このことわざが、滋賀県琵琶湖での故事を基にしていることを初めて知りました。
「危険な方法よりも、一見迂遠でも着実な方法をとったほうがよい」
京都に東から行くために、鉄道や自動車道路が無い時代は、この「瀬田の唐橋」を渡るか、少し近道となる「矢橋(やばせ)」の港から船で大津に行くかの方法があったのです。
(現在の「瀬田の唐橋」)
渡船のほうが早いのですが、比叡山から吹き降ろす風により沈没したり欠航したりしたことが多かった。つまり、多少、遠周りになっても橋をわたるほうがいいとされました。
「武士(もののふ)の やはせのふねは はやくとも いそかはまわれ せたのなかはし」と、室町時代の連歌師「宗長」が詠んで、その一部がことわざとして伝承されました。瀬田の「長橋」がその後「唐橋」となりました。
琵琶湖水位の観測は、近代から現代にかけても治水上大変重要でした。明治政府は外国から測定器を購入して、ここ唐橋の横に観測所を作りました。これも貴重な産業遺産です。
「危険な方法よりも、一見迂遠でも着実な方法をとったほうがよい」
京都に東から行くために、鉄道や自動車道路が無い時代は、この「瀬田の唐橋」を渡るか、少し近道となる「矢橋(やばせ)」の港から船で大津に行くかの方法があったのです。
(現在の「瀬田の唐橋」)
渡船のほうが早いのですが、比叡山から吹き降ろす風により沈没したり欠航したりしたことが多かった。つまり、多少、遠周りになっても橋をわたるほうがいいとされました。
「武士(もののふ)の やはせのふねは はやくとも いそかはまわれ せたのなかはし」と、室町時代の連歌師「宗長」が詠んで、その一部がことわざとして伝承されました。瀬田の「長橋」がその後「唐橋」となりました。
琵琶湖水位の観測は、近代から現代にかけても治水上大変重要でした。明治政府は外国から測定器を購入して、ここ唐橋の横に観測所を作りました。これも貴重な産業遺産です。