雷現象が自然界の電気で発生していることは、ようやく欧米で18世紀なかごろになって知られるようになった。日本にはそれより遅い時期に知見がもたらされて、「避雷針」が使われるようになった。この用語は明治期に意訳したものと思われる。英語では Lightning rod であるので、単に雷棒の意味であり、「(落雷被害を)避ける」とはなっていない。
雷現象が自然界の電気で発生していることは、ようやく欧米で18世紀なかごろになって知られるようになった。日本にはそれより遅い時期に知見がもたらされて、「避雷針」が使われるようになった。この用語は明治期に意訳したものと思われる。英語では Lightning rod であるので、単に雷棒の意味であり、「(落雷被害を)避ける」とはなっていない。
木屋町二条南にこの博物館があります。昔の友人達と見学しました。
高瀬川の一之船入のすぐとなりです。
この人物が創業者、初代島津源蔵氏。明治時代、「科学立国」の理想に燃えてこの企業を創業しました。
電気を使って明かりを灯す、電気卵です。
それまでは、蝋燭(ろうそく)か、灯油ランプが夜間の明かりでした。
初代源蔵氏は、仏具製造業の家に生まれたのですが明治時代、首都が東京に移転した京都で政府の舎密局(セイミキョク:理化学研究所)に通い知識を深め、教育用理化学器械の製造を開始しました(明治8年)。
電信の受信機。アメリカでモールスが電信による通信機を発明し、その後比較的早い時期に日本にも電信機がもたらされました。最初は、ペーリ提督により電信のデモがなされ、徳川将軍に機器が贈呈されました。逓信博物館(東京大手町)にレプリカが展示されています。
避雷針の模型。実際は「避雷」というよりは、誘導して雷の高電圧を太い電線で地中に流し、建物へ流れる電流の熱が引き起こす火事を避ける役割です。ですから「誘雷針」という言葉が適切かもしれません。
この発明がされるまでは、落雷の発生原理が不明だったので、寺院ではお堂天井に龍を描いて雷神を忌避する(龍神は雷神のライバル)お呪いにたよるしかありませんでした。
蓄音機。ただし、エジソン製?
電池。希硫酸溶液に2種類の金属を浸すと電気が生じます。
この技術が発展して、分社化で「GSユアサ」電池会社につながっているとのこと。
GSとは、島津源蔵のイニシャルです。
GSマークがついた扇風機。
高すぎて全く売れなかったらしい。そのため、以降も家庭用電化製品には手を出さなかった会社です。
扇風機では、戦後「GE東芝」製が普及しました。昔、祖父の家にもあった。
立体写真を見るための道具。いわゆる、ステレオ写真で、左右の画像が少しずれているので立体に見えます。
これと同様の機器を、一緒に見学した友人はスイスで購入したことがあると言っていました。
小中学校の理科教材各種。人体解剖模型、キノコ模型など。
その延長で、マネキンも作ったらしい。当時の日本人の身長、体重ではなくて、西洋人サイズにした。
年代別の製品群、ポスターなど。
島津マネキンのポスター。現在はこれも分社化して、まったく別の会社になっています。
戦前に特に重要な製品は、レントゲン装置でした。ドイツから招いた博士に習って装置を製造したとのことです。病気診断には画期的な装置でしたが、当初は医師も患者のすぐ後ろで画像を観察したのでX線被爆が避けられませんでした。
その後、X線写真に進歩します。現代は電子画像でデジタルになって記録されます。
現代では、航空機の内部に使用される装置も製造しています。これは気圧調整機能を有する航空機用エアコンです。
科学あそびのコーナー。円筒形鏡で見るイラスト画。
斜面になった溝を自分で登ってくる物体。永久機関かな? (実は、右側のV字器具の実験でした、撮影忘れ)
GSの電池を使用した電気自動車。すでに戦前に試作していますが、電池技術が未発達だったので価格的にも実用化はできませんでした。
X線装置の操作盤。
X線を発生する真空管。
高電圧発生装置です。ヤマハに委託して制作してもらった高級な木製キャビネットに収められています。
源蔵氏が部下に書き残した戒めが残っています。この文章の前に「事業の邪魔になる人」の15か条があります。
第5条などは現代のイクメンそのものです。ボクの現役時代には教えてもらえなかった。汗
とても参考になる博物館でした。
~~ 追記(2016.11.08)
ノーベル賞受賞(2002年)の田中耕一さんは、この会社の社員なので、慎ましく会社の業績案内のポスター展示にありました。
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