「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

遺伝か環境か

2010年05月09日 12時47分08秒 | ボーダーに関して
 
 過日の読売新聞に、 双子の間の違いを 比較した研究の 記事が載っていました。

 人の行動や性格に、 遺伝や環境が どう影響するのかを 調べたものです。

 その中に、 子供の問題行動と 親の養育態度の関係について、

 双子の間で 研究したというものがありました。

 (一卵性か二卵性かは不明)

 遺伝的な素因が 異なっている兄弟で、

 育て方によって 問題行動に違いが 出るかどうかの研究です。

 「マナーを守らせる」 「言いつけに従わせる」 というように 厳しくしつけたり、

 あるいは、 しつけ方に 気分次第でむらがあったりすると、

 3歳~3歳半にかけて 子供の問題行動が増えるそうです。

 生まれつき 引っ込み思案だったり 不安を感じやすい子供は、

 厳しかったり 気まぐれに育てられると、 問題行動を誘発されるということです。

 それに対して、 小さいことでも褒めたり 頭をなでたりすると、

 遺伝的な素因の差は ほとんど現れなかったといいます。

 つまり 温かい育て方をすると、

 生まれつき 問題行動に繋がりやすい 要素を持っていても、

 それが発現しにくいというのです。

 これを 境界性パーソナリティ障害に当てはめると、

 先天的な要因を 持っている子供に、 過酷さやむら気のある 養育環境が加わると、

 発症しやすくなるということでしょう。

 しかし 生来のリスク因子があっても、

 優しく育てられれば、 症状が現れにくい ということになります。

 遺伝と環境は 互いに絡み合いながら、

 人間の行動や心に 影響を与えるといいますが、

 悲惨な環境ほど ネガティブな遺伝子が 大きく反映されます。

 けれども 養育者の愛情によって、 危険性は補えるという 証になるでしょう。
 
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「クロッシング」 (2) (トークショー)

2010年05月06日 20時05分03秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 「クロッシング」 は、

 08年の アカデミー賞外国語映画部門・ 韓国代表作品に選ばれた 問題作ですが、

 日本では その公開が難航しました。

 09年の春に、 シネカノンで公開される 予定だったところ、

 同映画館は経営困難で 廃業してしまいました。

 その後、 この秀作に 大手配給会社は手を付けず、

 弱小・ 太秦 (うずまさ) の林三四郎代表が、

 「我々がやらなくてはならない」 という意気込みで、 公開にこぎ着けたのです。

 大手映画配給会社だけでなく、 日本という国や、 我々国民も、

 隣国での惨状に 目をつむりがちです。

 自分たちにできることは、 せめてこうしてブログなどに 書き込むことでしょう。

 映画を観た当日は 偶然、

 コラムニスト勝谷誠彦氏と 加藤博氏によるトークショーがあり、

 幸い とても貴重な話を 聞くことができました。

 ふたりは以前 週刊文春で師弟関係にあり、 北朝鮮への潜入取材の経験もあります。

 加藤博氏は、 ベトナム, 東欧, ソ連など、

 様々な歴史的場面を取材し、 現在は 脱北者の支援活動をしています。

 02年には 中国公安当局によって拘束され、

 1週間にわたる 拷問を受けた 体験もある人物です。

 日本当局は 加藤氏が囚われたときも、 何の情報も 手立てもなく、

 救出のために 何もすることができませんでした。

 トークショーで勝谷氏は、

 こういうことも知られていない 日本という国を、 痛烈に批判していました。

 瀋陽の日本領事館で起きた  “ハンミちゃん事件” は 

 多くの人が覚えているでしょうが、

 あのとき脱北者に 手を貸すでもなく、 警官の帽子を のんびり拾っていた領事館員。

 それが日本人の姿勢を 象徴しているでしょう。

 最後に 勝谷氏は  「クロッシング」 について、

 神の偏在と、 それでも 万人の上に降る 雨という自然の普遍、

 それを描いた 美しい映画だと述べていました。
 
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「クロッシング」 (1)

2010年05月05日 22時16分03秒 | 映画
 
 北朝鮮から中国に渡った 親と子の悲劇を描いた、

 キム・テギュン監督の手による 韓国映画。

 炭鉱で働くヨンスは、 妻ヨンハ、 11歳の息子ジュニととに、

 貧しくも平穏な 生活を送っています。

 ある日 ヨンハが肺結核で倒れ、 ヨンスは 薬を手に入れるため、

 我が身の危険を顧みず 中国へ入国するのです。

 その甲斐もなく ヨンスは息を引き取り、 ジュニは父を追って 国境の川を渡ります。

 しかし身柄を拘束され、 強制収容所に送られてしまいます。


 北朝鮮での撮影は 不可能なので、

 緻密な調査と 100人以上の脱北者への 取材を重ね、

 北朝鮮の惨状を 稀有なリアリティで 再現しています。

 スタッフには 実際の脱北者が 多数含まれており、

 我々が 隠しカメラによる映像でしか 目にできない北朝鮮の現状や、

 映像が存在しない 強制収容所の実態も、

 フィルムに焼き付けることに 成功したのです。

 実際の脱北路を再現するため、 韓国, 中国, モンゴルを結ぶ

 8000キロの海外撮影が 敢行されました。

 脱北者問題に冷淡だった ノ・ムヒョン政権下で、

 企画, 制作は 徹底的に極秘裏に行なわれ、 4年を費やしたといいます。

 しかし この映画は、 金政権を直接批判したり、

 声高に アジテーションすることもありません。

 ある善良の家族、 親と子の 涙ぐましい姿を描くことによって、

 今もこの世界で 起きている現実を、 我々の胸に突きつけてきます。

(次の記事に続く)
 
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「車輪の一歩」 (2)

2010年05月03日 19時20分36秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 良子たちを見守っていた 主人公の吉岡 (鶴田浩司) は、

 沈思熟考の末に 口を開きます。

 「人に迷惑をかけない」 という価値観は、

 誰も否定できないものとして 受け入れられている。

 しかし、 人に迷惑をかけてもいいんじゃないか、

 ぎりぎりの迷惑は かけなければいけないんじゃないか、

 周りの人も それを迷惑と思わない社会に なるべきではないか、 と……。

 そして ラストシーン、 良子は勇気を出して、 一人で街へ出ていきます。

 駅の階段の前で、 良子は声を振り絞ります。

 「……誰か……、 助けてください。

 私を、 上に上げてください……!」

 物陰から 涙を堪えられずに 見ている母親。

 近くの男性2~3人が 手を差し伸べるところで、 ドラマは終わります。

 こういう人たちの 勇気が積み重ねられて、 現在の 車椅子の風景があるのですね。

 このように、

 心の障害も 人々に受け入れられる社会が、 早く来てほしいと願います。

 ボーダーの人の 激しい言動も、

 周りの人が迷惑と考えずに 受け止められるような社会が。

 でも、 車椅子の人に 手を貸すことは まだ容易ですが、

 ボーダーの人の言動は 周りの人を強く傷つけたり、 翻弄させたりしてしまいます。

 本人だけでなく、 周囲の人も 困窮を極めるのが、

 まさしくボーダーの 難しいところです。

 車輪の一歩よりも  “ジェットコースターの一歩” は、

 見上げるほど高い壁が あるかもしれません。

 それでも、 僕たちはその一歩を 踏み出していかなければなりません。

 そして それが 人々に理解される時代は、 いずれ必ず来ると 信じています。
 
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「車輪の一歩」 (1)

2010年05月02日 19時48分05秒 | 映画
 
 昨日は 障害者の話を書きましたが、 介護の仕事を 始めたせいもあるのか、

 街中で車椅子の人が 非常に目につくようになりました。

 外に出れば、 1日に2~3人は 車椅子の人を見る気がします。

 車椅子を押してもらう高齢者も、 自分で動かす 障害者の人もいますが、

 車椅子で外出する人が 昔に比べて増えました。

 山田太一さんの  「車輪の一歩」 という話を ご存じでしょうか? 

 約30年前、 ドラマ 「男たちの旅路」 の中の 1話として放送されたものです。

 当時、 車椅子で外に出るというのは、 とても珍しいことでした。

 普通の人は、 車椅子にはブレーキが付いている ということも、

 なかなか知らない時代でした。

 ドラマでは、 下半身麻痺の女性・ 良子 (斎藤とも子) は 母親と二人暮らしで、

 ずっと家に 閉じこもっています。

 母親 (赤木春恵) は、 娘が外に出れば 人様に迷惑をかける、

 娘は 自分が絶対に守る、 という信念で 娘を抱え込んでいます。

 そんな良子に、 同じ車椅子の男性たちが、 外へ出ようと働きかけます。

 良子はためらいつつも 外へ出ますが、

 踏み切りで 車椅子のタイヤが線路に挟まり、 電車が迫ってきます。

 車椅子の人たちだけでは タイヤを外せず、

 危ういところを 健常者に助けられますが、 良子は失禁してしまいます。

 母親は、 だから 嫌だと言ったんだ!  一番傷つくのは この子なんだ! 

 と 泣いて訴えるのです。

 男性たちは 無力感に囚われます。

(次の記事に続く)
 
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ダブル・マイノリティ 「ハートをつなごう」 (2)

2010年05月01日 21時21分49秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 ひろこさんは  「ハートをつなごう」 のスタジオに、

 車椅子に乗って 赤いミニスカート姿で 登場してきました。

 司会者が  「どういう気持ちで 出演してくれたか」 と尋ねると、

 ひろこさんは 文字盤を指差しながら、

 「障害があっても なくても、 関係なく生きられる 世界になってほしい」 と

 述べましたが、 

 そのすぐあとに  「本当は魔が差した」 と、 皆を笑わせました。

 こういうユーモアがある人で、  “出たがり” なんだそうです。

 現在、 身体障害者の活動と セクシュアル・マイノリティの活動は

 バラバラに行なわれていますが、

 ひろこさんは そのつなぎ目になりたいと 言っています。

 スタジオにはその他にも、

 いくつかの発達障害と 筋疾患 (ジストニア)  その他を持った人、

 女性には稀な 筋ジストロフィーである女性などが 出演していました。

 (僕のブログを 見てくださっている人の中にも、

 BPDと 身体的な難病を抱え、 さらに 重傷障害児を子に持つ人もいます。)

 身体障害に対する偏見は、 ほとんど緩和されてきたのではないか と思いますが、

 精神障害やセクシュアル・マイノリティに対しては、

 まだ無理解と差別も 多いでしょう。

 ひろこさんの親も、 身体障害は認められても、

 性同一性障害や同性愛のセクシュアリティは 認められないという意識がありました。

 日頃 差別に苦しんでいる 身体障害者たちの間でも、

 セクシュアル・マイノリティが差別されるという 構図が存在するのです。

 僕は、 平たく言って、

 偏見や差別は  「慣れ」 でなくなってくる、 と思っています。

 普段から ありのままに接することで、 先入観や壁などは 解消されていくはずです。

 それには マスコミの力が大きいですが、

 このようなネットも 役割を果たすことができるでしょう。
 
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