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「大変未熟ですが全力投球します」では務まらない (日経ビジネスの記事から)
宮田秀明の「経営の設計学」
40代技術者を“未熟”と呼ぶ人材育成の不可解
☆★☆★
そして「ダイバーシティ」関係連載記事。
治部 れんげ
女性管理職を増やすだけではダメ
P&Gに見るダイバーシティーマネジメント
これからのダイバーシティーマネジメントを考える(後編)
確かに(苦笑)。
働く女性は、ライフステージの変化にともなって、働き方へのニーズも生活上のニーズも変化する。だから、それぞれのケースについて経験を共有する、というのは理にかなっている。
こういうケースに対して3ヶ月の休暇を与えるという姿勢が素晴らしい。日本企業だったら「規則も前例もないからできません」と言いそうだ^^;。
育児にしても家事にしても、共同・分担を自然に受け容れる男性社員がいる……そのことを、女性が働き続けやすい企業の環境要因のひとつとして注目したいと思う。
日本企業にとって、なかなか変えられないだろうが、そこまで手をつけなければ変えようがないのだ。
「大変未熟ですが全力投球します」では務まらない (日経ビジネスの記事から)
宮田秀明の「経営の設計学」
40代技術者を“未熟”と呼ぶ人材育成の不可解
☆★☆★
そして「ダイバーシティ」関係連載記事。
治部 れんげ
女性管理職を増やすだけではダメ
P&Gに見るダイバーシティーマネジメント
これからのダイバーシティーマネジメントを考える(後編)
日本企業の人事担当者はよく「女性社員は、本当に昇進したいのだろうか」という疑問を口にする。会社は“女性活用”したいのに、当の女性社員は及び腰で、自分から管理職になりたい人は少ないのだという。これでは、日本企業は女性を活用しきれない。
しかし、ある米国企業で人事担当の上級管理職にこの話をすると、こんな答えが返ってきた。「その方がありがたい。日本企業が女性を活用しきれないなら、優秀な日本人女性がうちの会社に来てくれるだろうから…」。冗談めかしてはいたが、人材戦略の観点から見れば本音だろう。日本企業の変化が遅ければ遅いほど、外資が有利になるわけだ。
確かに(苦笑)。
P&Gの「ダイバーシティフォーラム」は、5月19日、神戸にある日本本社セミナールームで朝から夕方まで丸一日を使って行われた。今年のテーマは「ライフステージの変化」。妊娠・出産や異動、転勤などに伴って起こる働き方や生活の変化にどう対応するかについて、社長から社員まで様々な立場から体験談を共有するのが目的だ。午前中は3本の講演、午後は4つのテーマの分科会が開かれた。自主的に参加した100人余りの社員に加え、自治体関係者や研究者、メディアなど社外からの見学者も多い。
働く女性は、ライフステージの変化にともなって、働き方へのニーズも生活上のニーズも変化する。だから、それぞれのケースについて経験を共有する、というのは理にかなっている。
かつてP&Gの中国拠点で働いていたチャタベディ社長は、ある時、部下の1人から「会社を辞めたい」と言われた。部下は10代の娘を持つシングルマザーで、娘と過ごす時間を増やしたがっていた。「娘は4年後に大学に進学し親元を離れる。今を逃すと彼女は娘と密にコミュニケーションを取る機会を失い、“寂しい母親”になってしまう」。こう考えたチャタベディ社長は、その部下に3カ月の休暇を与え「休んでいる間、会社にどんな施策を求めるか考えてほしい」と言った。結局、その部下は辞めずに仕事を続け、チャタベディ社長とP&Gの中国拠点は優秀なスタッフを失わずに済んだという。
こういうケースに対して3ヶ月の休暇を与えるという姿勢が素晴らしい。日本企業だったら「規則も前例もないからできません」と言いそうだ^^;。
午後に開かれた分科会「第一子誕生を迎える時」では、6人の社員が登場し体験を語った。子育て中の女性社員だけでなく、育児休暇を取得した男性社員、彼・彼女らの上司など様々な立場から意見や提案があった。通常、出産や子育てに関する企画では、どうしても女性社員のみに注目が集まりがちだ。しかしこの分科会を通じて、仕事と子育ての両立を可能にする環境がどういうものかよく分かった。カギは、男性社員も休みを取れる社風であること。そういう雰囲気の中では、男性の家事参加もごく普通のこととして会話に上ってくる。
フォーラム当日、同社のある男性社員が「僕は社内結婚で、料理は大体僕が作ります」と言った。私が「えらいですね」と感心したら、すぐに横から人事部長が「そういう人は結構多いよねえ」と続けた。女性の社会進出と男性の家庭進出は、やはり同時に進んでいるのだ。
育児にしても家事にしても、共同・分担を自然に受け容れる男性社員がいる……そのことを、女性が働き続けやすい企業の環境要因のひとつとして注目したいと思う。
日本企業にとって、なかなか変えられないだろうが、そこまで手をつけなければ変えようがないのだ。