monologue
夜明けに向けて
 

frank  


P.'jsナイトクラブは、他のクラブが閉まったあとも開いている夜のホッットスポットを目指していて有名人、ひねくれ者、犯罪者、ギャンブラー、ストリッパーなどが客として集まった。その店では、自分自身のレーベル、リプリーズレコード(Reprise Records. )を立ち上げたフランク・シナトラとドン・コスタがP.'jsナイトクラブ出演歌手のオーデションを担当してトリニ・ロペスは“Trini Lopez at PJs,” というライヴレコードを出してもらえた。従順な歌手はそれで良かったが新時代のヒーローとして駆けていたボビー・フラーはクラブ出演後、ロックスターなので全く従順ではなく、いうことを聞かないのでマブスター(暴力団員)たちがみんなで殴る蹴るの殴打して痛めつけた。そしてかれのアパートの駐車場の車の中でガソリンをかけて呼吸困難にしてしまった。暴力団の荒い仕事だった。それで怪死事件ということになったのだった。
fumio


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ここでサム・クック暗殺やボビー・フラー怪死などその他多くの闇に隠された事件の舞台として共通するP.J.'s ナイトクラブについて記しておく。

その頃、犯罪都市と呼ばれた、シカゴでFBIのギャング一掃作戦で追い詰められたマブ(MOB)と呼ばれるイタリア系暴力組織マフィアが1961年に活動拠点を映画産業、音楽など芸能の分野で繁栄し始めたハリウッドに新天地を求めてカリフォルニア州ロサンジェルス、ウエストハリウッドのサンタモニカ通り8151番地にP.J.'s ナイトクラブという名前で発足したマフィアの拠点なのだった。
クラブは「Bill Doherty, Paul Raffles, Phil Tanzini, and former Chicago police detective, Elmer Valentine」らによってオープンした。former Chicago police detectiveとは(シカゴの元私服刑事)という意味でシカゴの元刑事までがマフィアの暴力犯罪監視のために立ち上げに加わったのである。
fumio

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