「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

2009年02月28日 20時04分00秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57890390.html からの続き)

( '84.1/10)

「 今、 僕は少しずつ 目が覚めつつある。

 自分が おおらかに見えてきた。

 世界が優しく見えてきた。

 潔癖にこだわっているうちは、 まだ人間が小さい。

 未熟なのだ。

 今、 少し 大きくなれるのではないか。

 今までの 暗い苦しみだって、 決して無駄ではない。

 それがなければ、 僕はまだまだ 小さく弱い人間だったろう。

 人の心の痛み、 切実さが分からなかったろう。

 悲しみを越えた時の、 本当の喜びを 知らなかったろう。 」


( 「ジャン・クリストフ」 )

「 苦悶もまた 一つの力となる--統御される一つの力となる--

 という点にまで 彼は達していた。

 彼はもはや 苦悶に所有されずに、 かえって 苦悶を所有していた。

 それは暴れまわって 籠の格子を 揺することはあっても、

 彼はそれを 籠から外に出さなかった。 」


(1/30)

「 悪条件の下で 自分のやりたいことをやれる 人間こそ、 偉大な人間なのだ。

 好条件なんか ありはしない。

 悪条件であるからこそ、 やりたいことが出てくるのだ。

 やらなければならないのだ。 」

(2/5)

「 ああ、 しかし、 それでも理解が欲しい。

 全てを理解し、 全てを理解されたい。

『 分かる部分で やっていけばいい』

 そんなことで 妥協してしまってはいけないのだ。

 理解は、 相互の努力によって 必ず深まるはずだ。

 それをしないのは、

 理解することの 難渋さや煩わしさから 逃げているだけだ。

 それはいけない。

 僕は どうしても我慢できない。

 理解を、 より本当の理解を。

 僕のこの欲求は、 一体 どれだけ深いことか。 」

「 焦らないでよい。

 自分が成長していけばいいのだ。

 10年単位で見ればよい。

 理解されからないといって、 苛立ってはいけない。

 自分を信じ、 じっくりと待つのだ。

 力を養っていくのだ。

 少しずつ、 少しずつ 分かち合っていけばよい。 」

「 ああ、 喜びも、 悲しみも、 苦しみも、 何とすばらしいことだろう。

 こんなに 感じることができるなんて、

 僕は何て 幸せに生まれついたんだろう。

 苦しみさえも喜びだ。

 そうだ。 苦しみさえも喜びだと 知ったのだ。

 この先、 どんな苦しみに 会ったとしても、

 僕は このことに支えられて、 生きていけるのではないか。」

(次の記事に続く)
 
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