春休みですね~
これから新年度の始まり。
日本ではさくら咲くこの時期が
新たな道へと歩む時・・・・・・
学校は10代の大事な時期を
朝から夕方までのほぼ全活動時間を過ごす場で
子供達にとっての修養の場であり、人格形成の場。
日本は明治以降
この学校制度のお陰でここまでの先進国へと発展したのは
間違いありません。
でも、ここ近年
その学校が過激な暴力学園ドラマのような様相を呈し
生徒同士のいじめ
教師による行き過ぎた体罰
などが頻繁にニュースに上るようになりました。
昔よりメディアが発達したからだ
昔から、こんなことはよく起こっていた
・・・・という見方もあるかもしれない。
でも、全体の
学力の低下。
人格の低下。
こうした結果を見れば、大それた事件は起きていなくても
いかにこれまでそこここの学校で、教師たちは怠慢を喫していたのかが
伺えます。
学校は世間から隔絶されたところがあり
ちょっと前までは、警察さえ入ることを拒むところがありました。
学校の塀の中ではいったい何が起こっているのか
保護者にも、わからない状態。
授業参観は頻繁に行われるようになったが
未だ、その日以外はどのような状態なのかは不明。
そんな中
文科省ではこのほど
近年のいじめの異常性を鑑み、いじめ防止法も制定されました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1337219.htm
いいことですね~
でも、ざっと、ですが目を通していると
少し気になるところがあります。
それは、
日本国憲法のあの一文を思い出すのです。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・」
日本の周りの諸国は平和を愛し、公正である・・・・と何とも心もとない
定義がなされていいるあの一文を・・・・
ここで、このいじめ防止法に目をやると
この法を実際に行う『教師』たちがちゃんと法を遵守する・・・というのが
当たり前の前提になってしまっているのです。
だから、つまり
「平和を愛する教師の公正と信義に信頼して・・・」ということな訳なのです・・・・・・・
これが最大の問題点。
さっきも言ったとおり、学校が荒れるのは
教師達の怠慢が原因です。
これは明らかなのです。
「学校で起きることはどんなことであっても学校側に責任がある。」
これは覚えて置いてください。
いろんな、家庭のお子さんがいるでしょう。
悪い家庭もあるでしょう
そうした、お子さんたちが集まれば、必ず問題は起きる。
そうしたことに対して、
毎年、毎年、同じ問題でも真摯に向き合わなければならないのが教師です。
でも、公務員であるそうした教師たちを監視するようなものはないのです。
先生は「聖職」そんな世間の一般論だけが通っているかに見えますが
実際の先生は未熟者ではないでしょうか。
保護者の方が立派であることは往々にしてあります。
どの職業もそうですが
悲劇を招くのは「慢心」です。
必ず、その仕事の中で人は磨かれる。
だから、大学卒業して資格を取りクラスの担任になったからと言って
すぐ先生になれるかといえばなれない。
「先生」と呼ばれても、「先生」ではない。始めはそう思っていたとしても
それが何年何十年立つと「先生」になった気になってくる
これが人間の浅はかなところでしょう。
いじめを見てみぬ振りをする
いじめを助長する、いじめの加担をする
こんな普通の大人でも出来ないようなことを平気でやってのける
教師もどきが出来上がってしまうのです。
そんな、未熟者教師たちが出来上がってしまう以上
いじめ防止法の中に「絶対」入れなきゃならないのは
教師に対する罰則です。
教師に対する罰則規定です。
場合によっては刑事責任も問われるべき
当然ではないでしょうか。
教師としての責任
これは
どんな職に就いたとてその責任は嫁せられるのです。
まして、国家公務員ならなおさらです。
いじめが発生したが、いじめ防止法に基ずく行動に出なかった。
教師がいじめの原因を作っていた。
こうした教師は当然罰せられなくてはなりません。
罰則規定ができればさらに隠蔽が加速される
ということで、規定されないのならば
そうした教師(もどき)達の思う壺でしょう。
本末転倒です。
因みに私は「先生」という存在に
幸い、個人的には恨み心はありません。
なので、恨み心で言っているのではありません。
しかし、ながら
小学校に入学し、児童たちは教師を無条件に受け入れ
その要求に応えようと必死にがんばるものです。
その頑張りを教師は正当に評価できているのでしょうか?
これまでの文科省の定義にも誤りはあります。
「善」「悪」を教えることは
価値観を押し付けること、とし
この大事な10代の大半を過ごさねばならない学校が
人としての根幹を教えず、曖昧にして
むしろあろうことか
家庭で親が教えていた善悪観をも破壊している。
こうした現状を私は目撃したことがあります。
以前は、「不良」とまで言われ
教師達の間違いを“無意識”にその身をもって教えようとした生徒達の存在もありましたが
今はその「間違い」の矛先は弱い生徒に向かい
悪質な犯罪的いじめとなっています。
生徒が悪いのでしょうか?
はい。いじめた生徒には「悪いことした」という事実は残ります。
でも
いじめの根本原因、諸悪の根源は結局「教師」だし、
文科省のあり方如何だと私は思っています。
参考:いじめから子供を守ろうネットワークhttp://mamoro.org/