「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

被災のなかで 想い出の花見

2011年04月07日 22時14分28秒 | 心子、もろもろ
 
 震災のことに気を取られているうち、 知らない間に 桜が満開を向かえていました。

 勤務先の隣の公園の桜が ちっとも咲かないので、

 今年は遅れているのだろうと 思っていたのです。

 でも 勤務先の近くの大きな公園では すっかり満開となり、

 先日は 利用者さんと一緒に 花見に行ってきました。

 とても天気もよく、 桜の下で弁当を広げ、 楽しんでもらえたと思います。

 「淡い色でいいわね」 「素晴らしい」 などと言われ、

 撮った写真も喜んでくれました。

 今日は 心子と楽しんだ桜並木にも 行ってきました。

 例年より 人出が少なめでしたが、いまだに自粛ムードなのでしょうか。

 自粛による経済停滞は 復興を妨げると言われて、 何日も経つというのに。

 岩手県の南部美人の蔵元が 動画サイトで、

 自粛によって 経済的な二次被害を受ける、

 花見をして お酒を飲んでもらう方がありがたい、 と訴えて 話題になっていますね。

 岩手県知事も、 被災地の復旧には 力強い日本経済が 不可欠だと言い、

 日本の元気が 復興に繋がると訴えています。

 さて、 桜はおおよそ満開でしたが、 つぼみもまだあり、

 何故か木によっては 五分咲きくらいのものもありました。

 来週も見頃かもしれません。

 心子とベンチに座った 公園がふたつ、 造成中で 新しく姿を変えてしまいます。

 彼女が 火事を発見した民家は、 その後取り壊されて 駐車場になっていましたが、

 今日見たら 芝生の公園になっていました。

 だんだん当時の面影が 変化していってしまいますが、 これも街の発展でしょうか。

 想い出は大切で そのままの形で 取っておきたいものですが、

 新しい姿を受け入れていくのも 必要なのかもしれません。

 東北の人たちも 失われた過去の上に、 新たな将来を 築き上げていくことでしょう。
 
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古い設計を見直さなかった 福島第一原発

2011年04月07日 00時12分39秒 | 東日本大震災
 
 「福島第一原発は、 他の原発と比べても 極端に津波に弱いんです」

 原子力安全委員の一人は そう指摘しました。

 福島第一原発では、 非常用ディーゼル発電機が タービン建屋内に設置され、

 海水ポンプ (冷却用の海水をくみ出すもの) も むきだし状態で置かれています。

 一方 第二原発は、 非常用発電機は 機密性の高い原子炉建屋に 設置され、

 海水ポンプも建屋に覆われています。

 その結果、 第一では発電機もポンプも ほぼ使用不能になったのに対し、

 第二では機能が維持されたのです。

 第一原発は 国内では最も古い部類で、 60~70年代に建設され、

 70~80年代に 耐震性が強化されましたが、

 発電機の設置場所や ポンプの建屋は 検討されませんでした。

 移設をすると 大規模な工事になってしまい、

 多額の費用が かかってしまうからだったといいます。

 そもそも 第一原発の原子炉の設計図は、 当時アメリカから まるまる買っただけで、

 設計図通りに作ることが 当時の命題でした。

 試行錯誤しながら学ぶ 練習コースのようなもので、

 日本には 改良する技術の蓄積がありませんでした。

 しかしアメリカは 地震や津波への警戒が少なく、

 スリーマイル以前の 古い設計思想で作られていました。

 その後 第二原発は、 経験を積みながら 改良されていきましたが、

 第一原発にその安全思想は 還元されなかったのです。

 想定以上の津波の危険性は 元より指摘されており、

 防波堤を高くすることは 東電内部でも言われていました。

 ところが東電幹部は、

 「後から高くすると、 当初の津波対策は甘かった と指摘されてしまう。

 それを避けたかった」 と言うのです。

 安全が大切なのか、 自分の面子が大事なのか、 全くもって話になりません。

 設計思想を 根本的に変える必要があります。

〔 朝日新聞より 〕
 
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