「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

原発をPRした、 つらい世話役

2011年04月04日 07時34分49秒 | 東日本大震災
 
 福島第一原発で働いていた 社員たちが、 避難所で 被災者の支援をしています。

 原発のそばで生まれ育ち、 原発の安全性を PRしてきた人たちです。

 自らも被災しながら、 事故の重さを背負って、

 隠れるように働いているのだといいます。

 第一原発広報部のリーダーだった 社員Sさんは、 避難所支援に名乗りを挙げました。

 「原発の町」 大熊町に 生まれたSさんにとって、

 原発は 「あこがれの職業」 でした。

 広報を担当して7年、  「原発は安全安心」 と説明し続け、

 「津波がきても大丈夫です」 と 百回も言いました。

 「みんなに石をぶつけられても、 ののしられても仕方ない」 と 思いました。

 ところが 避難所の人たちは、

 「よう手伝いに来てくれたなあ。 あんたは大丈夫か」 と 声をかけてくれます。

 「とても温かいのが、 かえってつらいのです」

 町の 「臨時役場」 に寝泊まりし、 支援作業をする 東電広報部の社員もいます。

 東電との連絡役として 朝夕2回、 町に 第一原発の現状を伝えます。

 手の空いた時間には 掃除を手伝っています。

 ずっと見学者らに  「原発は安全」 と説明してきました。

 「事故のことを どう説明すればいいのか。 言葉が見つからない」

 東電原子力立地本部の部長は、 各地の避難所や自治体を訪ねて 謝罪をする日々です。

 首長に 面談を断られることもあります。

 「地域への貢献を原点に 仕事をしてきたつもりだった。

 非常に申し訳ない 気持ちで一杯です」

 原発で成り立つ 町のために尽くしてきた、 東電の社員たちに 罪はないのです。

 彼らもまた被災者であり、 被害者です。

〔 朝日新聞より 〕
 
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