( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56587880.html からの続き)
恨みに駆られて、 複数の命を奪った 凶悪犯。
聖書を片手に 年老いた教誨師 (きょうかいし) は、
「 復讐はいけない 」と 語りかけました。
「 それが分かっていれば、 ここにいないはずだけど…… 」
悔いを見せる死刑囚。
「 犯行の前に、 キリスト教に出会っていたら 」
教誨師は 残念でなりませんでした。
執行直前、 ある死刑囚は いきなり教誨師に抱きついてきました。
体の震えが伝わってきます。
教誨師は、 暗記してきた最後の言葉を かける余裕はなかったといいます。
拘置所の死刑囚は、 希望すれば 月1回ほどの 個人教誨を受け、
穏やかな心境で 死を迎えようとすることができます。
ある教誨師は 明かしました。
「 刑務所の受刑者は 更生という希望がある。
でも 拘置所に向かうときは、
その希望がない 死刑囚のことを考えて 気が重くなる 」
死刑確定者の 心の平穏を保ちつつ、 罪の重さを省みさせるのは、
刑務官だけでは難しく、 宗教の助けが 必要なこともあります。
教誨師の役割は 大きいといいます。
豊島区の 霊園の片隅に、 ひっそりと立つ 東京拘置所の納骨堂。
遺族が引き取りを拒んだ 死刑囚の遺骨が 納められています。
「 許されない罪を 犯した人であっても、
せめて執行のあとは 他の霊と同じように 弔ってあげたかった 」
引き取り手のない 遺骨を持ち帰り、
自身の寺や教会の墓地に 葬る教誨師もいるそうです。
〔読売新聞より〕
(次の記事に続く)