「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

刑場まで付き添う 教誨師 -- 死刑執行の現実 (7)

2008年11月17日 22時47分21秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56587880.html からの続き)

 恨みに駆られて、 複数の命を奪った 凶悪犯。

 聖書を片手に 年老いた教誨師 (きょうかいし) は、

「 復讐はいけない 」と 語りかけました。

「 それが分かっていれば、 ここにいないはずだけど…… 」

 悔いを見せる死刑囚。

「 犯行の前に、 キリスト教に出会っていたら 」

 教誨師は 残念でなりませんでした。

 執行直前、 ある死刑囚は いきなり教誨師に抱きついてきました。

 体の震えが伝わってきます。

 教誨師は、 暗記してきた最後の言葉を かける余裕はなかったといいます。


 拘置所の死刑囚は、 希望すれば 月1回ほどの 個人教誨を受け、

 穏やかな心境で 死を迎えようとすることができます。

 ある教誨師は 明かしました。

「 刑務所の受刑者は 更生という希望がある。

 でも 拘置所に向かうときは、

 その希望がない 死刑囚のことを考えて 気が重くなる 」

 死刑確定者の 心の平穏を保ちつつ、 罪の重さを省みさせるのは、

 刑務官だけでは難しく、 宗教の助けが 必要なこともあります。

 教誨師の役割は 大きいといいます。


 豊島区の 霊園の片隅に、 ひっそりと立つ 東京拘置所の納骨堂。

 遺族が引き取りを拒んだ 死刑囚の遺骨が 納められています。

「 許されない罪を 犯した人であっても、

 せめて執行のあとは 他の霊と同じように 弔ってあげたかった 」

 引き取り手のない 遺骨を持ち帰り、

 自身の寺や教会の墓地に 葬る教誨師もいるそうです。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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