ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

女性社員活用のカギは、家事や育児の分担を当然とする男性社員の心にあるのかも

2006-06-30 12:55:39 | しごと
 関心のある記事をクリップクリップ。

「大変未熟ですが全力投球します」では務まらない (日経ビジネスの記事から)

宮田秀明の「経営の設計学」
40代技術者を“未熟”と呼ぶ人材育成の不可解

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 そして「ダイバーシティ」関係連載記事。

治部 れんげ
女性管理職を増やすだけではダメ
P&Gに見るダイバーシティーマネジメント
これからのダイバーシティーマネジメントを考える(後編)


 日本企業の人事担当者はよく「女性社員は、本当に昇進したいのだろうか」という疑問を口にする。会社は“女性活用”したいのに、当の女性社員は及び腰で、自分から管理職になりたい人は少ないのだという。これでは、日本企業は女性を活用しきれない。
 
 しかし、ある米国企業で人事担当の上級管理職にこの話をすると、こんな答えが返ってきた。「その方がありがたい。日本企業が女性を活用しきれないなら、優秀な日本人女性がうちの会社に来てくれるだろうから…」。冗談めかしてはいたが、人材戦略の観点から見れば本音だろう。日本企業の変化が遅ければ遅いほど、外資が有利になるわけだ。


 確かに(苦笑)。

P&Gの「ダイバーシティフォーラム」は、5月19日、神戸にある日本本社セミナールームで朝から夕方まで丸一日を使って行われた。今年のテーマは「ライフステージの変化」。妊娠・出産や異動、転勤などに伴って起こる働き方や生活の変化にどう対応するかについて、社長から社員まで様々な立場から体験談を共有するのが目的だ。午前中は3本の講演、午後は4つのテーマの分科会が開かれた。自主的に参加した100人余りの社員に加え、自治体関係者や研究者、メディアなど社外からの見学者も多い。


 働く女性は、ライフステージの変化にともなって、働き方へのニーズも生活上のニーズも変化する。だから、それぞれのケースについて経験を共有する、というのは理にかなっている。

 かつてP&Gの中国拠点で働いていたチャタベディ社長は、ある時、部下の1人から「会社を辞めたい」と言われた。部下は10代の娘を持つシングルマザーで、娘と過ごす時間を増やしたがっていた。「娘は4年後に大学に進学し親元を離れる。今を逃すと彼女は娘と密にコミュニケーションを取る機会を失い、“寂しい母親”になってしまう」。こう考えたチャタベディ社長は、その部下に3カ月の休暇を与え「休んでいる間、会社にどんな施策を求めるか考えてほしい」と言った。結局、その部下は辞めずに仕事を続け、チャタベディ社長とP&Gの中国拠点は優秀なスタッフを失わずに済んだという。


 こういうケースに対して3ヶ月の休暇を与えるという姿勢が素晴らしい。日本企業だったら「規則も前例もないからできません」と言いそうだ^^;。

 午後に開かれた分科会「第一子誕生を迎える時」では、6人の社員が登場し体験を語った。子育て中の女性社員だけでなく、育児休暇を取得した男性社員、彼・彼女らの上司など様々な立場から意見や提案があった。通常、出産や子育てに関する企画では、どうしても女性社員のみに注目が集まりがちだ。しかしこの分科会を通じて、仕事と子育ての両立を可能にする環境がどういうものかよく分かった。カギは、男性社員も休みを取れる社風であること。そういう雰囲気の中では、男性の家事参加もごく普通のこととして会話に上ってくる。

 フォーラム当日、同社のある男性社員が「僕は社内結婚で、料理は大体僕が作ります」と言った。私が「えらいですね」と感心したら、すぐに横から人事部長が「そういう人は結構多いよねえ」と続けた。女性の社会進出と男性の家庭進出は、やはり同時に進んでいるのだ。


 育児にしても家事にしても、共同・分担を自然に受け容れる男性社員がいる……そのことを、女性が働き続けやすい企業の環境要因のひとつとして注目したいと思う。

 日本企業にとって、なかなか変えられないだろうが、そこまで手をつけなければ変えようがないのだ。



「ハリスコの芸術」再現なるか

2006-06-30 07:01:12 | 趣味
 週末、ワールドカップ準々決勝の対戦カードのひとつがフランス対ブラジル。

 すでに書いたことではあるが、20年前のワールドカップにおける同一カードでの同じく準々決勝が私をサッカーファンに変えた試合だ。会場だったスタジアムの名を取って「ハリスコの芸術」と呼ばれているそうだが……。

2006FIFAワールドカップ
伝説の試合
1986: ブラジル - フランス

英語版

 あれから20年、私を魅了したブラジルのカルテットの一角を占めていたジーコは日本代表の監督を4年勤め、ドイツ大会は一次リーグ敗退でブラジルに帰国した……昔日の感がある。

 今度のフランス対ブラジルは「ハリスコの芸術」を凌駕する試合になるだろうか。

Excel2007 早く使ってみたい

2006-06-29 13:18:23 | しごと
戸田覚の「仕事にすぐ効く!ITサプリ」
仕事に役立つ超進化Office 2007(1)〜グラフの表現力が飛躍的に向上したExcel 2007

 ベータ版のレビューを読んで、Excel2007を使うのが楽しみになった。私の場合、複雑な機能は使わないのだが、PowerPointに貼り付ける表などビジュアル性が向上されていたらありがたい。特に、セルの色塗りの選択肢が飛躍的に増大しそうなのが嬉しい(^^)。

『上手な怒り方』佐藤綾子

2006-06-28 20:05:51 | 読書
『上手な怒り方』佐藤綾子(PHP研究所) リンク先はamazon.co.jp

 管理職向けの研修プログラム開発のために読んだ。いわゆるアサーティブネス(相手と自分の人格を傷つけることなく自己主張するスキル)のハウツーのひとつだと思えばよい。

 感情に任せて怒ると相手を攻撃したり傷つけたりすることがある。無理に自分の感情を押し殺すと、不満がたまっていつか爆発したりすることもある。

 というわけで、怒り方にもハウツーがあるのだ。

 入門書としては具体的なハウツーがいくつも示されていて悪くないと思う。そんなに深い本ではないが、具体的なハウツーは何種類もあって、それなりに使える感じがする。

「リーダーシップは夫婦関係に学べ」

2006-06-28 13:20:11 | しごと
リーダーシップは夫婦関係に学べ
高橋俊介さんに聞く、今後求められるリーダーの姿(前編)


 「前編」に続いて「前編」となっているんですが(苦笑)。

人によって「ドライブ」やパーソナリティは異なるが、それを理解した上で互いに刷り合わせる努力をしなければいけない、と高橋さんは言う。「会社の上司や部下、同じチームの人に対して『なぜ私は、この人が嫌いなんだろう』と思うことがあるとします。その時、その人と自分の『ドライブ』やパーソナリティが違うからだ、と気づかないといけない」。自分の強い部分は、知って生かせばいい。相手の強い部分は尊重すればいい。相手が自分と同じように行動しなくても、「チームで一緒にやっていけばいいじゃないか」と思えるようになることが「人間力」の成熟につながり、それこそがリーダーに必要なものなのだ、と高橋さんは言う。


 人はそれぞれ違うことを前提にチームをつくる、これ基本ですね。

「つまり夫婦の性格が同じでも違っても、どっちにしてもめる。ということは、お互いに同じ部分や違う部分を理解しあいながら、一歩引いてみたり協力したりして、付き合っていかないといけない。それが『人間力』なのです」と高橋さんは言う。他人同士が一緒に住み、互いを理解しあうこと、これがリーダーとしての「人間力」を育てる。「だから、(事実婚であっても)結婚は絶対した方がいいですよ」と高橋さんは強調する。「これからは、ワークとライフの両方がなければいけない」と高橋さんはいう。


 まぁ結婚しなくても「人間力」を磨く方法はあるような気もしますけど(苦笑)。

 社会に出て5~6年、20代のうちは試行錯誤しながら幅広く、社会人として基礎的な人間力をつける。30代は、これはと思う分野を徹底的に伸ばし、自分のキャリアを作る時代。40代は、過去に投資したものを目に見える成果に変えていく。50代はガツガツやらず一歩引いて、部下を育てるなど自分のためだけでなく長期的、社会的に働いていくといい、と高橋さんは言う。 

 「自分は何によって『ドライブ』されているかを、しっかり見つめ直すことです。ただ、何か大きいことをやりたいと思った時には、ある程度のリーダーとしてのポジションにいなくてはできない。出世するのが目的ではないにしても、誰かに影響を与えるような仕事をしたい時には、やはりリーダーとしての道を行かざるを得ないことを覚悟してほしいですね」


 「出世するのが目的ではないにしても、誰かに影響を与えるような仕事をしたい時には、やはりリーダーとしての道を行かざるを得ない」……その通りだと思います。

 自分自身、35歳でリーダーとしての経験もほとんどなしにマネジャーになった時は、いろいろな意味で未熟だったために、結果も出せず、ストレスばかりかかって潰れそうになりました。ただ、その時の経験が無駄になったかといえばそうではなく、マネジャーを外れて3年間は自分を振り返り、そして模範になるようなマネジャーを見て、自分なりに意識的に学んでいました。

 再びマネジャーの地位がオファーされた時に、今の上司である人事部長は言いました。
「白牡丹(仮名)さん、ここは自分がやるしかないんじゃない?」
「う~ん、やっぱり、そうなりますかねぇ……」
「変なマネジャーが上に来たらやりにくくなるだけだしね」
「じゃ、まぁ、やってみます」
 ……という感じの、ちょっと気の抜けたような遣り取りで決まりました。

 前にマネジャーとなった時は、経験のなさに対して気負いが高かった分だけ、あれもできない、これもできていないと自分を追い込んでいくところが多かったという反省に立って、自然体で仕事をするというモットーになっていましたので。

 しかし、個々のプロジェクトの担当者というレベル以上のことをやりたいと思ったら、ラインのマネジャーになるしかなかったので、引き受けたのでした。30代後半の失敗や振り返りの経験があったからこそ、ラインマネジャーとして自分が何をして何を部下に任せるかという判断力もついてきていましたし、クライアント部門から話を聞き出してニーズにもとづいてサービスを提供するという仕事のスタイルもできるようになっていました。

 リーダーシップというのは学んで身につけられるものだと思います。いくつかの性格的な資質は問われるものがあると思いますが(自己愛傾向が強すぎるとか、他人の気持ちや感情に興味がないとか、そういう資質が組み合わされるとやはり問題を起こしますね……)その資質も自分で気づいて直せるだけの「メタ認知」力があれば改善できる、すなわち学んで身につけることができます。高橋さんの言う「人間力」と同じようでいて少し違うことを言っていると思いますが……。

久々に立花隆

2006-06-27 22:02:11 | 時事
 久々にキターという感じです。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
第76回 小泉演説を封印した一通の書簡「靖国問題はアメリカの問題」

アメリカにとって日本は、これまでアジア最大の政治的軍事的同盟国であり、第一の貿易相手国であり、切っても切れないほど強く結ばれたパートナー的関係にある国とみなしてきた。

しかし、ここにきてアメリカのその認識は大きく変わりつつある。

アメリカにとって米中関係はすでにきわめて大きなものになっていて、米日関係と比較したときに、これまでのように、単純に米日関係のほうが大事とすぐに決められない場面がいろいろと出てきている。

特にこの靖国問題のように、日本側の主張にアメリカにとって納得がいかない部分が含まれている場合には、アメリカがその言い分を支持して行動を起こすというようなことは基本的にしたくない。ことにその問題が関係国の間で、感情的に燃え上がりやすい要素を含んでいる場合には、アメリカは手を出したくない。

アジアにおいて日本は基本的にアメリカと一体の国とみなされている。しかし、日本と一体と見られることがアメリカの戦略上アメリカに不利となる場合には、アメリカは日本と行動を共にすべきではない。そして靖国問題はそのようなケースだという判断がジアラ氏の考えの基本にある。


 小泉首相はすでに意地としか見えない靖国参拝をもって日米関係にもヒビを入れてしまうのだろうか、と、暗澹たる思いです。

「夫の海外転勤で辞めないで 丸紅、最長3年の休職制度」

2006-06-27 21:18:33 | しごと
夫の海外転勤で辞めないで 丸紅、最長3年の休職制度

 丸紅は26日、配偶者が海外転勤になった場合でも、社員が退職しなくても済むように、最長3年間の休業を認めるなど、社員の育児・介護を支援する制度を強化すると発表した。7月から適用する。
 丸紅によると、配偶者の転勤に伴う休業制度は日本企業では珍しい。「少子化を見据えた労働力の確保や、女性社員の活用が目的」としている。


 共働き夫婦が増えていく中、必要な施策だと思います。

 ただ、ひとつ質問。「妻の海外転勤に伴う夫への措置」はつくる予定がないのでしょうか?

サッカー徒然

2006-06-27 21:18:17 | 趣味
yahoo!W杯特集
シュタディオンは呼吸する 小宮良之
ローマの王の行方――フランチェスコ・トッティは世界の王になれるのか

 イタリアにおいて、1990年代からいままで絶対的エースとされたふたりの男がいる。

 ロベルト・バッジョ。吸い込まれそうな瞳をした天才は1990年W杯で3位、1994年W杯で準優勝という結果を残す。“無冠の帝王”とも揶揄され、長年にわたってプレーしたユヴェントスでもいつも2位に甘んじたものの、その存在感は英雄とするにふさわしかった。1994年W杯においては、たったひとりでチームを決勝に導く姿は神々しくさえあり、その悲劇性は1990年W杯で沈みかけたチームを救ったディエゴ・マラドーナとも重なった。

 バッジョと入れ替わるように台頭した貴公子が、アレッサンドロ・デルピエーロだ。彼は対照的にタイトルコレクター。ユヴェントスでは幾度もチャンピオンズリーグとスクデットを勝ち取り、クラブ世界王者にもなった。小気味のいいボールタッチと屈強なボディコンタクト、そしてここぞという場面でゴールを決める決定力が融合したプレーは、人々に深く愛される。勝利を求めるときの気迫や執念がとにかく凄まじい。

 ローマの王はスクデットこそ勝ち取ったものの、チャンピオンズリーグでは上位に進んだ経験はない。彼の成功の範疇はイタリアに限られ、越境することができずにいる。彼にはバッジョのような悲劇性も、デルピエーロのような絶対的勝利者としての風格もまだ身に付いていない。


片野道郎の列強Voice「イタリア」
第3回 アズーリ中間考査

◇トッティ(FW):5
2月の足首骨折から復帰して、まだコンディションは75%。試合を重ねるごとに感覚を取り戻しつつあるとはいえ、運動量の少なさ、ラストパスの精度にまだまだ課題が残る。ここからの復調度合いが、イタリアがどこまで前進できるかの鍵を握る。

(中略)

◇デル・ピエーロ(FW):6.5
音信不通。


 デル・ピエーロのファンとしては、昨日のトッティのPKでオーストラリアを下したことが嬉しい反面、デル・ピエーロと交替したトッティが脚光を浴びるのはちと悔しかったりする。

イタリア代表のデルピエロ「僕でも決めたと思う」

 割と冷静にコメントされているようですが。

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ジダンが壊した扉保存へ 独のサッカー競技場

競技場関係者は「国際サッカー連盟(FIFA)に弁償してもらおうとも思ったが、熟慮の結果、サッカー史上、最も偉大な選手の1人にけられてへこんだ扉は保存することにした」と説明した。


 こういうユーモア感覚、好きだなぁ。

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「オシム監督就任」は、JFAのカウンター攻撃
手玉にとられたスポーツメディア

山城 敬

 川淵キャプテン批判が噴出しかかった頃合いの「失言」に始まるオシム監督就任、私も単なる「失言」とは思っていませんでした。

 もちろん、サッカーファンが川淵キャプテンに「辞任」を求めるのは、このような比喩に頼らなくても当然の感情でしょう。しかし、私は今回の件で川淵キャプテンが「辞任」の形で責任を取る必要はない、と考えています。

 川淵氏は、Jリーグ発足以来、強力な指導力で一貫してサッカーの振興とファン拡大に努力してきました。JFAキャプテンに就任してからも、その収入を大幅に拡大し、それを若年層や女子などこれまで日の当たりにくかったさまざまなカテゴリーのサッカー選手へと還元しています。これらの取り組みは未だ緒についたばかりであり、同氏にはこの仕事を続けてもらわないといけません。

 さらに重要な事は、同氏も口にしている通り「代表監督が辞めたら会長も辞任という前例を作ってはならない」からです。

 日本代表チームは、未だ世界レベルで常に勝てる、というには程遠い状況にあります。次回の南アフリカW杯からは、アジア予選にオーストラリアが参加することもあり、出場そのものが難関になるでしょう。

 先ほどの企業の比喩でいえば、主要部門の国内売り上げは絶好調にもかかわらず、海外市場においては大赤字を計上している、といったところ。今後はまたいつ「惨敗」の2文字を見なければならない状況に陥いるか、わからないのです。

 そのような現在、「代表敗退→会長辞任」の前例を作れば、今後代表の敗退が即会長人事に結びつき、JFAは不必要に頻繁なトップ交代を続ける団体になりかねません。


 日本においてのサッカーは、野球などに比べれば、未だ新興スポーツです。そこでは長期的な視野に立った施策を必要としています。さらに、頻繁な人事による人材枯渇は、監督官庁である文科省や政治家からの介入を招き、天下り先として格好の餌食となるでしょう。

 年間予算150億円以上のスポーツ団体が、外部からの介入を最小限に抑えながら運営されている事は、官僚国家・日本では「奇跡的」なことなのです。

 天下りの役人や政治家が跋扈する協会を選ぶのか、それとも、あくまでプレーヤーやファンに支えられた、自立したJFAを維持するのか。この問題はそのような側面もはらんでいるのです。

 もちろん、川淵氏の結果責任は問われるべきす。しかし、それは辞任という究極のものではなく、他の面で行われるべきではないでしょうか。期間を区切った報酬の一部、もしくは全部の返上など、他の選択肢があるはずです。川淵氏はJFA発足以来、始めての「報酬を得た」専任の会長です。その報酬は選手からの登録費収入や、スポンサーからの収入、つまりファンからの間接的な投資を基にしているのですから、こういった考えもあながち的外れだとは思わないのです。


 私も天下りの役人がトップにつくぐらいなら川淵キャプテン続投の方がましだと思っています。

父親は家族に回帰するのか

2006-06-27 13:17:36 | 時事
 家族同士における痛ましい事件が続く中、父親の家族志向を描く連載記事を読んだ。

あいはらひろゆきの「家族ブランディング」
第一回 会社から家へ、居場所を求める父親が家族を変える

むしろ、子どもの学力低下のその先に広がる、日本社会そのものの「地盤沈下」に対する言い知れぬ危機感と言ったほうがいい。「地盤沈下」とは、言うまでもなく「下流社会」の拡大のことである。

子どもたちの学力・学習意欲の低下と下流化の進行とが不気味に重なり合う状況は誰の目にも明らかだ。岐阜県・中津川の女子殺害事件や今回の秋田の事件のような「下流社会型犯罪」とでも呼ぶべき事件も頻発する。今、子どもたちは下流化の波に飲み込まれようとしているのだ。

過熱する「教育ブーム」は、実は下流社会から子どもたちを、そして家族を守るための戦いなのだ。そして、その戦いに今父親たちが積極的に加わりはじめたのだと私は考えている。


 何をもって「下流社会」と定義するのか、そして個々の事件の中にある要因の何をもって「下流社会型」と言うのか、筆者の意図は私にはわかりかねる。

 だが、第二回の連載はなかなか面白かった。

第二回 なぜ今、「家族」なのか?

所得格差の広がりや下流化の流れの中で、家族を維持することもままならないと言われる時代。育児負担や生活不安で、家族を持つことすら躊躇される時代。そんな時代に、なぜ家族が注目されるのだろうか。

いや、むしろ、そういう時代だからこそ、家族に熱い注目が集まるのだと私は考える。

格差社会においては、かつては当たり前だった「しあわせな家族」が、なかなか手に入れることのできないプレミアム(希少価値)なものになる。少子化により、子どもの存在そのものがプレミアム化する一方で、幼児虐待やネグレクト(養育放棄)など子育ての困難さもまた浮き彫りになっている。

子どもには価値があるが、育てるのは大変だ──。そうした認識が社会に蔓延すればするほど、子どもとのしあわせな関係自体は、強いあこがれの対象となりつつあるのだ。


 「しあわせ家族」は贅沢品というか貴重なものだというわけか……まぁねぇ、日本の家族の80パーセントは機能不全家族だという本(別に統計を取ったのではなく、臨床心理をやっている医師の感覚で、ではあるが)を読んだばかりだったし。

我々の調査(読売広告社NEOパパ研究プロジェクト)でも、既にその夢をあきらめてしまった、いわばサバイバル負け組の父親たちが半数近くいることがわかっている。彼らは、経済的に苦境に立たされているだけでなく、家庭内でのコミュニケーションや愛情関係も喪失してしまっており、もはや会社にも家族にも「しあわせ」を求められなくなっているのだ。

そういった厳しい現実が一方であるから、よけいに「家族という夢」を追い求める父親たちのサバイバルは過熱するのである。


 経済的に苦境に湯立たされているだけでなく、家庭内でのコミュニケーションや愛情関係も喪失してしまった「サバイバル負け組の父親」……悲惨な響きがあるなぁ。でも、家族内でのコミュニケーションや愛情関係を喪失してしまったのは、信頼関係が破綻してしまうまで家族とのコミュニケーションや心の繋がりの確認を怠ってきた父親が悪い、と思ってしまう……機能不全家族に育って、いまだに父親と確執を抱えている娘の言い草ですが。