monologue
夜明けに向けて
 

mid  


それから転院した武蔵村山病院リハビリ病棟にある日、劇団のスター、Miyukiが見舞いにやってきた。わたしがアメリカでロックミュージシャンとして活動してレコードやカセットテープを製作していた、と話すとMiyukiは「わたしにもオリジナルソングを作ってください」と言い出した。それでまず初めに「ミッドナイトブルー」を作った。しかし、Miyukiはその曲を歌うのを嫌がった。彼女の視線は日本国内に向いていたらしい。わたしの視野はユニヴァーサルでグローバル言語としての英語でサビのコーラスパートを作りセリフをラテン語にしたので歌う気にならなかったのだろう。現在わたしの歌った「ミッドナイトブルー」は多くのアクセスを集めている。もしMiyukiが歌っていればわたしのバージョンより多くの人に支持されていたのに…、と思う。
fumio


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妻にとってもそれは辛い試練の始まりだった。報せを受けて倒れようとする妻を小学4年生の息子が支えて「お母さん、しっかりして」と励ました。それで妻はハッとわれにかえった。それから妻はアメリカ時代と見違えるほど強くなった。
わたしは搬送された第三北品川病院で頸椎の緊急手術を受けてある程度回復すると武蔵村山病院のリハビリ病棟へ送られた。
fumio

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