「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

触法精神障害者と 刑事責任能力 (1)

2010年05月26日 23時58分03秒 | 凶悪犯罪と心の問題
(前の記事からの続き)

 近代の刑法は、 仇討ちやリンチを防ぐため、

 被害者に変わって 国家が加害者を罰する という思想です。

 心神耗弱・ 喪失は 罰を減免するという刑法39条も、

 加害者を罰するべきか、 つまり責任能力が あるかどうかという観点で、

 被害者の立場は 考慮されていないのではないかと 思われます。

 被害者の応報感情は 考慮されるものの、

 司法の場で 被害者は今まで 蚊帳の外に置かれてきました。

 でも 近年になってようやく、 被害者にも光が 当てられるようになってきました。

 僕は 犯罪被害者支援の勉強もしていたので、

 被害者の立場の苦悩も 理解しているつもりです。

 しかし 責任能力のない者を罰するのは、 やはり意味がないことだと 僕は思います。

 子供に 刑事罰を科さないのと同じです。

 そういう加害者に必要なのは、 治療, 教育, 矯正などだと考えます。

 それから、 再発防止のための 医療や施策も不可欠でしょう。

 そして それらと同時に、 それ以上に重要なことは、

 被害者に対する 物心両面への支援 (なかんずく心のケア), 補償などだと、

 僕は 以前から述べています。

 それが国家の義務ですが、 特に日本では それが何より遅れています。

 被害者への心のケアの 有効なプログラムは、

 今のところ世界的にも 充分ではないのでしょうが、 研究の推進が望まれます。

 被害者の応報感情は 当然のことですから、

 何とかそれを癒す術を 早急に、 どこまでも 追求していってほしいと思います。

 現在 ケアが足りないからといって、

 加害者を罰するのは 目指す方向が違うでしょう。

 責任能力を持てない者を 罰しても、

 抑止能力にならないのは 明らかではないでしょうか。

 彼らは意識して 犯行をしているのではなく、

 犯行時に 罪を自覚できないのですから、 罰を恐れる心理は 働きません。

 従って、 新たな被害者が 減ることもありません。

 法治国家の秩序を 守るために求められるのは、

 効力のない刑罰ではなく、 再犯や新たな犯行の 防止でしょう。

 今の日本の刑務所は 更生教育の役割は ほとんど果たしておらず、

 その意味でも 単なる拘束は 無益だと思います。

 罪に応じた罰 という視点からも、

 責任のない人に 罰を負わせるというのは 不当なことです。

 繰り返しになりますが、 肝要なのは 治療や教育です。

(次の記事に続く)
 
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