ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

『誰も知らない 世界と日本のまちがい』

2008-02-10 19:17:20 | 読書
 ちょっと時間がかかったけど今日読了。

誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』松岡正剛(春秋社)

 英語タイトルが"The Errors of Nation States"である。腰巻きには「大人は、読まなきゃいけません。禁断の世界史講義、開幕。世の初めから隠されていた秘密が明らかになる……。」と、ちょっとアレな感じな惹句(汗)。でもオカルト系ではありません。

 幕末から明治維新、さらに19世紀から20世紀の歴史に興味を持つ者にとって、気になるひとつの問いが「近代国家(Nation State)とは何か」ということだ。

 最近読んだ本の中でひとつの答えは、下記の本にあった。
『幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉』井上勝生 (岩波新書)

 ペリー来航からわずか10年ほどの明治維新を経て、維新政府が目指したのは欧米の近代国家というグローバルスタンダードにのっとって自国を整備したことだった。すなわち、自国の国民を確定するために戸籍を整え、国境を確定し(ロシアとは、結局、戦争を経てしか国境を確定できなかったが)、逆に自国の領土と認識する自国の領域内にいる少数民族を近代国家の理論でもって囲い込み(アイヌを想定しているが、まさしく米国政府がアメリカンインディアンに対した政策とよく似ている)、さらに周辺各国で欧米のグローバルスタンダードに抵抗する国を欧米の理屈で飲み込んでいった(台湾・韓国)。

 日本国民としては、清国のようにむちゃくちゃに収奪されなかったことを感謝すべきだろう。ただ、私は、日本の近代化がうまく進んだのは薩長土を中心とする勢力が明治維新を確立して近代化・産業化を強引に進めたことだけが功績ではなくて、江戸時代後半に欧米とは違う形で、政治経済を支える産業基盤や交通網などが確立したことが土台になっていると見ている。

 で、松岡正剛のネーションステート=国民国家観である。

 いまは、このことの深い意味についてはあえて解説しませんが、私自身はこの指摘は大筋あたつていると思っています。国家はもともと暴力装置であり、それをどのように合法化していくかということを工夫しているうちに、今日のような近代国家が仕上がった。どうやらそう見るべきなんですね。

 ということは、ネーション・ステートとは、ずばり一言で定義するなら「戦争ができる国民国家」のことなんです。警察や裁判を国が引き受けるという事情には、こういうことがひそんでいたんですね。


 うわーっ……二十歳になる直前にアムネスティ・インターナショナルという団体を知り、国家に人権を抑圧されている人たちの事例を四半世紀も見てきた自分には、しっくり来ることを言われたなぁ。そう、国家とは、もともと暴力装置なのだ。近代国家とは、王政など少数による支配体制を覆す過程で生まれた、ひとつの形態だ。いちおう民族国家に近いのだが、国民国家は民族国家と同一ではなくて、国内に少数民族の離反や独立運動などのリスクを抱え込んでいる。

 少数民族も含め、国民国家において国の方針とは異なる意見を持っている人にどう対処するか、ということが、自分の世界観には関心事のひとつ。たとえば、アウン・サン・スーチーさん。国家が暴力装置であること、その暴力装置が外に向かった時には侵略戦争となり、内に向かった時には甚だしい人権侵害となることを、憂慮をもって見てきている。

 で、近代国家と資本主義と民主主義の行き着く先はどうなるんでしょうね……本来の共産主義ではなかった共産主義国家は、かなりの確率で崩壊した(北朝鮮はともかく、自分はロシア崩壊後のキューバがどうなるのか、心配しつつも期待している)。資本主義の怖いところは、利益を追求する過程で、止め処がつかないということに尽きると思うのだが。

 

『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』

2008-02-08 14:00:59 | 読書
『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』松岡正剛(春秋社)

 大学でスペイン語を専攻した時、スペイン美術史専門の神吉教授(故人)がヨーロッパ美術史を講義してくれて、ヨーロッパの歴史と建築・美術がどのように結びついているのかに興味を持った。

 大学院では国際的なマネジメントの考え方の土台になる比較文化論を少しかじったこともあり、多元的な、あるいは多層的な文化の見方には興味があった。

 というわけで、この本を手に取るのは必然だった。人間が二足歩行するようになって、他の動物と違って発情期がわかりにくくなってからコミュニケーションの手段である言葉を持ち、文化を築くようになる。そこから宗教が生まれ、哲学が生まれ、文学や音楽、建築や美術、芸術などが生まれていく。異なる宗教同士が対立し、戦争が起こり、交通や経済の発達とともに文化の衝突が起き、新しい解釈が生まれて新たなものが生まれる。こういう歴史の中で、東西の世界観や文化観がどう違うのか、それはどこから生まれてきたのか、ということをどこかで整理したかったのだが……この本がやってくれた。

 『木を見る西洋人 森を東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか』を読んだ時に感じたことでもあるのだが、西洋的アプローチは違いの要素というのを要素に細分化していく(これが彼らの分析的アプローチなのだ)。これこれこのように違う、と、要素を挙げて示していく。でも、東洋的な文化に育った自分には何かアプローチが違うと思った。

 松岡正剛の本は、その違和感に対する日本的な答えだろう。特定の宗教が生まれてきた歴史的な背景、その宗教が生まれたことによる影響といった、一言で言えば「背景」を示すことによって、その文化の個性を明確にする。まさしく「森を見る」感じ。要素に細分化するのではなく「枝振りを見せる」感じ。

 そして、宗教と哲学、宗教や哲学と建築や美術とのつながり、科学と哲学、科学と美術など切れ目のない関わりを見せてくれる。この辺りが、自分にとってフィットする。

 また、同じ時間軸をもって東西を比較する中で意外な類似点を見せたりする。たとえば織田信長の時代、イタリアではルネサンスでありこれも戦国時代、イギリスはエリザベス女王でスペインと対立していたとか。この時代の日本の代表的な茶人の千利休はルネサンス的、その弟子である古田織部はバロック的とか。

 でも一番強烈なメッセージは「文化とは"たらこ"スパゲティ」(笑)。非常に日本的な文化の捉え方で、それがよい。

 次は続編の『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』にて、近代ヨーロッパから生まれた国民国家と個人の自由や権利についての考え方、資本主義についても読んでしまおう。

『大奥』第3巻 よしながふみ

2007-12-20 20:09:02 | 読書
 男性向けマンガも女性向けマンガも読むが、最近は若いマンガ家の絵柄についていけない……くすん、歳を取った証拠かも知れない。

 よしながふみの『大奥』第3巻。一年に一冊しか出ないけど、待っただけの甲斐がある、数少ない作品だ。

大奥 第3巻 (リンク先はamazon.co.jp)

 設定が、徳川第3代将軍家光の代の江戸なんだけど、男子しか罹患しない流行病によって男子の数が極端に減り、家光将軍の影武者は彼の娘、大奥は貴重な男たち、というトンデモなのだが、その舞台装置をつくってまで描きたいのは何かということを第1巻から考えながら読んでいる。

 この人のボーイズラブ作品は、BLジャンルが苦手なので読んでいない。『西洋菓子骨董店』『愛すべき娘たち』『愛がなくても喰っていけます』ぐらいだろうか……おっと、週刊モーニング連載のホモカップルの安くて美味しい手作り夕食の話『昨日何食べた?』も一応読んでいるっけ(^^ゞ。

 でも、『大奥』ほど、人はなぜ生まれてくるのか、男とは女とは、政治とは、歴史とは、と考えさせてくれる作品は、この人の作品の中では他にない。第3巻も、ベストセラーになって欲しい。

最近の読書記録

2007-12-11 10:33:02 | 読書
 滅多に興味を持たない分野の読書。

ファッション: ブランド・ビジネス山室一幸 リンク先はamazon.co.jp
 「ファッション通信」プロデューサーによるファッション・ビジネスの歴史概論。「ブランドは貴族的な大衆消費財だ」という煽り文句がなかなか。

ザ・ハウス・オブ・グッチサラ・ゲイ・フォーデン リンク先はamazon.co.jp
一族の内紛から混乱を極めていた高級ブランドのグッチは、1990年代後半、復活した。本書はイタリアの同族企業だったグッチが、外部から資本や経営陣を受け入れて、グローバル企業に発展するまでの過程を詳細に描く。
80年代、経営の実権を握ったマウリツィオ・グッチは、あまりにも安っぽくなってしまったブランドイメージを一掃し、グッチを再興しようと奮闘する。外部から人材を招き入れながら、生産から販売までの流れを効率化し、マーケティング技術を向上。新しいイメージを打ち出すために、アパレル製品にも力を注いだ。だが、会社の収益はなかなか向上せず、個人の負債も膨らむばかり。株主の投資会社から迫られたマウリツィオは、ついにグッチ株を売却し、創業家はグッチの経営を離れる。その後、グループの最高経営責任者ドメニコ・デ・ソーレ、デザイナーのトム・フォードらの手によって、グッチは再生を果たす。

95年、マウリツィオは射殺され、真犯人として元妻が逮捕された。著者は、マウリツィオは公私ともども人間関係の築き方が未熟であり、そのことなどが経営の失敗の原因ともなったと分析する。グッチ家80年の栄枯盛衰を振り返りつつ、華やかに見えるブランドビジネスの舞台裏も明らかにする。


 イタリアの伝統的な家族的経営企業から国際的なブランドビジネスに脱皮していくグッチの、産みの苦しみには、創業者一族内の確執だけでなく、創業者一族の離脱から殺害に到るまで、また国際的なブランド会社同志の買収戦争と、実にこってりした内容。

☆★☆★

追記。

ルイ・ヴィトンの法則―最強のブランド戦略長沢 伸也  リンク先はamazon.co.jp

 ルイ・ヴィトンの戦略戦術をマーケティングの4Pに分類して解説してくれる点はありがたいが、何というか、提灯持ちの記事という印象をぬぐえない(汗)。

 高級ブランドを持つにはそれなりの生活水準がなければと思う自分がコンサバなのかも知れないが(たとえば、高校生が高級ブランドを持つことにも反対だし、狭いアパートで生活している若い女性がルイ・ヴィトンのバッグを買うという一点豪華主義も疑問視してしまう)、ルイ・ヴィトンはまだ持っていない。

『エンゼルバンク ドラゴン桜外伝』連載開始

2007-10-11 13:00:00 | 読書
エンゼルバンク ドラゴン桜外伝』(リンク先は講談社週刊モーニングの関連サイト)

 このところ面白い連載マンガがごそっとなくなって『チェーザレ』ぐらいしか楽しみがなくなっていた『週刊モーニング』だが、三田紀房『ドラゴン桜外伝』の連載開始で楽しみが一本増えた。

 三田紀房、絵は「ど」が付く下手だが、ストーリーと提供する情報の質とメッセージにはパンチがある。今回は、『ドラゴン桜』で活躍した弁護士・桜木の知人として登場する転職代理人の語る「エンゼルバンク」のエピソードがとても強烈に心に残った。

 そのエピソードにちなんで、マンガの中にはあちこち天使が飛んでいるのだが、これが、飾り物の羽根をつけた裸のくそガキにしか見えないのが苦笑ものだが……三田さんは知り合いの子供でもスケッチされて参考にしているのだろうか、やけに世俗的な天使だった(笑)。

 転職に関わる情報提供を目的とした連載マンガということで、『ドラゴン桜』が受験勉強を控えた子供を持つ親に非常に受けたのと同様、今回も転職を考える勤め人(一回でも転職を考えたことのない勤め人がいるだろうか?)に注目される連載になるのではないか。

『死刑のすべて』坂本敏夫

2007-10-02 23:21:42 | 読書
『元刑務官が明かす死刑のすべて』坂本敏夫(文春文庫) リンク先はamazon.co.jp

 今朝、書店で目を引いたので買って、すでに今日読み終えた。

 元刑務官だからこそ書ける、塀の向こうの死刑確定囚の実態。

 そして、司法制度の中の瑕疵や不備や矛盾。

 筆者は死刑制度存置派だけど、執行には反対。その微妙な立ち位置の理由を、一通り読んで、ある程度は理解できた。

『アルカサル―王城―』第13巻(完) 青池保子

2007-09-18 23:03:45 | 読書
『アルカサル―王城―』第13巻(完) 青池保子(秋田書店) リンク先はamazon.co.jp

 腰巻きの惹句が泣かせる。
王の暗殺により、カスティリア内戦は泥沼化へ。歴史の奔流は、残された者たちを何処へ導くのか? 1369年3月23日未明 ドン・ペドロ死す!! 開始から24年。巨匠の代表作、入魂の完結作!!

 そうかぁ、開始から24年……作者も読者も干支が二回り……るーるる~♪
 でも、こうして、物語を完結させてくれた作者の青池保子さん、完結編を書く機会をつくってくれた編集者さんに、感謝感謝。

 スペイン語とスペイン文化を専攻していた自分にしても、カスティリア王ドン・ペドロ1世は、スペイン史の時間にちょっと名前を聞いた程度の存在だった。むしろ、先王の嫡子であったドン・ペドロを暗殺してトラスタマラ王朝を開いた庶子のエンリケの方が、スペイン・トラスタマラ王朝の開祖として記憶されていた。

 ふたりの名前は、スペイン美術史の授業で聞いた覚えがある。今は亡き神吉敬三教授のスペイン・ラテンアメリカ美術史の時間はベラスケスやスルバランやゴヤなどスペイン絵画の巨匠を知る素晴らしい機会だったのだが、建築史も多少入っていて、ドン・ペドロといえばセビリアの王城《アルカサル》であり、エンリケ・デ・トラスタマラといえばセゴビアの王城《アルカサル》――ディズニーの白雪姫の城のモデルとして知られている――と私の記憶にインプットされているのだ。

 英仏戦争時代のスペインは、700年にわたるイスラム勢力との共存・スペイン人による再征服《レコンキスタ》時代の一局面で、ヨーロッパ史全体においては辺境の歴史として扱われている。イギリスとフランスが覇権を巡って争う時代、中世も後半になってローマ教皇の地位も失墜し、スペインはそうした諸勢力の覇権の衝突の場面として登場する……たとえば、フランスの軍人ベルトラン・デュ・ゲクラン(自分はこの人の存在を佐藤賢一の小説『双頭の鷲』で知った)がフランス重騎兵を率いてエンリケの加勢にやって来るのだし、一方ドン・ペドロに加勢するイギリス王侯の中にエドワード黒太子がいたりする(しかし、ドン・ペドロとはすぐに提携関係が破綻してしまう)。

 第13巻の完結編においては、前半ではドン・ペドロがエンリケら諸勢力を圧倒してスペインをほぼ統一する絶頂期が描かれ、後半では主人公ドン・ペドロは既に死んでおり、死に至る場面は回想的に描かれる。第13巻の後半、その大半はドン・ペドロの娘たちのカスティリア奪還というか父王の名誉復権のための戦いの描写に費やされる。ドン・ペドロのカスティリア制覇を支えてきた、愛妻マリア・デ・パデリアや忠臣のイネストロサ(マリアの叔父)やマルティン・ロペス・デ・コルドバが第13巻後半ではバタバタと死に、ドン・ペドロの周辺が寂しくなった。と同時に、下っていくジェットコースターのようにドン・ペドロは覇気と勢力を失っていってしまうのが、何とも切ない。しかし、ただひとり、ガリシアの騎士ロドリゲス・デ・カストロがイギリスに亡命したドン・ペドロの娘たちに忠誠を尽くして、やがて娘のひとりであるコンスタンスが父王の名誉回復をスペインで遂げる結末は、感動ものだった。

 リーダーシップ論を勉強した身には、生まれながらの王族で、ひっきりなしに庶子たちや臣下たちの裏切りに悩まされてきたドン・ペドロが深い猜疑心に陥り、ごく少数の、王への忠誠のために心身を犠牲にすることをいとわない臣下や家族にのみ心を開き、それ以外の人々は信じられなくなる過程を理解しつつも、その孤高の道が破滅への道でもあったのだと寂しく思う。一方、金や地位を諸侯に約束することで庶子の身分ながら(ドン・ペドロを暗殺して)王の地位を手に入れたエンリケも、死ぬまで諸侯の面従腹背に悩まされることになることには、金で釣った相手はいつか金で他所に釣られてしまうものだということを改めて思う。

 青池先生、少女マンガにしてはとても骨太な作品で長年楽しませてくれて、ありがとうございました。もし外伝的な作品をさらに描いていただけるのでしたら、まだまだ待ちますよ(^^)。

『人事が変われば、会社は変わる』香本裕世

2007-09-14 23:38:30 | 読書
『人事が変われば、会社は変わる』香本裕世(日本経済新聞出版社) リンク先はamazon.co.jp

 「制度屋人事」からビジネスパートナーとしての人事への転換を、架空の会社を舞台にした小説仕立てで解説している。

 従来は人事評価制度の下請けであった教育研修の機能が、戦略的な意味づけをもって人事部門の機能を変えるという、人材開発の職にある自分にとっては気持ちよく読めた(笑)ストーリー。

 会社の風土変革を一般社員のキャリア研修から始めるというところは「???」と思ってしまうのは、自分が外資系に勤めて長くなっているからだろう。日本の会社に勤めると自分のキャリア設計を会社にゆだねて「会社はこれから自分をどうしてくれるのか」という意識を持ってしまうものらしいが、自分は最初に勤めた会社が日本企業でも小さかったこともあって、定年まで勤めるだろうという展望を最初から持たなかった(そして、自分が海外に留学して転職して何年かたったところで、同業他社に吸収合併されて社名がなくなってしまった……)。会社がキャリアについての考え方を教えてくれるというのは、きわめて日本的な感覚だなぁ(もちろん、再就職支援といった局面では、外資系もサポートはしてくれるのだが)。

 外資系というかグローバル企業だったら、若手一般職社員全員という広い層にターゲットは置かないだろうと感じた。実際、この5年間、人材開発機能を再構築した時にまず手がけたのは会社の屋台骨を背負って立っている、そしてさらに成長することが期待される、幹部人材の選別と選抜的な教育育成だったからだ。そして、それは、戦略的な投資という意味での優先順位は、今でも変わらない。

 もちろん、たとえば現場のニーズを聞きに行くとか、管理職の部下育成能力を改善することによって全社的に人を育てる風土をつくるとか、方法論として同じものは見られた。

 現場のビジネス課題を研修やワークショップという方法論をはさんで問題解決につなげる組織開発(英語ではかつてOrganization Developmentと言っていたが、最近はPerformance ImrprovementとかPerformance Consultingと言っている)をかじっていると、その分野での方法論が出てこない分、人材開発の専門家として出てくる女性主人公にはまだまだ修行を積んで欲しいと思ってしまうのは……ちょっと採点が辛いかな?

『戦略プロフェッショナル』三枝匡

2007-09-08 22:18:19 | 読書
『戦略プロフェッショナル シェア逆転の企業変革ドラマ』三枝匡(日経ビジネス人文庫) リンク先はamazon.co.jp

 自分の読書歴からすると、単行本が出た1991年に読んでいてもおかしくない本なのだが、この年はちょうど自分がアメリカのコロンビア大学経営大学院に入学した時だった(93年にMBAを取得して卒業)。しばしば通った紀伊国屋書店に置かれていた記憶もあるが、ビジネススクールの聞きしにまさる読書やレポートの課題量に追われて、課題の読み物以外に手を出す余裕はなかったのだった。

 後回しにしているうちに今に至ったのだが、コロンビアに留学前に読んだ大前研一の『企業参謀』シリーズに匹敵する、企業戦略の入門書だと思う。また、小説仕立てになっているので、ハーバードビジネススクールをはじめとする欧米ビジネススクールのケースよりも臨場感をもって読めると思う。

 ちなみに、ビジネススクールのケーススタディという学習の方法論の是非については、またいずれ、ミンツバーグの著作をちゃんと読んだ上で考えてみたいものだ。自分個人の感覚としては、仮想の世界ではあっても自分をその環境に置いて考えるということさえできれば、有効な学習手段だと思っている。学習姿勢によっては、所詮は他人事で後付けの議論しかできない評論家で終わってしまうというリスクを内包していても、有効性はあると思う。

 ボストンコンサルティングがアベグレン博士のもとで日本法人を開設した時の若手コンサルタントのひとりで、スタンフォードMBAで、ベンチャーキャピタリストの経験があり、ターンアラウンドのスペシャリストで、あのミスミの代表取締役CEO。戦略コンサルティングと企業経営という、似て非なる立場のどちらでも成功しているというだけでも凄い人だと思う。

 ケースにとりあげている業界が自分のいる業界に近い(グループ会社のひとつが同じ業界で事業を展開している)ので、扱っている製品のビジネスモデルについては、すぐにわかってしまったが……要はコピー機業界と同じなのね、と。ただ、そのモデルを見抜いて自社の事業戦略に応用できたという点は、やはり凄いと思う。

『痛快! 心理学入門編』和田秀樹

2007-08-29 22:34:26 | 読書
『痛快! 心理学入門編 なぜ僕らの心は壊れてしまうのか』和田秀樹(集英社文庫) リンク先はamazon.co.jp

 表紙イラストがかわいいので甘く見ていたが、心理学の入門書としては読みやすく、かつ、大学生など初学者に興味が持てる内容をうまく盛り込んでいた。

 この手の入門書を何冊か読んでいる自分にしても、フロイトやユングの後にどんな学説が出てきたのかということを興味深く読むことができた。特にアメリカで広まった「ツー・パーソン・サイコロジー」という「関係性の心理学」、その流れの延長線上で出てきたコフートの自己愛心理学、クライン学派(よいオッパイ、悪いオッパイ)の対象関係論から派生するボーダーライン型人格障害の心理パターンの特徴、など、今までつまみ食いしてきた入門書では目にしなかった学説の流れも知ることができた。

 続編である『実践編』も続けて読むことにしよう。

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8/30追記。『痛快!心理学 実践編―どうしたら私たちはハッピーになれるのか』も続けて読了。

 入門編とダブった解説もあり、入門編ほどの新鮮さはなかった。ただ、認知心理学の項で解説された、頭の良さとはどういうことか、どうやったら頭が良くなるか、というところは面白かった。