朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

サンタマラソン

2008-12-24 | 京都の文化(冬)
おや、オバマ次期大統領もサンタの服装で応援ですか。

 12月23日(天皇誕生日祝日)は天候も回復し好天になりました。
 鴨川の河原で「サンタクロースマラソンin京都」(第7回だそうです)が開催されました。純粋にボランティア企画の模様です。
 沢山のサンタさん、友人たちや家族で走ったり歩いたりしていました。
 安全と準備の都合で事前申し込み120人限定なので、そんなに大勢ということはなかったですが、どこかユーモラス。
 いいですね、不景気を吹き飛ばして、健康を増進しましょう。





この写真は、四条大橋から三条の方向です。

 
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散りもみじ

2008-12-23 | 京都の文化(冬)
まだ、残っていました。
 北白川の鎮守の森、北白川天神宮(てんしんぐう)の参道石段に雨で濡れた落ち葉が敷き詰められていました。昨夜(21日)木枯らし交じりの雨で最後の紅葉が落ちたのでしょう。(てんじんぐう、ではなくて!)
 百数十段ある石段を登り本殿にいくと、境内の落ち葉の掃除をしていた宮司さんが、手を止めて、神社の由緒を話してくれました。相当に格が高くかつては礼儀作法に厳しい神社であったとのこと。本殿が西向きに建てられているのは、大変珍しい。普通は南向きだそうです。その由来も伺いました。本殿の後背から日が昇るようにしました。
 神社の直ぐ前には白川が流れていて、昔は麓には白い砂が広がっていたので素足で参拝した。(今はコンクリートで箱型に護岸された掘割になって流れています。この流れが祗園まで続いています)
 比叡山南側の峠を越えて滋賀県大津に抜ける道が通じています。
 「白川女」の里ですね、都に花を売りに行った伝統があります。一方、男は石工だとのこと。滋賀県側の坂本にも石屋の歴史があります。木造建築が主体だった中世近世において、加工の難しい石材を使用した建築技術は当時のハイテクであったのでしょう。 






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冬至のしきたり

2008-12-22 | 京都の文化(冬)
12月21日は冬至でした。
 南瓜を食べると、健康に過ごせるとか。
 京都の市内北部、衣笠あたりにあるお不動さんで「かぼちゃ焚き」がありました。
 参詣して、かぼちゃと漬け物をいただきました。甘く、よく味が浸み込んでいてとても美味しかったです。護摩の木も頂いて、氏名や祈願を記載したところ、さっそく本堂に中で燃やして祈念にてくださいました。
 自宅に戻ってからは、お風呂にゆずを入れて、柚子湯にしました。
...
 以前の記事に書いたのですが、冬至は日中時間が一番短いのですが、日出日没時刻は多少ずれます。
 ここ京都では、冬至の日出が 07:01 、日没が 16:49。例えば、12月5日の日没は16:45なので、すでに4分遅くなっていて、つまり暗くなるのが12月上旬より冬至では少し遅い(一見、昼間が「長い」)。また、来年1月7日の日出は07:05なので、冬至より明るくなるのは4分遅くなります。

  

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西陣の「ろーじ」

2008-12-21 | 京都の文化(冬)
入り組んだ細い西陣の町を、ぷらぷら歩いていて、こんなろ~じに行き当たりました。
 三上さんの路地です。
 昔は、こんな路地が沢山あったそうですが、どんどん消滅して、マンションや事務所ビルに作り変えられています。
 ろーじの突き当たりが大家さんの家。両側が長屋で借家、店子さんですが、古い町家は設備が古いのでそのままでは住み心地が良くない。改造するには、特に外観を保存しての修理は相当高価につきます。すき間風で空調の効率も悪いだろうし。
 にもかかわらず、あえてこんな借家を積極的に活用して、住み込む、仕事場にする、お店にするなどの若者たちが増えてきたそうです。
 このハチミツ屋さんはその草分け。
 驚くほど多くの種類の蜂蜜がありました。試食もさせていただけるので、アカシア、れんげ(蜂蜜の王様だそう)、そば(ダークな色、めずらしい)などを試してみました。そしていくつか購入しました。(京都西陣 蜂蜜専門店「ドラート」 http://dorato.net/ )
 ・・・
 伝統的な町家がこのような新しい形で再生されて、一層活用されるようになってほしい。発展を応援しましょう。






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駅弁

2008-12-20 | 食べること、レストランなど
新幹線に乗って東下り(あずまくだり)しました。
 夕刻に列車で移動したので京都駅にて駅弁を購入。
 実に、各種があり迷いました。売店も沢山あります。こんな「文化」は欧米にはありませんね。アジアの駅にもなかった、といってもアジアで鉄道に乗ったのは中国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイと韓国だけですが。欧州の鉄道にはいっぱいのりましたね。欧州の鉄道駅には売店は有るけれど、フランクフルトソーセージ(この焼きたては美味しい!)、ハンバーガー、サンドイッチ(パサパサでまずいことが多い)、ホットドッグ程度。
 今回は「京のおばんざい」(1000円)にしました。
 薄味でとても結構でした。
 そのパッケージに添付されていたシールに「原材料」が延々と記述されていて、最近の食品問題を反映しているのでしょうか、とても長い:
 原材料名 ご飯、玉子焼、お魚がんもどき、南瓜の縦弟煮、鰆西京焼、高野豆腐、大豆とひじき煮、椎茸、切干大根煮、薩摩芋レモン煮、黒豆、人参、蒲鉾、昆布巻、栗、蓮根、牛蒡醤油煮、ちりめん山椒、しば漬、ずいき酢漬、胡桃甘露煮、白花豆、隠元、松茸、(以下に、もっと原材料;小麦、乳、牛、。。。の列挙があり、さらに保存剤調味料等として、アミノ酸等、pH調整剤、グリシン、増粘多糖類、甘味料(トレハロース、ステビア、ソルビット、カンゾウ)、、、まだ4列書いてあって、さらに、熱量667Kcal、蛋白質25.4g、脂質13.6g、炭水化物110.3g、Na1485mg。そして最後の2列には、製造者の会社名、住所、電話が記載されていました。
 最後の2列は「重要」ですが、ご飯や玉子焼などは見れば分かるので、シールで表現する必要は無い、むしろ玉子焼の原材料や原産地が知りたいのです。
 詳しくは知りませんが、数ヶ月前に、この表示に関して、記載順序が違うとして「違反」との報道がありました。順序は、重量的に多い成分から書くルールだとの由。
 でも「原材料」が、玉子焼(玉子や砂糖が材料じゃないの?)、お魚がんもどき(なんの魚?)と、ちょっと変な記述がいっぱいです。ある意味、完全主義に偏りすぎていて(多分、法律と省令などが)、自明な情報が延々と続いていました。瑣末で無意味なことでも書き物に記述するとなると、何人かの担当者が個々に重量測定し原稿を作り上司の決済書類を作り承認を得て印刷業者にシールを発注し検品して、最後にその製品に添付する作業(人件費)が発生しています。

 
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狂言

2008-12-19 | 伝統芸能
日本芸能史(第7回、2008-12-08)の備忘録です。
 講師は、茂山忠三郎さんと茂山良暢さん。
 狂言師とは、正式にはいわない。能楽師(大蔵流)狂言方。つまり、狂言は「能」の一部であります。能と狂言は交互に演じられます。
 この授業ではお二人が壇上にしつらえた机に座って、狂言の基本知識を説明したあと、舞台の上で要所の実演がありました。
 たとえば、数歩づつ三角形に歩くと遠くまで来たことになります。田舎を出発して、京に到着とか。
 狂言は、能のように「面」をつけない演目が多いのですが、今回は特別に、狂言に使う面を見せてもらいました。
 きつねなど、いろんな面がありました。大変貴重なものです。
 忠三郎さんは昭和3年生まれ、良暢さんは昭和57年生まれで実際の親子です。相当に年の差があったので、孫かとも思いました。
 ~~~
(追記メモ)
 能とは兄弟。登場人物は悪人、大名、小名、道行
 複数の演者が同時に発声することあり
 擬音もよく使われる(蔵の戸、普通の戸)
 扇子で各種の小物の代わりを示す、例えば、酒を飲むとき酒の容器にも杯にもなる
 面:動物、蚊(蚊ずもう、蚊と相撲をとる話し)
 「うそふき」(口笛を吹いている表情)
 「ほとけさん」(仏師)
 「ぶあく」(おに)。面を上に傾けると「てる」、下に「くもる」:観客から見ると表情が変わる。(穏やか、怖い)
 かみなり。おにずきん。
 うつぼざる。猿に始まって狐でおわる。
 流派は、大蔵流と和泉流の2つが「協会」に。
 「福の神」
 「曲」の順、ワキ狂言、大名もの、小名、太郎冠者、鬼のでてくるもの、山伏、出家、女
 つけ祝言、必ず最後にやる:「たわらを重ねて 面々に たのしうなるこそめだたけれ」
 
 
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お坊さん修行

2008-12-18 | 京都の文化(冬)
京都はお寺の多い町。比叡山、仏教の修行場所、もあります。
 住宅地の中を、大きな声を出して歩いています。お経では無いようでした。宗派によって異なるのでしょうか。
 お布施を差し上げているお家もありました。
 数人のお坊さんが、多少の間隔を空けて次々と歩いてきました。


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山茶花(さざんか)

2008-12-17 | 京都の文化(冬)
山茶花の花が生垣などできれいに咲いています。
 小学生、中学生の頃、12月になりぐっと寒くなると、手や足の指にしもやけやあかぎれができましたね。
 いまの子供や若い親たちも、もう知らないでしょう。
 水道の栓をひねるとお湯が出る、ありえなかった。

 「さざんか」という童謡を連想しました。...でも、実は「たき火」という題でした。
 そのmp3演奏は、こちら

「たき火」 作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂 (mp3制作:二木紘三)

1 かきねの かきねの まがりかど
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  きたかぜぴいぷう ふいている

2 さざんか さざんか さいたみち
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  しもやけ おててが もうかゆい

3 こがらし こがらし さむいみち
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  そうだん しながら あるいてく


 ついでに、「さざんかの宿」作詞:吉岡治、作曲:市川昭介

1 くもりガラスを手で拭いて
  あなた明日(あした)が見えますか
  愛しても 愛しても
  ああ 他人(ひと)の妻
  赤く咲いても冬の花
  咲いてさびしい さざんかの宿

 
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Soba and Cafe 北白川の「蕎麦とカフェ」

2008-12-16 | 食べること、レストランなど
そんな変わった看板に引かれて、白川通に面したお店に昼食のために入ってみました。
 入り口の内側でミニダックスが吠えました。オーナーの飼い犬で、入店してしばらくすると安心してか鳴き止みました。
 もっともシンプルな「もりそば」を注文。待つこと約10分、途中でご近所の常連中年女性がお一人来られて、お店のマダムとカウンター席でおしゃべりされてました。
 「もりそば」はご主人が持ってこられて、「当店は(わさび)はなく、(黒い七味)を蕎麦かつけ汁に振ってどうぞ」とのこと。
 しっかりと、腰のある、さわやかな蕎麦でありました。
 そのあと、ゆっくりと、コーヒーを入れていただいて、持参していた本を読んでまったりとした過ごすことができました。
 特筆すべきこと:店内の飾りつけ。実に、「可愛い」置物、陶磁器、大きな生け花(南天)、そして季節もので、クリスマスオーナメントが、本当にかわいく飾ってありました。すべて売り物ではありません、マダムの趣味のコレクション品です。(店名「おきらく」)




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Mibu Kyogen 壬生狂言(みぶきょうげん)

2008-12-16 | 伝統芸能
今回は、民衆が演じる「狂言」です(大念仏)。鎌倉時代から約700年間、絶えることなく伝承されてきました。演じる方々は、信者有志の方々が本職以外の活動として、長年練習に励んで達成したとのことです。小学生など子供がでる演目もあるそうです。
 その演芸を、大学劇場の舞台で演じていただきました。
 「山端とろろ」という演目を鑑賞し学習しました。
 
 通常は、京都市中京区の四条大宮を少し西に行ったところにある「壬生寺」(律宗)でしか、それも年間の十数日だけ演じられるものです。
 壬生狂言は「壬生大念佛狂言」と言い、昔から京の庶民に親しまれてきました。この壬生狂言は、円覚上人(1223~1311)が始めたものです。マイクやスピーカなどない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能 や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、30曲であります。しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる壬生狂言の形は変わらず、娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格を今日まで残しています。(後半文章は壬生寺webに一部加工しました)


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