別で、正に地獄から天国へ舞い上がったような気分であった。2回に渡る越後駒ヶ岳~中ノ岳の山行は、厳しい道程だったが、その分だけ達成感があって今となっては良き思い出です。

コメント
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