monologue
夜明けに向けて
 




95/04/06 木を隠すには森、人を隠すには街が‥。然し隠されたものは露呈し


「木を隠すには森」というように、たしかに森の字に木は隠されている。人はというとこれまたたしかに「街」のギョウ人偏に隠されている。「然し隠されたものは」というのは見ての通り、隠された「もの」なのである。モノとはもちろん大物主ニギハヤヒ、「露呈し」はニギハヤヒの性質、嵐arasiに呈を入れて「ara呈si」という苦心のパズル語なのである。そしてその嵐(arasi)の部分が京都の西の押さえの嵐山になっているのだがその京都の賀茂別雷(上賀茂)神社を流れる御手洗mitarasi)川も下鴨神社の御手洗池も音霊をみれば彼の性格である嵐(arasi)がmitにつけられている。下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)の神饌菓子(みたらし団子)の起源は、後醍醐天皇が下鴨神社の池で水をすくうと、一つ泡が浮いて、そこから少しだけ離れて4個の泡が並んで浮かんだので、その形を取って串に5個の団子を差して頭の1個は神で他と少し離す団子ができた。そして今では一般に醤油だれの団子をみたらし団子と呼ぶようになったという。
「呈」はよく通ることだが文字をよくみればやはり大王を示唆して嵐大王があらわになるということなのだ。
umio


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