行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

9年前のある胎児認知手続き(シリーズ第13回)

2008-11-10 03:10:38 | 行政書士のお仕事

 私が所属する東京都行政書士会のHPに以下のような記事が出ていました。

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【 生後認知でも国籍取得! 】

《 国籍法改正/今国会で成立か? 》

 法務省は10月10日、本年6月の婚姻を必要とする国籍法第三条の規定を違憲とした最高裁大法廷判決を受け、結婚していない日本人の父と外国人の母の間に生まれた子が日本国籍を取得するための条件から、両親の婚姻要件を外す国籍法改正案を、自民党法務部会(国籍問題に関するプロジェクトチーム、河野太郎座長)に提示し承認された。

 今国会で国籍法第三条の規定が削除されると、未婚の日本人父親が外国人母親から生まれた子を認知することにより、認知された子は日本国籍を取得することになる。
 婚姻の前後に生まれた子の国籍取得に関し「合理的理由のない差別を生じさせた」とする大法廷の判断により、法改正は2003年以降の届出について、遡り婚姻要件の除外を認めるもよう。
 但し、自分の子でもないのに出生後の認知を行う不正行為(認知偽装)に対しては、1年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す罰則規定をもうけるとともに、出入国情報の照合などの審査体制も強化するもよう。

 子供の人権尊重を主眼とする法改正には異論の無いところだが、人道的な立場の法改正を逆手に取った認知偽装の横行が危惧されることとなる。

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 ちょうど、9年ほど前のことだったと思うのですが、南米某国の女性が、当時私が所属していた新宿にあった事務所を訪ねて来たのでした。彼女は、涙ながらに、

 「某日本人男性に騙されて妊娠した!」

 「お金などはいらないから、子供を認知して欲しい!」

 「自分の子として認めないのなら、裁判で訴えても認知させて欲しい!」

 そう訴えていたのでした。

 私は、この件は知人の弁護士に処理して貰うつもりではありましたが、言葉の問題もあるので、取り敢えず話を聞いてみることにしたのでした。それによると、確かに所持する数々の写真等の証拠品から、彼女とその日本人男性とは、かなり親密な男女の交際関係があったらしいことが分かったのでした。

 ところが、調べてみると、仮に裁判にしたとして、その裁判が長期化して、その間に子供が出生してしまったような場合で、出生後にやっと判決で勝訴するか、又は、和解が成立してその子供が父親から認知をされるようなケースでは、その子供にはもう既に日本国籍が得られない可能性が高いことが分かったのでした。

 生まれて来る子が、この父親からの認知が生後になることで、日本国籍が得られないなんて、どう考えて不公平な話なのです。こりゃあ、困ったことになったと思い、この男性と会えますかと、彼女に聞いたところ、この男性、案外素直に事務所にやって来たのでありました。

 「この彼女は、貴方の子を妊娠していて、認知して欲しいと言っていますが、心当たりはあるのでしょうか?」

 「ええ、まあ、本当かどうかはの確証はありませんが、多少は思い当たるフシはあります。はい。」

 この内容を通訳して伝えたところ、その彼女は叫ぶように泣き出し、

 「嘘つき!自分の子なのに。それに、独身だと私に嘘を言って・・・、私を騙したのね!」

 これをそのまま、通訳して伝えたところ、その日本人男性は、相当に狼狽したのでした。そこで、私は、

 「ご自分の子だと、お認めになるのでしょうか?或いは、否定されるのでしょうか?」と聞いたところ、返事がありませんでしたので、

 「それでは、知人の弁護士に、この件は引き受けて貰い、裁判で争うことにしましょう!」と言いましたら、

 「子であることは認めます!ですが、女房子供に秘密にしたいのですが・・・」

 「今の段階で認知すれば、子供が生まれるまでは、特に発覚することはありません。しかし、無事に生まれて来れば、XXさんの戸籍に認知したことが記載されますから、いずれはバレてしまうと思うのですが・・・」

 「それは、困ります・・・」と、その日本人男性

 「では、こういった紛争性のある事件ですから、やはり知人の弁護士に回します!」

 「ちょっと、待って下さい!裁判は駄目です。何とか穏便にお願いします。」

 「では、彼女のお腹にいる子は、ご自分の子であるとお認めになるのですか?その認知手続きに全面的に協力されるいう事なのですか?」と、確認したところ

 「とりあえず、それでお願いします。手続きには全面的に協力します。」との事でしたので、

 「彼女には言いませんが、もし仮に、お子さんがご自身の子でなかったと確証するのならば、生まれた後でも、親子関係不存在の訴えを起こすこともできますよ。しかし、逆に、今認知しないと、きっと彼女やお子さんに一生恨まれることになるかもしれませんから、正しい選択だと思います。」そう、私はそう答えて、この多少気弱な妻子持ち男に、ほんの僅かに同情をしたのでした。

 手続きは、彼女がオーバーステイであったことによる障害や、現在未婚である事の立証、また、母親の本国法での胎児認知に相当する記載があることの立証などで困難の連続だった上に、管轄の区役所窓口や法務局の逃げ腰な姿勢などにより、数々な障害がありました。しかし、一つ一つの障害をクリアーして行き、とうとう無事に受理させる事に漕ぎ着けたのでした。しかし、オーバーステイである以上は、不法滞在者でもあったので、自主的に出頭帰国して貰ったのでした。勿論、帰国後に無事に子供が生まれた場合の日本大使館への届出方法なども教えて差し上げたのでしたが・・・。

 私の心の中では、あの外国人女性の子は、本当にあの妻子持ちの日本人の子であったのかどうかが、やはり多少は気になっていたのでした。もし、将来何らかの疑義があった場合、今度は日本人の男性の相談にも乗ってやろうと思っていたのでしたが・・・。そして、2年ほどの月日が経ったある日、何とその彼女が事務所に再び突然現れたのでした。それも、南米から、あの胎児認知されて生まれ来た子供を連れて戻って来たのでした。 

 彼女は、2年前の礼を言うと共に、生まれた子が女の子で、名前は何とあの父親が付けたとの事でした。かといって、妻子持ちの日本人の彼の生活を壊すつもりは無く、もう彼には会わないとの事でした。そして、その子の顔を見せて貰って、思わず心の中で笑い出してしまったのである。それは、その子の顔が父親にあまりにも瓜二つだったからでした。

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 もし、仮に胎児認知手続という選択をせずに、この案件を弁護人に渡して、認知事件、或いは損害賠償事件として争っていたと仮定したら、もしかしたら、この子の日本国籍は無かったのかもしれない。そう思うと、一人の子供の運命を不幸にせずに良かった!と、心より思ったのでした。

 最近の新聞などの論調では、出生後認知が、偽装認知を急増させる結果となるとことを危惧するという内容の記事が多く出ていました。しかし、その前に重要なのは、多くの妻子持ちの日本人男性達が、外国人女性への胎児認知の重要性を知らずして、生後認知したケースに於いて、結果として、全く罪無くして生まれて来たこれらの認知された子供達から、日本国民となるという権利を奪って来ており、今なおその悲劇が続いていることにあるのです。 

 ですから、先ずはこういった生後認知には日本国籍を認めないという、国籍法に於ける著しく正義に反していた規定を、真っ先に改めるべきだと私は思うのです。

 日本人と偽装結婚する外国人女性は、今でも後を絶ちません。だからといって、外国人女性と結婚することを禁止すべきだとでも言うのでしょうか?生後認知で、日本国籍を取得する子供達を認めないという事は、外国人女性と結婚することを禁止すべきだと言っているのと、論理的にはまったく同じ考えだと私は思うのです。

 偽装認知する最大のメリットは、認知される子ではなく、その親権者・監護権者である外国人母である筈ですから、偽装認知に対する刑罰を強化したり、その母親と父親との交際関係の立証が不十分な場合で親子関係に重大な疑義があるような場合には、入管局が、養育者であるその外国人母の本邦での滞在を認めないという、行政処置を採ることはかなり有効な手段だと思います。

 勿論、慎重にも慎重な運用が必要不可欠であることは言うまでもありませんが、親子関係に重大な疑義があるような場合には、入管局が認知子の母親の在留資格に対する厳格な審査を行うことや、場合によっては、DNA鑑定を含む立証証拠の提出を求めても良いのではないのかと、私個人として思うのです。

 それが、結果として、罪のない子供達の将来を閉ざすような不幸な結果を少しでも防ぐことに繋がるのであれば、当面はやむを得ない措置かなと私は思うのですが・・・。

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末期癌に敗れた38年来の友

2008-11-06 11:04:22 | 健康・病気

 8月下旬のある日、末期癌を宣告された出版関係の仕事をしていたYが入院している病院に、小児科医のZと見舞いに行った。この二人、当時は学生運動の闘士だった。まだ青臭い三流都立高校生であった我々であったが、みな真剣に悩み、真剣に語り合った仲間である。他に、事業家になったK、留年したけれど一番まともなサラリーマンになって、現在は海外赴任中のH。最近はお互いご無沙汰にはなっていても38年来の親友達だ。

 この2週前に、Yに末期癌で余命3ヶ月であることを告白された時、やはり私はショックを隠せなかった。友人の医師Zは、既に夏休み休診で不在。私の知る限りの某有名な病院に行くことを勧めたのだったが・・・。結論は変わらなかった。余命3ヶ月・・・。

 余命3ヶ月とは最悪の場合であって、1年、或いは何年も保つ場合もあるそうだが・・・。俳人でもあるYは、投げやりに担当医師に「先生、もういいですよ!」と言って怒られたそうだ。当たり前である。医師も、不可能かもしれないが、諦めずに最大限の努力をしているのである。それが、患者自身に諦められては・・・である。

 「我々と同じ世代の元NHKアナの池田さんも、全身に癌が転移しても5年近く頑張ったじゃないか!5年とは言わないが、せめて3年は頑張れよ!」それしか言えなかった私。黙って、脈を採ってさりげなく問診するZ。そのZも体調は悪そうだった。医者の無用心というやつだ。

 帰り道「どうかな?」、そう聞いた私に返事をするのを躊躇っていたZは、

 「僕は専門ではないからはっきりした事は言えないんだが、あの腹水の溜まり具合からいって相当悪いと思う。」

 「悪いって、1年は無理なのか?」

 「ん~、何とも言えないけれど、良くないように思える。」

 「抗がん剤治療はどうなのだろうか?」

 「効果がある場合もあるけれど・・・、僕なら、苦しむだろうから、それはやらないと思う・・・」

 9月になって、再び見舞いに行った時は、Yは思ったより元気になっていた。来週からは自宅から通院して治療を続けるとの事だったので、ちょっと安心した私だったのだが・・・。その夜、電話で連絡した時、Zも喜んではくれたのだが、何か歯に物が挟まったような喜び方だったので、ちょっと気にはなっていたのだが・・・。

 10月21日、衰弱が激しく再び入院したとのメールが来た。衰弱と言っても私には、まったく想像がつかなかった。良かったら会いに来て欲しいとのメールだったので、23日に再び見舞いに行ったのだったが・・・。

 部屋に入った瞬間、隣のベットにいる80歳くらいの痩せこけた老人の患者さんと目が遭ったと思ったのだったが・・・。

 「ナカムラ~、済まないなあ~」そう確かに、その老人は呟いたのだった。しかし、それは驚いたことに紛れもなく元同級生のYだったのである。まだ54歳なのに、一気に30歳も年をとってしまったような姿だったのである。

 私は、狼狽する自分自身を落ち着かせるのがやっとだった。癌とは、本当に恐ろしい病である。人の生気までもあのように吸い取って増殖し続けるのかと思うと、腹が立って来たのである。

 Yは、何度も涙を流しながら、もう覚悟してると話を続けた。そして、残される者達への相談に乗ってやって欲しいと、骨と皮だけになってしまって緩和用の点滴を付けた腕で涙を拭っていたのであった。私自身も貰い泣きしそうになるのを必死で堪え、今では名小児科医になっているZやサラリーマンとして出世街道まっしぐらの落第生Hらが、高校生時代にはとても出来が悪かった笑い話などをして、話題を変えるのがやっとだった。

 「もう一度みんなで飲みたいな!」、もう何週間も食事が採れない酒好きのYの本当に最後の夢だったかもしれなかった。

 「退院できたら、掟破りで内緒で一杯やろう!」

 あり得もしない分かりきった嘘しかいえない私だった。

 「・・・も呼ぼうか。・・・も来るかな?・・・も入れてやろう!・・・」

 そんなあり得もしない誘いに、Yは本気でそう思っているように振る舞ってくれたのだった。一番辛いのはY本人であることは分かっていたのだが・・・。

 10月29日、明日病院に行きたい旨のメールを打つが返事がなかった。30日、小児科医のZと病院へ。しかし、もうYと会話が出来る状態ではなかった。Zは「Y!CD持って来たぞ!」と泣きそうに叫んでいた。Yは、うめき声のように「ウォー」と唸るだけだった。

 私には、「Z、おまえ遅いんだよ!」そう言っているような気がしたのだった。

 Zは骨と皮だけになってしまったYの手と腕を握って、「Y!俺だ!CD聞こう!」 そんな無駄と分かっている呼びかけをしていた。

 私は、クリニックが忙しくて見舞いに来る時期が遅れたことを明らかに悔やんでいるZに、「Yは、お前が来たのを確かに分かっているから!あのうめき声が証拠だよ!」そう言って慰めるのがやっとだった。

 面会時間がとうに過ぎても我々は居た。それはZも私も、もうこれで最後だと分かっていたからだった。「Y、じゃなぁ!」そう病室のドアーを閉めながら私がYに言った言葉の本当の意味は、「Y、さようなら!」に違いなかった。

 そして、翌々日の11月1日未明に、Yが永眠したとの知らせが届いた。まだ54歳であった。本当に、辛かっただろう。もっと、もっと生きたかっただろう。やり残した事もあっただろう。言いたかったこともあったのだろう。でも、それなりに生きたよY、お前は!

 さようならY!俺は、まだこの世に未練があるから、当分は残るぜ!淋しいからって、俺を呼んでくれるなよ!そう、呟きながら、私は近いうちに、病院に精密検査に行かねばと思ったのであった。

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法令遵守コンサルとして(シリーズ第12回)

2008-11-01 11:21:32 | 行政書士のお仕事

 ホテルチェーンの東横インの元社長が逮捕されました。おそらく、「自分の会社の建物・敷地内に廃棄物を置いてどこが悪い!」、或いは、「どうせ捕まるようなことはないから大丈夫!」なんて思っていたのでしょうか? しかし、産業廃棄物を、許可無く保管すれば違法行為となり、最高で懲役刑の罰則もあるのです。

 ところで、ここ数年ですが、こういった許認可に関わる法令遵守コンサルの仕事が増えて来ました。特に、私の専門である入管法の”不法就労助長罪”の適用が発端です。4年ほど前に、不法就労の外国人を雇用していた企業の担当者や経営者が矢継ぎ早に逮捕され、新聞を賑わすようになってからのことです。

 今まで、不法就労の外国人そのものが逮捕されたり、入管に収容される事はあっても、使っている企業関係者が逮捕されたことは皆無だったのでした。余程悪質なケースでも、せいぜい書類送検がいいところでした。それが、著名な企業も含めて、担当者や経営責任者がどんどん摘発され、逮捕されるようになって来たのでした。

 昨今は、食品衛生法、JAS法違反で数多くの企業責任者が逮捕され新聞・雑誌を賑わしています。僅かな費用や経費の節約のつもりと軽く考えていた企業が、結果として巨額の損失を被ることになり、中には、廃業に追い込まれたケースさえもあるのです。

 ですから、顧問先、或いは、ご依頼される企業の担当者の方々は、どなたも事前の段階で、実に真剣にお尋ねになって来られます。確かに、昨今の司法当局の対応は、場合によっては企業担当者どころか、経営責任者までの逮捕というドラスティックな手法を採っているようですから、世間や取引先に与える影響は甚大なようです。

 「オタクの社長XX法違反で逮捕されちゃったんだってねぇ!」と、重要な取引先に言われるだけでも営業担当者は辛いのに、「うちも世間体があるので、オタクとの取引は、当面は中止ということでお願いします!」なんて言われてしまっては、会社の屋台骨さえ揺るがしかねない重大な事態となってしまいますものねぇ!

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