monologue
夜明けに向けて
 



第十代崇神天皇は疫病が流行り、多くの人民が死に絶え原因不明の 天変地異や怪奇現象のために世が乱れるので為政者の非道によって倒れた霊を神社に祀り上げ隔離して祟(たた)らせないために多くの神社を作った。神社とは霊(たま)鎮(しず)めの装置なのである。
安全保障関連法案がいよいよ今週中には、本会議採決・衆院通過するというがこの法律が成立して実際に紛争が起きて米軍を支援する日本の実力組織から不幸にして戦死者が出た時、その御霊様方は自分たちを死に追いやったこの法律を成立させた与党の支持者たちの一族に祟(たた)りきちんと報復するだろう。その覚悟をしておかなければ…。他人(ひと)事のように思い、法案成立を止められる時に止めなかったことの報い。崇神天皇のように国立の霊(たま)鎮めの装置を作らなければいけないかも…。
fumio

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安全保障関連法案は、5月から始まった衆院平和安全法制特別委員会での審議時間が約103時間となって政府・与党では「15日の特別委採決、16日の本会議採決・衆院通過」を目指しているという。具体的にはこの法案が通って米国軍を支援する日本の実力組織が狙われて反撃にあって戦死者が出た時、どこに祀るのだろうか。国家を護った英霊として靖国神社に祀るのか。与党公明党は佛教系の宗教団体を母体としているが戦死者を神道系の靖国神社に祀ることを認めるのだろうか。戦後70年間われわれの前の世代の人々がそんなことは考えなくて良い国の形を造ってきたがここにきて戦死者の祀り方を真剣に議論しておかなければいけなくなってしまった。それは前の世代と未来の世代に対して恥ずべきこと…。
fumio

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土曜日の「GRACEofJAPAN」は茨城県鹿嶋市宮中、鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)を採り上げていた。祭神は大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)で「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」と称する直刀が国宝に指定されている。
鹿島神宮、香取神宮は武道の神とされ、「鹿島大明神」・「香取大明神」として道場に祀られることが多い。
千葉県香取市香取にある香取神宮(かとりじんぐう)の、主祭神は経津主(ふつぬし)大神 。「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と経津主(ふつぬし)に共通する「ふつ」とは「すさのお」の父の名前なのである。
fumio

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「神社百景 GRACE of JAPAN」が3月28日(土)
147回『小江戸・川越 後篇~川越八幡宮・仙波東照宮』で終了した。
これまで147回のうち祭神が天照国照彦天火明櫛玉饒速日(にぎはやひ)命である神社は多々あったが神職は全くニギハヤヒの名前にはふれないままに終わってしまった。
fumio

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前回の「GRACE ofJAPAN」は埼玉県川越市郭町の三芳野神社(みよしのじんじゃ)を採り上げていた。川越は昔「入間の郡三芳野の里」と呼ばれていたのだ。川越城城内の天神曲輪に位置することから「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれている。祭りなどの時、民衆が楽しく城内に入り、終わってからの帰りは怖いという。
fumio

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今週の「GRACEofJAPAN」は福岡県福岡市東区にある香椎宮(かしいぐう)を採り上げていた。主祭神は仲哀天皇、神功皇后とし、応神天皇、住吉大神を配祀する。仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、)で仲哀天皇が熊襲の矢に当たって急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされるが、仲哀天皇は『日本書紀』では父の日本武尊の死後36年も経ってから生まれたことになるので実在性が疑われる天皇。神功皇后自身にも非実在説がある。実在しなかったとすればいなかった人々を祀ることにどんな意味があるのだろうか。
fumio

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神社百景「GRACE of JAPAN」は先週と今週の2回にわたって福岡県の筥崎八幡宮を採り上げていた。わたしは日本に帰国した時、妻の博多の実家に寄った日に参拝したことがあったので興味深かった。
御祭神
応神天皇(おうじんてんのう)[八幡大神]
神功皇后(じんぐうこうごう)[応神天皇の母君]
玉依姫命(たまよりひめのみこと) [海の神・神武天皇(じんむてんのう)の母君]。
「筥崎(箱崎)」の名称は神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納めたことからという。
どうして胎盤と臍の緒を箱に入れて埋めたのだろう。そのことでなにが起きるのだろう。神功皇后と応神天皇の霊がその胞衣(えな)に依りついていてこの地を守るというのだろうか。
fumio

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昨夜のBSフジ 『熊野古道〜お伊勢さんからもうひとつの聖地へ〜』(くまのこどう〜おいせさんからもうひとつのせいちへ〜)で和歌山県田辺市本宮町本宮にある熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)を採り上げていた。天照国照彦天火明櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)命にスポットを当てるのかと思っていると主祭神、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉)の素性をウヤムヤにして父であるスサノオのことを紹介していた。いまだにニギハヤヒを隠していたのが不思議だった。
fumio

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昨夜、BS11「母なる川、賀茂川と上賀茂神社」を見ていると時代劇でいつもロケに使用されるあたりが映されてなつかしかった。川尾神社などあたりに尾の付く名前の社が多いのは貴船神社の龍の尾にあたるからという。ということは上賀茂神社の祭神賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)と貴船神社の祭神高龗(たかおかみ)神は同神ということになる。
fumio

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先週の「GRACE of JAPAN」は鹿島神宮(祭神武甕槌(たけみかづち)、そして今週は香取神宮(祭神経津主(ふつぬし)を採り上げていた。
武道の道場にはこの両宮の「鹿島明神、香取明神」の掛け軸がかかっているのをよく目にする。
それは、 香取神宮の祭神とされた、経津主は音霊からみればフツシ(スサノオ)であり、
鹿島の祭神武甕槌(タケミカヅチ)は甕(みか)の魂、雷神、饒速日尊(ニギハヤヒ)のことであるから。
この親子が日本の武道の元神なのである。
fumio

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昨日5日、用意してあった酒、餅などの奉納品を持って石神稲荷へ。
石神稲荷は赤い鳥居が塗り替えてられてきれいになっていた。境内も少し手を加えてこんもりしていた植え込みなどがさっぱりしていた。毎年初詣に行っているがこんなことは初めて。緋色の女「台与(トヨ)」さんも喜んでいることだろう。
fumio

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今週の「GRACE ofJAPAN」は美濃国一の宮、全国の鉱山、金属業の総本宮、南宮大社を採り上げていた。ホームページから「由 緒」を以下にそのままコピーさせていただく。
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 御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天昭大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。  社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀られたらせられ、 後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、国府から南方に位する 故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。  御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として 名神祭にも預る大社に列せられています。  天慶3年(940)、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、 正一位勲一等の神位勲等を極められ、依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、 美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります
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ということで普通、天照大神と書く(あまてらすおおかみ)を照」の原字「昭」を使用して天昭大神としてあり、「以来」を「依頼」としてある。
御祭神金山彦命はどのように思われているのだろう。
fumio

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ヴァケーション中の息子は昨日は渋谷原宿方面を廻り明治神宮を参拝したという。15歳で即位した明治天皇の事績を記念館で学んでその立派さに感心していた。神宮1番のパワースポット「清正井(きよまさのいど)」にはやはり多くの人が並んでいたという。今年隣の代々木公園でデング熱騒ぎが起こった時発生源として疑われたが寒くなって忘れられたらしい。
fumio

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今週の「GRACE ofJAPAN」は秋田県男鹿市の赤神神社(あかがみじんじゃ)を採り上げていた。一般には赤神神社五社堂として知られている。
ウイキペディアによれば、
「72年(景行天皇2年)(80年(景行天皇10年)とも81年(景行天皇11年)ともいう)、赤神と称した漢の孝武帝が天から降りてきたという伝説がある。一方、縁起によると、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁が当地に来て赤神山日積寺永禅院(永禅坊とも)を創建したのに始まり、1216年(建保4年)、比叡山の山王七社を勧請して造営されたが、うち2社が廃れたため五社堂となったとする。」ということだがどうして日本の秋田県男鹿で漢の孝武帝を祀らねばならないのか腑に落ちない。慈覚大師円仁が勧請したという比叡山の山王七社の山王とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)命のことなので結局赤神とは孝武帝のふりをしたニギハヤヒらしい。円仁は赤神の秘密を見破って山王を勧請したようだ。
fumio

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今週の「GRACE ofJAPAN」は「なまはげ神事」で有名な 秋田県男鹿市北浦真山字水喰沢97に鎮座する真山神社を採り上げていた。
社史によれば、12代、景行天皇の御世、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿半島の秀峰、湧出山に登り、使命達成、国土安泰、武運長久を祈願して瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりで平安時代以降、円仁慈覚大師によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称し天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合し明治維新以後は、神仏分離令により元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社と改められる。
「主祭神は
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
合殿神は
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)
少彦名神(すくなひこなのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
大名持神(おおなもちのみこと)
塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)」となっているので日向系の神社であることがわかる。しかし「なまはげ」といえば出雲系のスサノオのことなので腑に落ちない。習合された赤山明神に秘密がある。
それは円仁が入唐中冥加を得た中国山東省の赤山の神,泰山府君を勧請し,京都の修学院にある赤山禅院にまつったものだが安倍晴明が使った陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」の泰山府君とは祇園祭りの祭神「スサノオ」。真山神社も表向きは日向の祭神を祀り特殊神事では裏の祭神「スサノオ」が活躍するのである。
fumio


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