雪のち晴れ。最低気温-10.2℃、最高気温-1.9℃。
中島公園内にある北海道立文学館で開催中の「佐川ちかー黒衣の明星」特別展へ。
雪が降りしきる公園内。文学館までのわずかな間にコートが雪で白くなるほどでした。
展示室内には私の他に1人だけ。
「黒衣の明星」のいわれは黒い天鵞絨の服を好んで着用していたことと、朔太郎が「明星的地位にあった人」と称したことからと思われます。
先ずはパンフレットから、この展覧会の主催者による「ごあいさつ」の冒頭を引用させて頂くことにします。
佐川ちか(さがわちか、本名・川崎愛、1911~1936)は北海道の余市町生まれの詩人です。余市の 林檎園の緑に囲まれ、日本海の波の音を聞いて幼少期を過ごし、本別町での学童期を経て、北海道庁立小樽高等女学校(現・小樽桜陽高等学校)へと進学。卒業後、17歳で上京し、兄の昇やその友人の伊藤整らと共に、新しい詩の形を求めて翻訳や詩作を始めました。
故郷北海道の景色を詩想へと昇華しながら、ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフなどの翻訳を時代に先駆けて行ったちかは、すぐに同時代の詩人たちから注目され、優れた言語感覚と独自の美学によってモダニズム詩壇の最前線に立ちます。その姿を萩原朔太郎は「最近詩壇に於ける女流詩人の一人者で、明星的地位にあった人」と称しました。
そんな道半ば、ちかは24歳の若さで惜しくも病没してしまいます。しかし、その美しい詩と翻訳は、黒色の洋服を好んで着たという独自のファッションと共に、詩を愛する人々の心に強く残り続けました。
北海道出身で24歳の若さで夭折した詩人の佐川ちか(本名・川崎愛)の詩作品に初めて触れました。
選び抜かれた言葉で綴られた作品の数々を前にして、文字を目で追い続けることに。
「詩は言葉の勉強だと思ふ。併しそれは話すやうな言葉とちがって、表面から見えない心の言葉である。」(佐川ちか「樹間をゆくとき」より)
”才能”という二文字が何度も浮かんでは消えていきました。
それでは今日はこの辺で。
明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・。