monologue
夜明けに向けて
 



1963年、昭和38年、わたしが16才で高校1年の4月6日(土)午後8時から「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオ番組が始った。第1回はまだカウントするリクエストがないので高島忠夫寿美花代夫妻が好きな洋楽や全米キャッシュボックス誌3月最終週のヒットチャートについて語った。その後、毎週小島正雄が司会してカウントダウンがスタートしたのだった。わたしの人生はこの番組によって方向づけられた。クラスメイトは放送の翌日にどの曲が好きとか言い合った。その頃はまだレコードというものを見たことがないので友達のお兄さんがレコードプレーヤーを持っているという噂を聞いてみんなで家に行った。すると、簡単な初期のプレーヤーがあってパット・ブーンの「悲しきカンガルー」という歌をかけてくれた。曲がいいとか悪いとかはわからなかった。ただ仕組みを知らないのでプレーヤーにレコードという円盤を乗せて針を落とすと音楽が流れることが変だった。蓄音機から聞こえる死んだ主人の声に首を傾げるヴィクターの犬の商標のような状態だった。何度もかけてもらって一応レコードというものを知った。まさかそんなわたしがアメリカで自分のレーベルを立ち上げてレコードを出すことになるとはだれが想像できただろう。
fumio

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