「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」
確かに、「危機にさらされている・危機が差し迫っている」ということを認知できるかどうか、そして咄嗟に対処できるか、というのはむずかしい。
阪神大震災の時、私はベッドでうつらうつら眠っていたが、地鳴りを聞いた。瞬間に「地鳴り=震度5以上かも」と思った。ベッドの下に潜ろうかとも思ったが、すぐに横揺れが来た。左右に30センチほども揺られるような感覚だった。とても動けなかった。
動けない間に考えたのは、まず頭上の危険だった。当時住んでいたアパートは、ベッドの上がロフトになっていた。頭上は筋交いが入っているのと同じで多少のことでは潰れないだろうと思った……やっぱり楽観的に考えるバイアスが働いたのかも知れない。
震度5程度の揺れは確実にあったが、私の場合は幸いにも住宅の内壁に亀裂が入る程度の被害で済んだし、割れ物ひとつなかった。直後に小銭を持ち出してグリーンの公衆電話を探して(グレー電話は非常時に停電で使えないと思った)東京の実家に無事だという連絡を入れた。ライフラインでは、間もなく電気が復旧し、周辺にガス漏れがなくガスも当日から使えた。翌日に最寄り駅からの交通が回復した。水道管が破裂して水道の回復に2週間かかり、復旧するまでは近くの破裂した箇所に水汲みに行ったということだけが唯一の困りごとだった。
だが、周辺では半倒壊した家屋もあったし、2キロほど離れたところでは火災でかなりの数の住宅が燃えた。そして阪神地域で6千人ほどの方々がなくなった。
地震の瞬間は自分としてはかなり冷静な行動を取ったと思うのだが、もしももっと深刻な状態だったら冷静に振舞えたかどうか……自信がない。
筆者は片田氏の講演で初めて知ったのだが,「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価してしまう人の特性」を「正常化の偏見(normalcy bias)」と呼ぶそうだ。
講演では具体例の一つとして,交通事故と宝くじのそれぞれに対して抱く,期待(不安)の違いが挙げられた。交通事故に遭って死亡する確率は,宝くじの1等に当選するより高い。にもかかわらず,会社からの帰りに車にはねられると考えている人はほとんどいない。一方で,宝くじには当選を期待して,多くの人々が人気の売り場に行列を作る。
そのほか,建物内で非常ベルが鳴っても,すぐに逃げ出そうとする人がいないことも,正常化の偏見の表れだという。ほとんどの人は,非常ベルに加えて,非常事態を裏付ける他の情報がないと,本当の非常事態だとは判断しない。逆に,非常ベルだけで逃げ出そうものなら,「慌て者」と笑われてしまうおそれさえあるとする。
確かに、「危機にさらされている・危機が差し迫っている」ということを認知できるかどうか、そして咄嗟に対処できるか、というのはむずかしい。
阪神大震災の時、私はベッドでうつらうつら眠っていたが、地鳴りを聞いた。瞬間に「地鳴り=震度5以上かも」と思った。ベッドの下に潜ろうかとも思ったが、すぐに横揺れが来た。左右に30センチほども揺られるような感覚だった。とても動けなかった。
動けない間に考えたのは、まず頭上の危険だった。当時住んでいたアパートは、ベッドの上がロフトになっていた。頭上は筋交いが入っているのと同じで多少のことでは潰れないだろうと思った……やっぱり楽観的に考えるバイアスが働いたのかも知れない。
震度5程度の揺れは確実にあったが、私の場合は幸いにも住宅の内壁に亀裂が入る程度の被害で済んだし、割れ物ひとつなかった。直後に小銭を持ち出してグリーンの公衆電話を探して(グレー電話は非常時に停電で使えないと思った)東京の実家に無事だという連絡を入れた。ライフラインでは、間もなく電気が復旧し、周辺にガス漏れがなくガスも当日から使えた。翌日に最寄り駅からの交通が回復した。水道管が破裂して水道の回復に2週間かかり、復旧するまでは近くの破裂した箇所に水汲みに行ったということだけが唯一の困りごとだった。
だが、周辺では半倒壊した家屋もあったし、2キロほど離れたところでは火災でかなりの数の住宅が燃えた。そして阪神地域で6千人ほどの方々がなくなった。
地震の瞬間は自分としてはかなり冷静な行動を取ったと思うのだが、もしももっと深刻な状態だったら冷静に振舞えたかどうか……自信がない。