貸出を増やせない銀行という金融機関に、今後も我々は依存しなければならないのでしょうか?前回、前々回に銀行が本来の機能である貸出額を増やせない事情があることをお話ししました。しかも、増やせない貸出に代わって、銀行は何らかの運用先を探さねばなりません。これは、運命のようなものです。その運用の中で、今回のようなサブプライムローンなど危険な貸出が組み込まれた金融商品などで運用せざるを得ない銀行という強大な組織は、経済活動の血液である資金供給機関という機能を備えた不可欠な組織でもあるのです。この矛盾を抱えた巨大組織を、今のままで放置すれば、いつの日か再び、同じ過ちを繰り返すことは十分に考えられます。つまり、根本的な問題が解決されない限り、銀行という金融機関は、また必ず同じような過ちを繰り返した上に、産業界への貸し渋り、貸し剥がしを間違いなく繰り返すと私は考えています。
かつての農協が、農業経営者の為の資金供給機関として十分に機能していた(今でもある程度はそうだとは思いますが・・・)ように、それぞれの産業で、血液としての資金の融通を受けられるような本来の銀行、或いは、金融機関の創設が不可欠であるように思えます。特に、中小零細企業向けの融資機関、或いは、融資している地場銀行への保証機関としてバックアップ機能があった保証協会が、昨今の基準の改正(窓口銀行でも、財務諸表上50%を貸付金として計上することになってしまったそうで、この事も中小企業への貸し渋り・貸し剥がしの原因になっていると聞いています。)で、貸出促進機関としての機能不全を起こしていることも問題です。
今、市場絶対主義の崩壊とその見直しが、突然叫ばれるようになりましたが、経済モラルは放置すれば必ず悪化します。だから、行政機関は許認可というやむ得ない法規制を設けて、一定のルールを市場に課すのです。もし、国民や企業に法令遵守のメンタリティーが徹底している成熟した社会や産業界であれば、規制緩和することに、何ら問題はないでしょう。それは、社会全体がこういった反社会的行為の存続を認めず、自浄機能が働いてその存続を認めないどころか、発生さえも許さないからです。
しかし、我が国日本や米国ではどうでしょうか。特に、日本では、あのバブル経済の責任が未だに曖昧のままです。また、最近は、食品業界を中心とする一部産業界でも、更なる規制を強化しない限り、食や生活の安全はあり得ないような現状です。高齢者を食いものにしている振り込め詐欺グループの存在もしかりです。更には、公僕である筈の公務員が、公金である莫大な税金や特別会計資金を自分の金のように無駄使いした(旧労働省や社会保険庁)事実の責任の所在も未だに明確になっていません。
今現在、産業界には不可欠な銀行という資金供給機関にも、貸出額、或いは、貸出割合の義務化という何らかの規制を課す必要がありそうです。そして、最初に述べたとおり、銀行が貨幣経済に於ける資金という産業血液の供給機関として、機能不全を起こしかけている現在、今後も資金供給機関として頼っている今の社会構造そのものを放置したままで本当に良いのかどうか、そろそろ国民全体で本気になって考え直してみる必要があるのではないのでしょうか!
賛成です。この時期に貸出を渋ってしまうと健全なのに資金ショートをおこす企業が出てしまうという過去の過ちを繰り返します(すでに一部繰り返しているところもあるようですが)。
構造改革路線の結果、国策の金融機関がなくなってしまったことも今となっては問題だと感じます。
本当に、これから年末にかけての中小零細企業の資金繰りが心配です。
おっしゃるように、こうゆう時に国策金融機関が無いと確かに困りますね。
新銀行東京のように、政治家の食い物にされるのも困りますが、今はそんな悠長なことは言ってられない感じですね。