「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

僕が追及していた 芸術観

2008年11月28日 21時12分39秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56810877.html からの続き)

 当時の僕が 天才的友人の影響を受けて、 創作上で求めていたことを、

 以前 ある冊子に 掲載したことがあります。

 それを紹介します。

「 僕が学んできたものは、 既成概念を否定すること、

 自分達が 無反省に受け入れているものを もう一度 疑いなおすことによって、

 隠された真実を 見いだそうとする姿勢だった。

 物書きに限らず、 真理を追究したいと 望む人間は、

 批判精神を研ぎ澄ましていかなければならない。

 常に 『これでいいのか』 という問いを 発しつづけなければならない。

 それは時に 苦渋に満ち、 残酷ですらある。 」

 例えばそれは、 哲学の基本的な態度と 共通します。

 哲学というのは、 誰もが 常識と思っていることを 見つめなおして、

 本当に正しいことは 何なのだろうかと 追求していくことです。

 でもそれは、 常識通りに生きている 人との間では、

 トラブルが 生じることがあります。

 若いときには、 真実を追い求める姿勢と 日常のコミュニケーションを、

 使い分けるなどという 柔軟さや賢明さは、 とても持ち合わせていません。

 本音と建前が 別だなどということは、

 むしろ とんでもなく不誠実で 卑怯な態度だったのです。

 ありのままの自分を 表現することが、 僕にとっての誠実さ, 正直さでした。

「 かつての政治的な青年が 共産主義思想の 洗礼を受けたように、

 芸術を目指した僕は、 当時 アバンギャルド (前衛芸術),

 または 表現主義に傾倒していきました。

 自分の生活の 全てを占めるのは 創作であり、

 僕は自分の 価値観を探究し、 日々 自分の創作世界を 構築していきました。

 そして それを幼い傲慢さで、 マンガの同人誌仲間に 主張していました。

 その結果 周囲との軋轢, 無理解, そして それによる失恋で、

 僕は致命的な挫折に 陥りました。 」

「 僕が成してきたことは 正に、

 若き日のクリストフが やってきたことそのままでした。

 たったひとつ 違うことは、

 クリストフは天才であり、 僕は凡人であった ということです。 」

(次の記事に続く)
 
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