京都府の南端、井手町。その真ん中を流れる玉川は「平成の名水百選」に選ばれたと書かれていました。
古くから多くの文学に登場しています。例えば:
現在では桜と山吹が町の自慢となっています。
川岸ではお孫さんを遊ばせる年配の夫妻や、赤ちゃんをつれたママ友たちのグループも花見を楽しんでいました。
そのまわりには白と黄色の小さな蝶が数匹舞っていました。
朝堀たけのこの即売も店開きしていて、どんどんと売れていました。
昨日ブログに書いた地蔵禅寺の境内で机に並べて売っていた「竹の子すし」、外側がゆでた若竹の子で中に寿司飯を詰めたもの。とてもおいしかった。でも写真に撮るのを忘れた、来年また買いに行こう、草餅もよかったし。
老人ホームの方々が車いすを並べて花見をしています。満開の花の下でお世話係のひとたちも楽しそうでした。
~~
源氏物語 「胡蝶」の巻 与謝野晶子(訳) 出典:青空文庫
三月の二十日(はつか)過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。
築山(つきやま)の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔(こけ)の色などを、ただ遠く見ているだけでは飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。
船下(お)ろしの最初の日は御所の雅楽寮の伶人(れいじん)を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。
去年の秋「心から春待つ園」の挑戦(ちょうせん)的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王(にょおう)も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬(みさき)の小山が隔てになっているのを漕(こ)ぎ回らせて来るのであった。
東の釣殿(つりどの)へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取(かじと)り、棹取(さおと)りの童侍(わらわざむらい)は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那(しな)風の小童に仕立ててあった。
大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望(ちょうぼう)をするのであったが、ちょっとした岩の形なども皆絵の中の物のようであった。
あちらにもそちらにも霞(かすみ)と同化したような花の木の梢(こずえ)が錦(にしき)を引き渡していて、御殿のほうははるばると見渡され、そちらの岸には枝をたれて柳が立ち、ことに派手(はで)に咲いた花の木が並んでいた。
よそでは盛りの少し過ぎた桜もここばかりは真盛(まさか)りの美しさがあった。
廊を廻った藤(ふじ)も船が近づくにしたがって鮮明な紫になっていく。
池に影を映した山吹(やまぶき)もまた盛りに咲き乱れているのである。水鳥の雌雄の組みが幾つも遊んでいて、あるものは細い枝などをくわえて低く飛び交(か)ったりしていた。鴛鴦(おしどり)が波の綾(あや)の目に紋を描いている。
写生しておきたい気のする風景ばかりが次々に目の前へ現われてくるのであったから、仙人(せんにん)の遊戯を見ているうちに斧(おの)の木の柄が朽ちた話と同じような恍惚(こうこつ)状態になって女房たちは長い時間水上にいた。
(以下略)
古くから多くの文学に登場しています。例えば:
源氏物語「胡蝶」の巻
”春の池や 井手の川瀬にかよふらむ 岸の款冬(山吹)そこも匂へり”
”春の池や 井手の川瀬にかよふらむ 岸の款冬(山吹)そこも匂へり”
現在では桜と山吹が町の自慢となっています。
川岸ではお孫さんを遊ばせる年配の夫妻や、赤ちゃんをつれたママ友たちのグループも花見を楽しんでいました。
そのまわりには白と黄色の小さな蝶が数匹舞っていました。
朝堀たけのこの即売も店開きしていて、どんどんと売れていました。
昨日ブログに書いた地蔵禅寺の境内で机に並べて売っていた「竹の子すし」、外側がゆでた若竹の子で中に寿司飯を詰めたもの。とてもおいしかった。でも写真に撮るのを忘れた、来年また買いに行こう、草餅もよかったし。
老人ホームの方々が車いすを並べて花見をしています。満開の花の下でお世話係のひとたちも楽しそうでした。
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源氏物語 「胡蝶」の巻 与謝野晶子(訳) 出典:青空文庫
盛りなる御代(みよ)の后(きさき)に金の蝶(ちょう)
しろがねの鳥花たてまつる
晶子
しろがねの鳥花たてまつる
晶子
三月の二十日(はつか)過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。
築山(つきやま)の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔(こけ)の色などを、ただ遠く見ているだけでは飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。
船下(お)ろしの最初の日は御所の雅楽寮の伶人(れいじん)を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。
去年の秋「心から春待つ園」の挑戦(ちょうせん)的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王(にょおう)も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬(みさき)の小山が隔てになっているのを漕(こ)ぎ回らせて来るのであった。
東の釣殿(つりどの)へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取(かじと)り、棹取(さおと)りの童侍(わらわざむらい)は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那(しな)風の小童に仕立ててあった。
大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望(ちょうぼう)をするのであったが、ちょっとした岩の形なども皆絵の中の物のようであった。
あちらにもそちらにも霞(かすみ)と同化したような花の木の梢(こずえ)が錦(にしき)を引き渡していて、御殿のほうははるばると見渡され、そちらの岸には枝をたれて柳が立ち、ことに派手(はで)に咲いた花の木が並んでいた。
よそでは盛りの少し過ぎた桜もここばかりは真盛(まさか)りの美しさがあった。
廊を廻った藤(ふじ)も船が近づくにしたがって鮮明な紫になっていく。
池に影を映した山吹(やまぶき)もまた盛りに咲き乱れているのである。水鳥の雌雄の組みが幾つも遊んでいて、あるものは細い枝などをくわえて低く飛び交(か)ったりしていた。鴛鴦(おしどり)が波の綾(あや)の目に紋を描いている。
写生しておきたい気のする風景ばかりが次々に目の前へ現われてくるのであったから、仙人(せんにん)の遊戯を見ているうちに斧(おの)の木の柄が朽ちた話と同じような恍惚(こうこつ)状態になって女房たちは長い時間水上にいた。
風吹けば浪(なみ)の花さへ色見えて
こや名に立てる山吹の崎(さき)
春の池や井手の河瀬(かはせ)に通ふらん
岸の山吹底も匂(にほ)へり
亀(かめ)の上の山も訪(たづ)ねじ船の中に
老いせぬ名をばここに残さん
春の日のうららにさして行く船は
竿(さを)の雫(しづく)も花と散りける
こや名に立てる山吹の崎(さき)
春の池や井手の河瀬(かはせ)に通ふらん
岸の山吹底も匂(にほ)へり
亀(かめ)の上の山も訪(たづ)ねじ船の中に
老いせぬ名をばここに残さん
春の日のうららにさして行く船は
竿(さを)の雫(しづく)も花と散りける
(以下略)