( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57890390.html からの続き)
( '84.1/10)
「 今、 僕は少しずつ 目が覚めつつある。
自分が おおらかに見えてきた。
世界が優しく見えてきた。
潔癖にこだわっているうちは、 まだ人間が小さい。
未熟なのだ。
今、 少し 大きくなれるのではないか。
今までの 暗い苦しみだって、 決して無駄ではない。
それがなければ、 僕はまだまだ 小さく弱い人間だったろう。
人の心の痛み、 切実さが分からなかったろう。
悲しみを越えた時の、 本当の喜びを 知らなかったろう。 」
( 「ジャン・クリストフ」 )
「 苦悶もまた 一つの力となる--統御される一つの力となる--
という点にまで 彼は達していた。
彼はもはや 苦悶に所有されずに、 かえって 苦悶を所有していた。
それは暴れまわって 籠の格子を 揺することはあっても、
彼はそれを 籠から外に出さなかった。 」
(1/30)
「 悪条件の下で 自分のやりたいことをやれる 人間こそ、 偉大な人間なのだ。
好条件なんか ありはしない。
悪条件であるからこそ、 やりたいことが出てくるのだ。
やらなければならないのだ。 」
(2/5)
「 ああ、 しかし、 それでも理解が欲しい。
全てを理解し、 全てを理解されたい。
『 分かる部分で やっていけばいい』
そんなことで 妥協してしまってはいけないのだ。
理解は、 相互の努力によって 必ず深まるはずだ。
それをしないのは、
理解することの 難渋さや煩わしさから 逃げているだけだ。
それはいけない。
僕は どうしても我慢できない。
理解を、 より本当の理解を。
僕のこの欲求は、 一体 どれだけ深いことか。 」
「 焦らないでよい。
自分が成長していけばいいのだ。
10年単位で見ればよい。
理解されからないといって、 苛立ってはいけない。
自分を信じ、 じっくりと待つのだ。
力を養っていくのだ。
少しずつ、 少しずつ 分かち合っていけばよい。 」
「 ああ、 喜びも、 悲しみも、 苦しみも、 何とすばらしいことだろう。
こんなに 感じることができるなんて、
僕は何て 幸せに生まれついたんだろう。
苦しみさえも喜びだ。
そうだ。 苦しみさえも喜びだと 知ったのだ。
この先、 どんな苦しみに 会ったとしても、
僕は このことに支えられて、 生きていけるのではないか。」
(次の記事に続く)