一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

相場

2007-04-19 | 法律・裁判・弁護士
長崎市長の射殺事件ですが、弁護士などに聞くと「一人殺しただけではなかなか死刑にはならない」というのが量刑の相場なんだそうです。

懲役の場合は刑期の1/3経過時点、無期懲役の場合は10年経過後は仮釈放の申請が可能になる(刑法28条)のですが、実際は終身刑の場合最近は20年~40年後、暴力団員の場合は認めない、というのがこれも相場なんだそうです。


へぇ


前者の相場については裁判員制度が導入された場合、やはり裁判官から説明されるのでしょうか。
またはそういう相場自体を市民感覚で検証するというのが制度の趣旨なので、自由な議論にまかせるのでしょうか。

また、懲役刑に処された者の仮釈放の相場も裁判員が知った場合、厳罰化に働く(たとえば本当に「無期」懲役に処したい場合は、死刑執行がめったになされない事も考慮して死刑を選んでしまうとか)ということも出てくるのではないかと。

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裁判員制度における裁判官の誘導

2007-04-11 | 法律・裁判・弁護士

昨日の朝日新聞の1面トップの記事です。

裁判員、目立つ市民誘導 模擬制度で課題
(2007年04月10日06時12分 朝日新聞)  

市民の「健全な社会常識」を裁判に反映させるために09年までに導入される裁判員制度で、プロの裁判官が、ふつうの市民から選ばれた裁判員の考えを誘導しすぎるおそれがないかという懸念が強まっている。法曹三者が、全国で行われている模擬裁判の検討を進める中で、課題として浮上してきた。

新聞には具体的なやり取りがのっていました。

裁判員C「胸ぐらをつかんで平手をあげるという状況は想像できない」
裁判長「でも、坂西さんはそう見たって言っているんだよね」
裁判員D「私も、平手で殴ったという証言は疑問なんですよね」
裁判長「よほど不自然だというのなら別だけど」「たたいたと考えるのが自然じゃないですかね」

素人でも、刑事事件では合理的な疑いが残らないレベルの立証がされないと被告人を有罪にできない、というあたりの知識はTVドラマなどで仕入れていると思います。なので、逆に「間違って有罪にしてはいけない」という気持ちが先にたつので、証言の吟味も慎重になりがちなのではないかとふと思いました。

裁判員制度についての最高裁のHPで裁判員制度Q&Aを見ると、つぎのように書いてあります。

Q:法律を知らなくても判断することはできるのですか。
A:裁判員は,事実があったかなかったかを判断します。裁判員の仕事に必要な『法律に関する知識』や『刑事裁判の手続』については,裁判官が丁寧にご説明します。 皆さんも日常生活の中で,何らかの根拠から事実があったかどうかを判断することがあると思います。
例えば,壁にらくがきを見つけたお母さんが,このいたずらは兄と弟のどちらがやったのかと考える場合,「こんなに高いところには弟は背が届かないな。」とか,「このらくがきの字は弟の字だな。」とか,らくがきを見てどちらがやったのかを考えると思います。
刑事裁判でも証言を聞いたり,書類を読んだりしながら,事実があったかなかったかの判断をしていくので,日常の生活で行っていることと同じことをしていると言えます。

へぇ、そうなんですね。
だとすれば、証言とか証拠については一般常識で考えていいよ、と最初に言ってもらうと裁判員としても安心できるのではないかと思います。
今日の朝日新聞では(シリーズ記事なんですね)、裁判員になった人に示されるガイドラインでこういうことは説明されることになったようです。


一方で「意見の主張」と「誘導」の違いを区別するのは難しいと思います。

Q: 法律の専門家でない国民が加わると,裁判の質が落ちたり,信頼が損なわれたりしないでしょうか。
A:そのようなことはありません。
法律的な判断はこれまでどおり裁判官が行いますし,必要な場合には裁判員のみなさんにもご説明します。
裁判員のみなさんには,「事実認定」と「量刑」について判断していただきます。これについては,法律的な知識は必要ありません。
さまざまな人生経験を持つ裁判員と裁判官が議論することで,これまで以上に多角的で深みのある裁判になることが期待されます。

Q: 裁判官の意見に誘導されるおそれはないのでしょうか。
A:そのようなことはありません。事件について裁判員と裁判官が議論(評議)する際,裁判長は,裁判員に対して必要な法令に関する説明を丁寧に行うとともに,評議が裁判員に分かりやすいものとなるように整理し,裁判員が発言する機会を十分に設けるなど,裁判員がその仕事を十分に行えるように配慮しなければならないとされています。裁判員制度には,法律の専門家ではない裁判員の経験,感覚を裁判に生かすという目的がありますので,裁判官は,評議において,裁判員が気軽に意見を言えるような雰囲気を作るとともに,裁判員の意見を先に聴くなど,裁判員に意見を十分に述べてもらえるような工夫をすることになります。

Q:意見が一致しなかったら評決はどうなるのですか。
A:評議を尽くしても,意見の全員一致が得られなかったときは,多数決により評決します。裁判員の意見は裁判官と同じ重みを持ちます。ただし,この場合裁判員だけあるいは裁判官だけによる意見では,結論を決めることはできず,裁判員,裁判官のそれぞれ1人以上が賛成していることが必要です。

つまり、裁判官と裁判員は十分に議論をして意見の全員一致をめざす(多数決の際も少なくとも裁判官と裁判員1名ずつの合意は必要)一方、裁判官は裁判員を誘導してはいけない、というしくみになっています。
そうなると裁判官のスタンスは難しいですね。


ちょっとうがって考えてみます。

裁判員裁判においては、裁判官同士は意見の不一致を一般人である裁判員には見せたがらないでしょうし、裁判官としても上席者に反対すると出世に響いたりするかもしれない?ので、おそらく裁判官の間では常に意見が一致するのではないかと思います。
裁判員の参加する刑事裁判に関する法律を見ると、

(構成裁判官による評議)
第六十八条 構成裁判官の合議によるべき判断のための評議は、構成裁判官のみが行う。
2 前項の評議については、裁判所法第七十五条第一項及び第二項前段、第七十六条並びに第七十七条の規定に従う。
3 構成裁判官は、その合議により、裁判員に第一項の評議の傍聴を許し、第六条第二項各号に掲げる判断について裁判員の意見を聴くことができる。

そして裁判所法では

第七十五条 (評議の秘密)  合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる。
 評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。
とあり、つまり裁判官は「構成裁判官の合議によるべき判断」のついでに、裁判員を含めた評議の場以外で非公開で意見交換をすることができるわけですから、意見調整もしやすいですよね。

そうすると、原則として裁判員6人裁判官3人で構成される裁判員裁判においては、裁判官はあと裁判員を2人味方につければいいわけです。

こう考えると、「誘導」への誘惑も出てくるかもしれませんね。



ところで、Q&Aでちょいとひっかかったところがあります。

Q:裁判員裁判の手続は今までの裁判と違うところはあるのですか。
A:裁判員裁判の手続は,裁判官のみによる現行の裁判手続と基本的に同じです。しかし,法廷での審理が始まる前に,裁判官,検察官,弁護人の三者で,ポイントを絞ったスピーディーな裁判が行われるように,事件の争点及び証拠を整理し,明確な審理計画を立てるための手続(公判前整理手続)が行われる点が異なります。また,これまでの裁判は,約1か月おきに間隔をあけて行われることが多かったのですが,裁判員裁判においては,公判前整理手続の中であらかじめ訴訟の準備を行うことができるため,公判が始まってからは,連日的に開廷することが可能になり,多くの裁判員裁判は数日で終わる計算になります。 さらに,裁判員にわかりやすいように,メリハリのある裁判を行うように様々な工夫がされ,例えば,証拠調べは,厳選された証拠によって行われますし,争いのない事実については,その事実や証拠の内容・性質に応じた適切な証拠調べがされるようになります。また,当事者(検察官又は弁護人)双方の尋問は,原則として,連続して行われますし,論告・弁論も,証拠調べ終了後できる限り速やかに行われることになります。

この公判前整理手続って、ホリエモンの裁判のときにも使われましたよね。
なので、裁判員制度のためだけの手続きではないはずです。

今までの裁判は「ポイントを絞らずにだらだらとした審理」だったんでしょうか?
だとしたら、裁判員制度の前にそっちを改革すべきだと思います。


PS
でも朝日新聞の「市民」という言い方もいやですねぇ。「裁判員」って普通に書けばいいのにと思います。
何か「市民」と書くと無条件に正しいんだという押し付けがましさを感じてしまいます。

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「法テラス」が照らしているもの

2007-04-07 | 法律・裁判・弁護士

かれこれ15年くらいお世話になっているお店(居酒屋と小料理屋の中間)での話。

2年前にご主人が亡くなって、今はおかみさんと板前さんでやっています。  

ご主人の相続のときにはご主人の友人の弁護士にいろいろ相談したのですが、その弁護士にご主人の残した負債の整理を依頼したところ、おかみさんの意図を無視して「相手がこれで、というからこれで和解してきた」と勝手に和解してきてしまったそうです。
しかしその条件では資金繰りが厳しいので、返済が難しいといったところ、事務局の女性から「あなたを見損なった」などと恫喝された挙句(どうもこの先生、事務局の女性とデキているのか頭が上がらない様子)、弁護士のほうから辞任してしまい、あとはこちらに相談しろ、と 法テラスを紹介されました。

法テラスの相談センターに行ってみると、弁護士が2,3人出てきて曰く「返済するのが無理なら自己破産しちゃえばいいんですよね」ですと。

もともと負債をチャラにしたければ相続放棄とか限定承認とかがあったのですが、そもそもご主人名義の契約だったお店を引き継ぎたいという意思があったので、負債も引きついでがんばろうとしていたので、最初からバンザイするならしている話ではあります(細かいことはわからないのですが5年くらいかければ返済可能の由)。

さらに、法テラスの費用として毎月5000円ほどが引き落とされるそうです。  

私は法テラスって無料だと思ったのですが、HPの民事法律扶助業務のところを見ると  

援助開始決定を受けると、弁護士又は司法書士等の費用や裁判費用を立て替えます。受任又は受託を予定している弁護士又は司法書士がいない場合は、援助開始決定後、半月から1ヶ月で弁護士又は司法書士等を紹介します。立替費用については、原則として毎月分割で償還(お支払い)いただきます。  

となっています。

おかみさんは5000円を20ヶ月くらい払い続けることになっているようなので、法テラスが立て替えた相談料は10万円くらいになるのでしょう。
依頼人の話を聞いて結局「自己破産しろ」だけのアドバイスに10万円というのはいかがなものなんでしょうか?  
もちろん、私は依頼者側であるおかみさんの話しか聞いていないので、バイアスがかかっているかもしれませんが、おかみさんは月々5000円の支払いの意味、相談の対価の妥当性について今ひとつ理解できていないように見受けられました。  

「民事法律扶助業務」というのは要するに費用の補助と相談先の紹介であって、法テラス自身がに相談にのってくれるわけではないのに、「法テラス」という公的機関で弁護士を紹介されるために依頼者側はかえってその弁護士に遠慮をしてしまう、たとえば報酬についても「法テラスのお墨付き」と思ってしまう、ということなのかもしれません。 
その結果、立替制度が依頼者のための費用の補助ではなく、紹介を受けた弁護士のための報酬回収代行という側面が大きくなってしまう(=「扶助」をする相手が依頼者でなく弁護士)というしゃれにならないことになってしまうかもしれません。

理屈で言えばこの辺は法テラスの問題ではなく、弁護士の提供するサービスと報酬の妥当性という、いわば弁護士自治の問題なのですが、法テラス自身は自分が紹介した先の提供するサービスのモニタリングは行っていないのでしょうか。

企業であれば、サービス内容に比べて報酬が高い、とかそもそもこの人に相談していいのか不安(≒得意分野じゃなかったかなぁ)、というような弁護士には「次は依頼しない」という市場原理で対応することができるわけですが、個人には「次の相談」というのはほとんどないわけで(あるとすると、それだけ厄介ごとが起こると言うことなのでそれはそれで大変ですし)、サービスの評価や報酬の妥当性についてはほとんど情報がないわけです。

法テラスが一般市民の法律サービスへのアクセスをふやす、という役割を持つとするなら、そこまで踏み込む必要があるのかもなぁ、と思った次第です。


それで、件のおかみさんですが、実は取引先のお米屋さんが破産してしまい、管財人の弁護士から来た「代金9000円」の督促状を忘れて支払い期限を過ぎてしまい、お詫びかたがたその弁護士に電話したときに、その弁護士の対応がよかったので自分の状況を相談したところ、非常に親身かつ現実的なアドバイスをしてくれたので、その弁護士に相談している、ということです(法テラスへの月々5000円の支払いはあと十数回続くらしいですが)。

ということで、おかみさんは今は先の目処もたって、お店に専念できると明るく話してました(でも、「愚痴聞いてもらっちゃって」と勘定をまけてもらったのですが、そのへんの人の良さは心配なんですよねぇ)。


「法テラス」は、「法で社会を照らす」「日当たりのよいテラスのように安心できる場所」という思いを込めて名付けられたそうですが、今のところははからずも「一般市民が弁護士などから容易に法律的なサービスを受けるのは難しい」という現状を照らしているような感じがします。

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堀江被告と宮内被告の判決

2007-03-23 | 法律・裁判・弁護士

といっても私には量刑の適否について云々する専門知識はないのですが。

報道やブログを見ると、堀江被告の実刑判決は予想通りという見方がある一方で、検察に協力的だった宮内被告が懲役1年8ヶ月の実刑判決というのは予想外という見方と妥当という見方があるようです。

しかし僕自身はこの事案に限らずに「検察に協力したことが情状酌量に反映する」という部分については、本当にそれでいいのか?という疑問があります。

日本ではアメリカのように有罪を認める代わりに1ランク下の罪が適用されるというような司法取引はないとされています。
今回の宮内被告への判決について「モトケン」矢部弁護士のブログ

会社の金の私的流用について、宮内被告人と検察との間に仮になんらかの取引があったとしても、法廷で、つまり裁判官の目の前で犯罪事実を認めてしまえば無罪の理由にはなりませんし、私的流用の事実が真実存在するとすれば、その事実は宮内被告人にとって不利益な事実でしかありません。

と、情状以前に司法取引の制度がない中で事実を認めてしまった宮内被告側の不用意さが実刑の元になっていると分析しています(という理解でいいんでしょうか)。

また、そこで引用されている落合弁護士のブログでは

検察庁と宮内被告人の間に、弁護人が強く主張するような「黙契」まではなかったとしても、宮内被告人側に、検察庁に協力することによって寛大な刑にしてもらえる、間違っても実刑にはならない、という強い期待が存在した可能性は高いでしょう。
その期待が、裁判所によって見事に裏切られてしまったということになると、検察庁としては、今後の、特に堀江被告人の公判維持上、いつ爆発するか、どれくらいの威力があるかわからない時限爆弾を抱えてしまった、という面はあると思います。

とつぎの展開への影響を分析していますが、ここでも、司法取引の仕組みがない中では被告人と検察は「ガチンコ」にならざるを得ない、という認識が基本にあるように思います。

しかし一方で、罪を認め改悛の情を表すことは一般的には情状として酌量され、逆に最後まで無罪を主張すると、情状の判断上は不利になる(有利には取り扱われない)ようです。
そしてこれが、今回捜査に協力した宮内被告に実刑判決が下ったのは予想外、という見方の背景にあるようです。


これがからむと素人にとっては話がややこしくなります。

刑事事件には推定無罪の大原則があります。
これと上の「情状酌量システム」(特に「改悛の情」に対するもの)は矛盾しないのでしょうか?

つまり、刑事被告人としての当然の権利である無罪を主張することが、情状酌量を受けない有罪判決か無罪判決かという"all or nothing"の賭け=被告人にとってリスク(正確に言えばボラティリティ)の高い行為になってしまっているのではないか。無罪を主張することは被告人側の「賭け金」だけを一方的に吊り上げることになってしまっているのではないか。その結果一般的には「おとなしく有罪を認めて情状酌量にすがる」という方向にインセンティブを与えているのではないか、ということです。
(痴漢の冤罪事件で警官の前で自分がやっていないのに罪を認めてしまう方向に追い込まれる構造にも似たようなものがあるかもしれません) 


この点についてtoshiさんはある意味情状酌量の効用を積極的に認められているようで

粉飾決算に関連する刑事事件は、たいへん立件が難しいとされています。こういった刑事事件におきまして、検察としては、できるだけ「本丸」に登るための協力者を欲するところでしょうが、今回の判決を前提といたしますと、「どんなに捜査に協力的な態度をとっても、やってしまったことの重大性だけが判決の基礎となるのであれば、一か八か、無罪主張にかけてみよう」といった、共犯者の動機付けになってしまいそうであります。(もちろん、保釈申請の現実をみた場合、できるだけ早期に事実を認めてしまおう・・・といった気持ちになってしまうのも現実であります。ただ、今回、堀江氏は無罪を争いつつも保釈されていますし、無罪を争う動機を保釈制度の現実が排斥してしまう、ということにはならないと思われます)今後の証券被害事件の捜査にとって、このたびの実刑判決は、果たして望ましいものなのかどうか、私自身はかなり懐疑的な気持ちを抱いているところです。

と、量刑の中で捜査に協力したことを斟酌したほうが今後の同種の問題の解決には資するのではないかという意見を述べられています。

今回の判決の経済事件全般に与える影響についてはよくわからないのですが、自分が被告人になったときに、具体的な根拠はないけど運用上は情状酌量の可能性が高いから罪を認めた方がいいよ、といわれても、「はい、わかりました」とは言いたくないな、というのが素朴な感想です。

確かに経済事犯の捜査は難しい部分もあると思いますが、そうであればこそ司法取引のようなものを制度として導入してもいいのではないでしょうか(独禁法でもリーニエンシー制度が導入されているくらいですから。)。



それから、刑事裁判では判決言い渡しの後に裁判官からひとこと、というのが慣例になっているようですが、これは必ず必要なんでしょうか。

堀江被告への判決のときの手紙の話などは、こぼれ話としてはいいかもしれませんが、正面から罪を争っている堀江被告に言ってもどれくらい効果があるのか疑問です。
ひょっとすると、裁判所の中で慣例になってしまっていて、「やらなければいけない」というものになっているとしたらそれはそれで問題なんじゃないかと思いますが。

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やはり野に置け蓮華草?

2007-02-24 | 法律・裁判・弁護士

 弁護士の採用、企業の9割「予定なし」・日弁連調査 (2007年2月22日 日本経済新聞)や<弁護士就職難>企業や省庁など採用予定低調 日弁連初調査 (2007年2月22日 毎日新聞)などの記事に関連して toshiさんが「弁護士と企業との期待ギャップ」、ろじゃあさんが「弁護士先生の就職難?・・・toshiさんの問題提起を読んで」というエントリを書かれています。

私も遅ればせながら感想を書いたのですが、だらだらと長くなってしまいましたのでかいつまんで言うと、

企業内弁護士の採用というのも採用一般と同様雇用側と就業側の(業務内容、行為規範、待遇、能力などを要素とする)需給関係で決まるので、増やそうと思って増えるものではないのではないか。
弁護士の増加に伴う就業難というのがあるとしたら、それも需給関係によるもので、日弁連が弁護士有資格者の就業という個人の経済活動まで面倒を見ようといういのであれば、それは弁護士自治の中で解決すべき問題なのではないか。

ということです(うわっ、短くするとすごく刺激的になっちゃいますね(汗))。


お時間のある方は、以下をごらんください


1.「立ち位置」の問題

ろじゃあさんの指摘されている「企業内弁護士」の「立ち位置」についての問題意識は私も同感です。
そもそも「企業内弁護士」は弁護士としての職業倫理や弁護士自治と企業との雇用関係・指揮命令とがどういう関係にあるかがいまひとつよくわかりません。
日弁連のHPを見ると、弁護士自治について 

弁護士が、その使命である人権擁護と社会正義を実現するためには、いかなる権力にも屈することなく、自由独立でなければなりません。そのため、日弁連には、完全な自治権が認められています。弁護士の資格審査、登録手続は日弁連自身が行い、日弁連の組織・運営に関する会則を自ら定めることができ、弁護士に対する懲戒は、弁護士会と日弁連によって行われます。弁護士会と日弁連の財政は、そのほとんど全てを会員の会費によって賄っています。  

このように、弁護士に対する指導監督は、日弁連と弁護士会のみが行うことから、弁護士になると、各地にあるいずれかの弁護士会の会員となり、かつ当然に日弁連の会員にもなることとされているのです。

とあります。  

話を整理すると、「司法修習修了者で弁護士登録をしていないサラリーマン」というカテゴリーもあるとは思うのですが(実際にいるかどうかは知りませんがたとえば「製薬会社に勤務する医師国家試験を通った従業員」のような人)。こういう人々の就職問題は「弁護士の就職」の話でなく「弁護士資格を持った人の就職」という一般の人の就職の話と同じ話だと思います(この部分の問題意識については後述します)。

今回あえて日弁連がアンケートをした、ということは、弁護士登録をしたうえで企業と雇用契約を結ぼうというカテゴリーの人(以下では「企業内弁護士」はこの意味で使います)を増やそうという意識があるように思われます。

このような「企業内弁護士」は上の弁護士自治と企業との雇用契約との関係でどのような行動規範に沿って仕事をするのでしょうか。なんとなくそこにコンフリクトがあるような感じもします。


2.弁護士側と企業側のニーズはマッチするか

この「立ち位置」の問題が解決されたとして、企業側で「企業内弁護士」に対して期待するものは何でしょうか。

toshiさんの  

(企業内弁護士としての素養として)企業が知りたいのは、単に弁護士の資格というよりも普通に「人柄半分、能力半分」だと思います。・・・(中略)・・・あえていえば、「なんかおかしいんじゃないの?」といった問題をみつけだす「勘」とか、人を説得できるだけの事実を確定したり分析したりできる技術だとか、紛争解決策を自ら提案できるようなプレゼン能力

というご指摘(これは正鵠を得ていると思います)に加え、新たな仕組みを作り上げる発想・構想力などをお持ちの方だとなおうれしいですね(と自分のことを棚にあげて言いますw)。  

ただ問題はtoshiさんも指摘されているように、そのような脂の乗った若手・中堅の弁護士が企業内弁護士になってくれるか、というそもそもの問題があると思います。
弁護士としてのキャリアを積む一環として企業内弁護士になるのであれば、やはり弁護士では経験できないような面白い仕事(たとえば特定の分野の知的財産権とか、新興国への投資とか、M&Aとか、ストラクチャード・ファイナンスとかですかね)が継続的にないと、優秀な人は来てくれないよのではないでしょうか。

一方、そういう弁護士にとって面白い仕事が少ない(大半の)企業にとっては、「それでも仕方がない」という(失礼ながら)あまり優秀でない弁護士と雇用契約を結んでしまうことの懸念があります。
一旦雇用してしまうと容易に解雇するわけにも行きませんし、他の部署で活躍してもらうことも現実的ではありません。また、当初は機能していたとしても、勤続年数が長くなりその人が「権威」として専横をふるうようなことになると、弁護士でもあるだけに社内のチェックがきかなくなるおそれもあります。

そう考えると、「弁護士にとっても魅力的な案件を多数手がける企業が、弁護士と一定期間の有期雇用契約を結ぶ」というような形でのマッチングあたりが現実的なのではないかと思います。  
でもこれだったらどこかの事務所から若手・中堅クラスを出向してもらうのと同じですし、そのほうが簡単ですよね。  

弁護士を「採用」する企業が少ないのは、このような事情があるのではないかと思います。


3.企業内弁護士の採用は日弁連が心配すべきことなのか

これは業界の実情を知らない者の誤解かもしれませんが、資格者の団体が有資格者の就職を心配する、というのは弁護士業界特有なのではないでしょうか。 
公認会計士協会とか日本医師会とかはそこまでの配慮をしていると聞いたことはありません。
保有する資格を使うか否かも含め、どういう職業を選ぶかは個人の問題のはずです。

一方、上にあるように弁護士には「その使命である人権擁護と社会正義を実現するために・・・日弁連には、完全な自治権が認められ」「弁護士に対する指導監督は、日弁連と弁護士会のみが行う」という特殊性があるので、「弁護士(=自ら開業または事務所に就職した後の資格者)」の面倒だけでなく「弁護士資格を持った未就業者」全員の就職を面倒を見る必要があるのかもしれません。
職にあぶれて悪事に手を出したり反社会的勢力(の裁判を受ける権利以外の犯罪行為に)加担する人が増えるのは望ましくないでしょうから。

ただそれは、弁護士登録の際の審査(というのはあるんでしょうか)や懲戒というそれこそ弁護士自治の中でチェックできるはずです。
また、有資格者は全員弁護士として就業させるべきだ、という価値判断があるならば、就職できない修了者が出ないように弁護士事務所に採用を働きかけるとか、就職できなかった弁護士は弁護士会が一定の収入を保証したうえで弁護士事務所に派遣して経験を積ませる、などの互助努力が必要なのではないでしょうか。
また、問題が絶対数の増加でなく都市部への弁護士事務所や就業希望の集中であるとしたら、日弁連が都市圏の弁護士に一定期間地方での活動を義務付けたりすればいいように思います。


「司法試験合格者が増えるが一般企業が採用しないので就職にあぶれる修了者が増える」といわれると、なんか民間企業が困っている人を助けない、と言われているような気もしてしまいます。でも、困っている人を助けるのは本来弁護士さんの仕事ですよね(あ、経済的に助けるのは仕事じゃないか・・・)。


結局、増加する司法試験合格者に対して弁護士業がどう対応していくかについては、職業独占が法律で認められている以上、弁護士自治のなかで解決するしかないように思います(弁護士事務所の採用数の縮小が、国民の裁判を受ける権利を阻害する程度に既得権益擁護に走れば、職業独占自体が国民に問われるわけで、そこには一定の抑止は働くと思われます)。

もし、現在の計画の合格者数が市場に対して多すぎるのであれば、逆に司法修習を終わっても弁護士事務所に就職できない可能性があることを明言し、

司法試験受験者の減少→合格者数を維持した場合のレベルの低下→修習修了者の未就職の増加→制度の見直し

というような市場メカニズムのなかで調整していく方がいいのではないでしょうか。


あ、上の新聞記事はそういうアドバルーンだったのかな・・・

 

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Winny事件判決について(つづき)

2006-12-15 | 法律・裁判・弁護士

昨日の消化不良のエントリの補足です。

asahi.comに詳しい判決要旨が載っていました。  

●被告の行為と認識

結局、外部への提供行為自体が幇助行為として違法性を有するかどうかは、その技術の社会における現実の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的態様によると解するべきである。
 

被告の捜査段階における供述や姉とのメールの内容、匿名のサイトでウィニーを公開していたことからすれば、違法なファイルのやりとりをしないような注意書きを付記していたことなどを考慮しても、被告は、ウィニーが一般の人に広がることを重視し、著作権を侵害する態様で広く利用されている現状を十分認識しながら認容した。  

そうした利用が広がることで既存とは異なるビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーを開発、公開しており、公然と行えることでもないとの意識も有していた。  

 ●幇助の成否  

ネット上でウィニーなどを利用してやりとりされるファイルのうち、かなりの部分が著作権の対象となり、こうしたファイル共有ソフトが著作権を侵害する態様で広く利用されている。  

ウィニーが著作権侵害をしても安全なソフトとして取りざたされ、広く利用されていたという現実の利用状況の下、被告は、新しいビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーが上記のような態様で利用されることを認容しながら、ウィニーの最新版をホームページに公開して不特定多数の者が入手できるようにしたと認められる。
 

これらを利用して正犯者が匿名性に優れたファイル共有ソフトであると認識したことを一つの契機とし、公衆送信権侵害の各実行行為に及んだことが認められるのであるから、被告がソフトを公開して不特定多数の者が入手できるよう提供した行為は幇助犯を構成すると評価できる。  

これを読むと幇助行為の違法性とか構成要件などはかなりわかりやすく整理された判決だと思います。  

これに対して Impress Watchの「Winny」開発者の金子勇氏が会見、本日中に控訴へ によると  

金子氏は有罪判決について(中略)
「私は何をすればよかったのか、何が悪かったのか。未だによくわかっていない」と述べた。

うーん、事実認定が誤っているといいたいのかもしれませんが、「何が悪かったのか」については上の判決骨子にも書いてあるように思うのですが。  

また、著作権法違反の幇助とされたことについては、「開発するだけで幇助になる可能性があるということは、日本の開発者にとっては足かせになると考えている」  

これも判決は「開発するだけで幇助になる可能性がある」とは言っていなくて「犯罪行為を幇助する可能性を認識していること」がポイントだと指摘していますよね。  

弁護団の事務局長を務めた壇俊光弁護士は、(中略)
今回の裁判所の判断については「誰かが、不特定多数の人が悪いことをするかもしれないとを知っていて、技術を提供した者は幇助なんだということを、裁判所が真っ向から認めてしまった。これは絶対変えなければならない。高速道路でみんなが速度違反をしていることを知っていたら、国土交通省の大臣は捕まるのか」とコメント。  

上の批判は、この判決が中立的行為による幇助の構成要件としてあいまいすぎる、ということなのかもしれませんが、そうだとしたらもう少し具体的な指摘をしたほうがよかったのではないかと思います。例示としても極端ですよね(個別に文句はつけませんが) 。 

有罪とされたことに対しては、「ファイル共有というものに対する偏見だと思う。 P2P、ファイル共有の技術は出てから数年しか経っていない。まだ黎明期の技術。裁判官はそこを理解していない。将来ファイル共有の技術がインフラになったときに、同じことが言えるのか」と訴えた。

下線の部分は、ソフトウエアの共有が送信化可能権の侵害になるのか、という議論だと思います。
確かにファイル共有技術が普及して、インターネット上でダウンロード可能な状態にあるということ自体がファイル交換を容認していると言われても仕方がないと言えるような状況になって、しかも逆にASP(っていうんだっけ?)のように、ソフトウエアをクライアント側のPCに置かずに利用できる技術がある、という時代であれば、裁判所の判断は変わっていた可能性はあると思います(またはすでにそういう時代になっている前提で裁判所を批判する方もいるかもしれませんが、それなら被告人弁護団の主張立証の力不足ですよね)。  

そもそも猥褻図画とか麻薬のようにそもそも頒布することの悪性が高いという社会的コンセンサスがあるものは個別に犯罪として規制されているわけで、「幇助」でしか立件できないのは犯罪としては微妙な位置にいるわけです。
ITに限らず昔から新しい技術はすぐには世の中に受け入れられず、世の中の進歩によって境界線にあったり「黒」だったものがやっとこさ「白」に変わるということはよくあることです。なのでWinnyが有用な技術であれば「もう既に時代は変っているんだよ」と正面から陽の目を見させるように働きかけをしていくことは大事だと思います。
(でもそうだとすると「黎明期の技術」と言ってしまうことはマイナスのような感じもしますが・・・)

結局この問題は

① 金子氏がWinnyが著作権侵害に使われることについてどの程度の認識があったかという事実認定の問題
② Winnyの提供のような中立的行為が幇助になるための基準という法律論
③ ファイル共有自体は「送信化可能権の侵害」ではないという立法論なり社会的議論

に分けられるように思います。

逆にその辺を分けないで被告側(web2.0側??)から「検察ファッショ」(今回は警察か)、とか「裁判所の横暴」 とか言うだけではなかなか世の中は変っていかない(そう変るのが正しいのであれば、ですが)のではないでしょうか。

その意味では、上の金子氏の会見の記事の写真に「不当判決」という張り紙を貼ったり、感情的なコメントを出すことが有効なのかは個人的にははなはだ疑問です。
コメントを見るかぎりでは、控訴審で覆すような反論をロジカルな形でしていない(上の①②の部分)のでが気になります。
「自分はジャンヌ・ダルクだ」と言って今回は犠牲者になる形で次のビジネスチャンスにつなごう(=弁護士は広告効果、金子氏は回顧録で稼ごうとか)というなら別ですが・・・


 

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「幇助」かぁ

2006-12-14 | 法律・裁判・弁護士

ウィニー開発者に有罪 元東大助手に罰金150万円 京都地裁判決
(2006年12月13日(水)16:33 産経新聞)

≪ウィニー著作権法違反 判決骨子≫  
一、被告はウィニーが著作権を侵害しながら社会で広く利用されていた状況を認識、認容しながら提供を続けた。本件の著作権侵害者はウィニーが匿名性に優れたソフトと認識し犯行に及んでおり、被告の行為は幇助にあたる  

一、被告は著作権侵害がインターネット上に蔓延することを積極的に企図したわけではないが、流出データの回収は著しく困難でウィニー利用者が相当数いるため、結果に対する被告の寄与の程度は少なくない  

一、ウィニーの技術自体は各分野に応用可能で有意義なものであり、被告の開発目的に関わらず、技術自体は価値中立的である。技術の提供が無限定な幇助行為となるわけではない

確か刑法では実行行為を容易にする行為であれば正犯(実行者)が幇助されている認識がなくても幇助犯(片面的幇助)が成立するのが判例なのですが、この判決のように特定の正犯を幇助するのでなく不特定の正犯に対する幇助を認めることができるのかなと思ってちょっと調べてみると「中立的行為による幇助」というのは刑法では最近話題の論点なのですね。

「刑法授業補充ブログ」中立的行為による幇助
小倉弁護士のブログWinny作者の逮捕に関して
「IT技術者のためのデジタル犯罪論」中立行為に関する「教唆的幇助意思の理論」  
など参照  


ところで上の判決骨子を見る限りは、Winnyの開発自体でなくWinnyが著作権侵害に利用されていると知りながら「提供を続けた」(=改良した?)ことが幇助とされているようです。
とすると、もしWinnyにバグがあってそれが別の犯罪行為に利用されている場合はそれを放置しても幇助になるのでしょうか(じゃあどうすればいいのだろう?)。 
またソースコードを開示して誰でも改良できるようにした場合は、ソースコードの開示の時点で犯罪利用の認識がなければ開発者は罪には問われないのでしょうか(そうだとするとそれはそれで画期的な意味を持つかもしれませんね)。

また、昔のInternet Watchの記事Winny開発者の逮捕理由「著作権法違反幇助」は正当か!? ~弁護士各氏語るは、上の幇助の論点だけでなく、アメリカでの裁判事例の考え方とか、今回の幇助の正犯である著作権の一つである「公衆送信可能化権」はWIPO(World Intellectual Property Organization)の著作権条約批准に伴い規定されたが、米国などの諸国では批准されていないことなど、論点を広く取り上げて参考になります。


私はそもそもWinny自体を利用したこともないくらいで、「インターネットと著作権」とか「技術の進歩と法制度のキャッチアップ」などという話については語るべきものを持っていないのですが、こういう問題は本来冷静に価値観をすりあわせて優先順位をつけていくことが大事なのでしょうが、開発者側も告発した側も使命感を持っているだけになかなか簡単にはいかなそうですね。
なお刑法の世界は条文が簡潔なだけに理論体系がいくつもあったり、今回ような個別の論点いついても(図形問題の補助線の引き方のように)いろんな解釈が成り立つあたりも、本件の話をややこしくしている原因の一つなのかもしれません。

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ふぞろいな秘密

2006-12-13 | 法律・裁判・弁護士

たまにはタイトルで釣ってみましたw
本題は企業の秘密の話です。

個人情報保護法の施行前後は「委託先の監督義務」とやらで、取引先に対して「なんでもかんでも秘密は漏洩するな、万が一漏洩したらただじゃおかないぞ」という若い弁護士が全国共通模範答案風に作ったような契約を締結しろ、というプレッシャーがかけられていました。

そもそもそんな包括的かつ一方的な契約を一律で取引先に押し付けようとする企業自体(掛け声だけできちんと実効性ある情報漏えいの防止や秘密保持にまじめに取り組んでいないのではないかという問題はさておき)何かあったときにすぐ他人のせいにして理不尽な因縁をつけてくることが多いので、こういう契約書を提示された場合の反論としては「何が秘密なのか具体的に定義しましょうよ」というのがあります。

未公表の新製品のデザインとか、ワクチンの母株のDNAコードとか、特殊な部品の発注仕様書とか入札の価格とかはあきらかに秘密ですが、事務所の壁に貼ってある社内イベントのお知らせなどまで秘密情報なのかよ、ということです。
たまたまその会社の役員さんの虫の居所の悪い時に「○日は御社は忘年会ですからご都合悪いですよね」などというと、「何で会社の内部情報を取引先が知ってるんだ」などというカミナリが社内に落ちたりして、で、大体そういう契約書を作るような会社は上からのプレッシャーがそのまま伝わってくる事が多いので「契約違反」などと言われるのは面倒この上ありません。

また、会議室に入ったら前の打ち合わせで使ったホワイトボードが消してなかったなんてのも、こっちの知ったことじゃないわけで、少なくとも「委託者が秘密として管理しているものに限る」というような限定も必要です。

まあ、訴訟になった場合に負けることもないだろうというような部分の細かい条項でゴタゴタするのもいやなのですが、「なんでもかんでも秘密」というような契約を提示する会社は一般的に弱い立場の相手には強硬な対応をすることが多いので。


オジサンはそこで昔の冷戦時代のソビエト連邦のジョークを思い出してしまいます。

ある男がモスクワの赤の広場で「フルシチョフの馬鹿野郎!」と叫んで15年の懲役になった。
15年の内訳は、国家元首侮辱罪で5年、国家機密漏洩罪で10年。


企業秘密もそうで、ビジネス上の重要な秘密をどう管理するかでなく「自分が気分が悪くなるようなことが起きたら文句が言える」というところに議論がずれているときがあるように思います。

同じ個人情報保護法騒ぎのときに、従業員から念書を取る、というのが流行ったことがあります。
ここで問題になったのが、派遣社員から念書を取れるか、ということで、会社と派遣社員は直接の雇用契約関係にないけど派遣業法には秘密保持義務がうたわれているから、派遣会社を通じて事前に申し入れればOKとか、でも職業選択の自由ともかかわるので覇権終了後までは拘束できないのでは、などという議論があったかと思います。

でもそもそもは、そんなに重要な秘密なら非正規従業者に任せなければいいだけの話なんですよね。


これですぐ「階層社会」という話になるのはいやなのですが、個人的には特に組織体であれば権限と責任と報酬が階層化しなければ機能しないわけで、問題は権限と責任と報酬のバランスが崩れているところにあるのではないかと思ってます。

なんかとりとめがなくなってしまいましたが、労働市場の需給バランスの話にまでなると(考えもまとまっていませんせし)長くなるので今日はこの辺で。


PS
ところで石原真理子の本ですが誰か知り合いが買ったら借りようかと思っていますw 

この本が名誉毀損になるかどうかは、事実だとしても公共性・公益性があるかというあたりが論点になるのでしょうが、その意味でDVとかパワハラ風な話を入れたのでしょうか、また書かれた本人が法廷の傍聴記などで再度さらしものになることを覚悟してまで訴えてくることもないというあたりは計算しているんじゃないかなどと漠然と思っています。

ところでワイドショーなどでは不倫相手を実名で公表するのは「掟破り」とか言われていますが、芸能記者はいままで「不倫疑惑」などとさんざん報道しているわけで、これは業際の侵害という意味で「掟破り」と言っているんでしょうかねぇ。

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弁護士の不養生

2006-11-08 | 法律・裁判・弁護士
アメリカでは中間選挙が行われ、今日の午後には結果が判明するようですが、今日の話題は弁護士会の選挙の話。

弁護士の自治組織としては日本弁護士連合会という全国組織があり、その下部組織として各都道府県に弁護士会(東京は3つ)の弁護士会があります。

それで今、弁護士会の会長とか副会長などの役職を決める選挙シーズンに突入しているそうです。
弁護士会にも「派閥」(※1)というのがあってそれぞれの派閥で候補者を立てて選挙運動を繰り広げているとか。
(実態についてはこちらの弁護士さんのHPに詳しく書かれています。)


もちろん公職選挙法とかがない世界なので、選挙運動に規制はないのですが、友人の弁護士があきれていたのが、誹謗中傷メールの横行。
対立する派閥の候補者の女性関係やら金銭関係やらいろいろと書きたてるメールが送られてくるのだとか。
私も実物を(一部伏字で)転送してもらったのですが、決して品がいいとは言えないこのブログでもちょっと掲載をはばかられるようなものでありました。(※2)


弁護士会の選挙自体がどのように運営されようと私がとやかく言う話ではないですし、議員の選挙でもないので完璧にクリーンにやらなければいけないとまでは思いません。また、商工会議所の選挙(私の実家のような末端の零細企業レベルでも供応を受けたりしてましたw)などと比べて特段ひどいというわけでもないのでしょうが、気になったのが「誹謗中傷メール」という方法。


「企業の情報管理とコンプライアンス」とか「公益通報者保護制度と企業の対応」などというテーマで弁護士の先生が講師をされている講演会がちょっと前によくありました。
そこでは、電子メールは多数に同時に送信され、また転送されることで不利益情報が一気に伝播するので企業に対するリスクが大きいですよ、なので私用メールの禁止ルールや内部通報制度を作りましょう、などという話がされていたのではないかと思います。

なので、誹謗中傷を電子メールにすれば弁護士以外にも転送されるリスクはご承知のはずですが、このメールの送信者は、こういうメールは簡単に外部に伝わりそれが弁護士全体の信用にかかわるということを意識されなかったのでしょうか?


自分のことになるとなかなか・・・というのはどの専門家にもあるようですね。



(※1)大きな弁護士会だと派閥の中で更に会派があるそうです。なんだか「山口組系〇〇会傘下××組」みたいですね(管理できる単位の問題があるので組織の構造はどこも似てくるのでしょうか)。

(※2)文面がなんのひねりもない単なる悪口で、相手以前に書き手の品性を疑われるメールだったので転載しても面白くない、というのも一つの理由であります。
(余計なお世話ですが、これを書いた弁護士の方、あまり文才なさそうです・・・)
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やる気のないのはどっちだ?

2006-11-07 | 法律・裁判・弁護士

(岡口裁判官のボツネタ経由)
2ちゃんねる管理人、巨額賠償に独自見解  

失踪(しっそう)説が流れていたインターネットの大型掲示板「2ちゃんねる」管理人、ひろゆきこと西村博之氏(29)が4日、早稲田大学の学園祭「早稲田祭」に登場し、講演会を行った。悪質な書き込みをめぐる訴訟で負け続け、巨額損害賠償金を抱える身だが、裁判や支払い判決を無視し続けている。西村氏は「(裁判に)勝とうが負けようが払わなければ一緒」「僕に金を払わせたいなら、そういう法律を作ればいい」と独自の見解を語った。

現在、都内に登記上の住所を置いているとされるが、そこは無人のことが多く、裁判関係書類なども郵便受けにたまったままのことが多いという。原告らは西村氏と連絡が取れず、賠償金を払ってもらえない状態が続いている。現在、西村氏が抱える未払いの賠償金は総額数千万円ともいわれる。  

西村氏は多くの訴訟について「僕は沖縄から北海道まで訴えられているので、自腹で日本中を回るか、1件100万円以上払って弁護士をつけるかなんです。でも『(裁判を)やらない』という選択肢をとったら何も起きなかった。これが現状。勝とうが負けようが、払わなければ一緒なんですよ」と独自の理論を展開。さらに「もし僕に金を払わせたいなら、国会議員に言って、そういう法律を作ればいい」とまで述べた。  

しかし、掲示板の広告収入などで巨額資産を持っているようで、年収について「日本の人口よりちょっと多いくらい」と述べ、1億数千万円以上あることをにおわせた。「2ちゃんねる」については「別に積極的になくす理由がないので、だらだら続くんじゃないですか。僕がいなくても回る仕組みなんですね」。  

細かい訴訟をいっぱい起こされて対応できないという西村氏の主張も気持ちとしてはわからなくはないですが、日本の民事訴訟は弁論主義なので、反論しなければ負けるのは仕方ないことです(また「沖縄から北海道まで訴えられている」といっても、裁判管轄は被告の住所地のはずで、全国をかけめぐる必要はないのでは?)。  


ただ逆に、勝訴判決をとっても、負けた当事者が判決に従わない場合は、勝った側は払わせたければ自ら強制執行を申し立てる必要があります。  

なので、西村氏のスタンスが「自分は裁判所に出頭せず敗訴・強制執行の腹をくくっているのに、強制執行もしないで任意に支払わないのはけしからんと言うのはおかしいじゃないか」というのは筋は通っています。

なんとなく、

「原告も弁護士も『2ちゃんねる相手に勝訴』っていう事実さえあれば宣伝や世間的excuseには十分なので強制執行までしやしない」

と、高をくくっているように見えます。

債権者が西村氏の破産を申請した、というような話もありましたが、(「2ちゃんねる」の運営主体や訴訟の被告が法人なのか西村氏個人なのかよくわかりませんが)債務名義を持っているのであれば、とっとと銀行口座(※)とか広告料の請求権とかの差押えをすればいいと思うのですが。  


結局誰も強制執行まで踏み切らないとしたら、誰も「強制的に払わせたい」とまでは思っていないわけで、それに対する西村氏の「払わない」という行為自体は制度の趣旨に反してはいません。  
世間常識から言えば「独自の見解」で決して行儀がいいとは言えませんが、理屈には合っていますね。  

企業は費用対効果を考えるといちいち回収を考えないでしょうし、依頼者がそうである以上「社会正義を貫くために手弁当でもやる」という弁護士もいないのでしょう。

西村氏的なやりくちは決してほめられたものではないとは思いますが、相手がそういう輩と承知しているのなら、10万円だろうとどんな手間ひまをかけてもきっちり回収してけじめをつけるという気合がないのであれば最初から訴えないほうがましだ、と個人的には思います。


マスコミネタにはなってますが、実は関係者全員がやる気がないのでは、と思えるような話です。
確かに2ちゃんだけで盛り上がってるだけでマスコミがとりあげなければ、訴える人もいないのかもしれません。

所詮その程度の話、ということでしょうか。


PS 年収1億円以上と言っておきながら数千万円の「巨額賠償」というのも変な記事ですね。


(※) 銀行口座についてはどの支店にあるのかが不明なうえそれぞれの訴額が小さいので、「絨毯爆撃」の差押もコスト倒れかもしれませんが、最近は優先順位をつけた複数支店に対する差押を認める判例も出ているようなので、やってみる価値はあると思います。
銀行はこの判例の流れが「支店を特定しない差押え」につながるのをいやがっているようですが、こういう世間的注目をあびる事件は突破口になりやすいので弁護士的にはさらに名を上げるにはおいしいと思うのですが・・・

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「消費生活用製品安全法」(パロマ事件に関連してのメモ)

2006-07-25 | 法律・裁判・弁護士

前のエントリでパロマの湯沸器問題について行政がいちいち安全性に介入するのも、という話をしたのですが、新聞記事を読んでいて「消費生活用製品安全法」なるものの存在をはじめて知りましたので、備忘録代わりのエントリです。

これは本来は生活用品の中で特に危険が高いものについて技術基準を設けて適合製品(=マークを表示)のみ販売を認めるというものです。

現在法律で「特定製品」として規制されているのは

① 家庭用の圧力なべ及び圧力がま(一定の基準以上のものに限定されますがその定義は省略、以下同じ。)
② 乗車用ヘルメット
③ 乳幼児用ベッド
④ 登山用ロープ
⑤ 携帯用レーザー応用装置
⑥ 浴槽用温水循環器

と、かなり限定されていて(個別の法律で規格が定められている製品はその法律により、この法律の適用がないことが原因)、このうち③(追記参照)⑤⑥が特に監督の厳しい「特別特定製品」とされています。

その他の「消費生活用製品」(つまり普通の製品)については

主務大臣は、消費生活用製品の欠陥により一般消費者の生命又は身体について重大な危害が発生し、又は発生する急迫した危険がある場合において、当該危害の拡大を防止するため特に必要があると認めるときは、政令で定める場合を除き、必要な限度において、その製品の製造又は輸入の事業を行う者に対し、その製造又は輸入に係るその製品の回収を図ることその他その製品による一般消費者の生命又は身体に対する重大な危害の拡大を防止するために必要な応急の措置をとるべきことを命ずることができる。
とされています。
※制度の概要は経済産業省のHPをご参照ください

昨年の松下の石油ファンヒーターはこの条文に基づき回収命令が出されたのですが、一般の製品についてこの「緊急命令」はめったに出されないいわば「伝家の宝刀」とのことです。


今回の事故(事件)は、メンテナンス会社不適切な改造の問題とメーカーがそれを知りつつ周知を怠った問題が絡み合っていますし、製造後の期間の経過の問題もあり、法律的な責任(被害者への民事上の損害賠償責任とか刑事責任)についてはメーカーが当然に責任を負うかどうかは微妙な部分もあると思います。
※報道を見る限りはパロマの対応は「論外」に近いものであったことが明らかになりつつあるようですが・・・

しかし企業全般が「作った後のメンテナンス(またはメンテナンス不備)上の事故は知ってても関係ない」というスタンスを取りつづけるようだと、政府もちょっとの事故で「伝家の宝刀」を振り回すことになるので、結果として企業自身の首を締めてしまうことになりかねません。


その意味でもパロマの対応が適切であったかをきちんと検証し、他の企業もこれを他山の石とすることが必要だと思います。
*****************
 
2007.2.21
コメントでご指摘いただき、誤りが判明したために訂正しました。
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弁護士と利益相反

2006-05-05 | 法律・裁判・弁護士

5/2の朝日新聞の「私の視点」というコラムにピーター・アーリンダー(弁護士・米ウィリアム・ミッチェル・ロースクール教授)氏の「保険金不払い キツネに鶏の番をさせる愚」という文章が載っていました。

そこではこの3月から始まった明治安田生命の「保険金・給付金のお支払いに関する不服申立制度」の問題点を指摘しています。

なぜだかこの制度、会社のHPからは削除されているので制度の概要をリリースにそって説明すると以下のようになります。

明治安田生命保険相互会社(社長 松尾 憲治)は、業務改善計画に基づき、保険金等のお支払いに関する不服のお申し出について、社外弁護士がお支払いに関するご相談に応じる「保険金・給付金のお支払いに関する不服申立制度」を2006 年3 月28 日に開設することといたしました。

■対象とするご相談
原則として、保険金等のお支払いに関して支払相談室のご説明ではご納得いただけず、第三者へのご相談をご要望される場合にご利用いただけます。なお、訴訟継続中の場合や生命保険協会裁定審査会への裁定申立、各弁護士会が行なう紛争解決センターによるあっせん手続き・仲裁手続きの申立が行なわれた事案などの場合は、本制度をご利用いただくことはできません。

■ご相談方法
当社と業務委託契約を締結した社外弁護士と、原則として直接面談方式で行ないます(名古屋・大阪では遠隔映像機器により面談方式でご相談いただけます)。

■社外弁護士のご説明について
社外弁護士は第三者の立場に立って、査定結果とお申し出内容の相違点を法令・約款に照らして、法的観点から整理し論点のご説明などをいたします。
・法的手続きに要する費用等の一般論および過去の判例等の一般的な法律相談を実施いたします。
・ご相談の結果、お客さまが要望される場合、および社外弁護士が再査定を相当と判断した場合は、当社支払査定部署に対して再査定を要請いたします。再査定にあたっては、「保険金等支払審査会(他の社外弁護士を含んで構成)」に審査を依頼いたします。

■ご相談費用・ご相談費用は原則として無料といたします。

■その他・本制度によるご相談案件に関し、当社とお客さまの間に法的紛争が生じた場合、当社は社外弁護士を代理人とする訴訟等委任は行なわず、社外弁護士はお客さまからの訴訟等委任は受任いたしません。

アーリンダー氏は、”加害者”である会社と契約した弁護士から”被害者”である顧客がアドバイスを受けると言う制度の矛盾を指摘します。つまり、弁護士は依頼人の利益のために行動するのが使命で、対立する第三者へのアドバイスは利益相反であり、そもそも「第三者的なアドバイス」は期待できない、ということです。 上の青字のところが矛盾している、ということですね。

相談に行った人が、「金に困っているから早く処理したい」という秘密をその弁護士に語ったとき、その弁護士はその秘密を会社に伝えないといえるのか。それを知った会社は、交渉上有利になるのは確実だ(中略)
「第三者」を装った弁護士が被害者の情報を収集、あるいは被害者が真に自分の利益を守ってくれる弁護士に依頼し、会社を訴えるなどという方向に行かないように操作する。このような親切ごかしの手法で被害者を「囲い込む」ことが日本では広く行われている、という。

前段の利益相反の指摘はもっともだ思いますが、私はその程度の事は日本の消費者もお見通しなので、この制度自体が利用されないのではないかと思います。
利用されないことを承知で世間へのアピールのために作ったとしたらそれはそれで問題だと思いますし、もし機能させるなら、弁護士会でも間に入れて「資金は提供するが運営は弁護士会が行う」くらいの客観性を持たせたほうが良かったのではないかと思います。

なので、後段のようなことが「広く行われている」ほど日本の企業がひどいとは私は思っていないので、ここまで言われるとせっかくの鋭い指摘が偏見を根拠にしているようでちょっと残念です(だからアメリカ人は・・・とかアメリカの弁護士は建前はさておき実際もそんなにご立派なのかい?と言いたくなってしまいます)

ところで、この「第三者の立場にたつ当社と業務委託契約を締結した社外弁護士」という業務は受託可能なのでしょうか?

久しぶり登場の日弁連の弁護士職務基本規程によれば

第三十二条 弁護士は、同一の事件について複数の依頼者があってその相互間に利害の対立が生じるおそれがあるときは、事件を受任するに当たり、依頼者それぞれに対し、辞任の可能性その他の不利益を及ぼすおそれのあることを説明しなければならない。

とあるので、相談者に「第三者といっても依頼者は保険会社ですけどいいですか」と言えばいいのでしょうが、それだと機能しませんね。

第二十条 弁護士は、事件の受任及び処理に当たり、自由かつ独立の立場を保持するように努める。
第二十一条 弁護士は、良心に従い、依頼者の権利及び正当な利益を実現するように努める。
第二十二条 弁護士は、委任の趣旨に関する依頼者の意思を尊重して職務を行うものとする。

この辺の条項を根拠に、「依頼者が「第三者的に判断してくれ」と言っているのだからそれを尊重して判断すれば、利益相反の問題はなく第三者的なアドバイスができる」というようなロジックを組んでいるのでしょうか。
「依頼者の利益」よりも「自由かつ独立」が先にたっているので「弁護士は大所高所から適正な判断と行動ができる」という考えが根底にあるとすれば、それほど悩まなくて済むのかもしれません(それが世間の期待している弁護士像と一致しているのか、という論点はあると思いますが)。


先ほどのようにあしざまに言われると腹が立つのですが、確かに日本では従来弁護士の利益相反問題とか守秘義務は比較的大目に見られているような感じもします。
ただ、今後証券化とかM&A取引が広がる一方で、西村ときわ法律事務所とあさひ狛法律事務所の合併のように大手ローファームの寡占化が更に進むとクローズアップされてくるかもしれませんね。

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法制度のtrial snd eror(へろへろ暫定版)

2006-04-06 | 法律・裁判・弁護士
昨日の朝のNHKBS世界のニュースでのアメリカの先住民族に認められたカジノの話。
これらのカジノは特別法で州法の適用除外が認められるため、カジノの営業ができるらしいですが、そこの女性従業員がセクハラや雇用差別を訴えようとしたところ、州裁判所の管轄外だとカジノ側から争われているとのことです。(ちょいと調べた範囲ではネットにはありませんでした)

じゃあ一体普段の警察活動とかどうしてるんだろう、という疑問なのですが、TVではカジノ側の弁護士曰く、州法の管轄外であり、自治のルールに従った裁きを受けるべきだ(それってなんなんだろう?)というようなことを言っています。

そうすると、いきなり連邦裁判所に訴えるのか、とか、その場合準拠する法律は何なのかとか、素人には不思議いっぱいです。

でも、簡単に州法への準拠や州の裁判管轄を認めてしまうと、そのほかのこと(税法とか客からの取り立てとか)にも影響が出るので、軽々には認められないというカジノの弁護士の立場も理解できます。

そうなると自分の雇用契約の準拠法や裁判管轄を確認するのも労働者の自己責任、というわけですね。
ただ長期的には、たとえば観光客の損害保険なども実は米国諸州の法律が適用にならないとするとそこでの事故は「旅行対象地でない」とかで適用にならなかったり(約款未確認)して、結局司法管轄問題はカジノの集客にマイナスになるということで現実的な解決がなされたりするのでしょうか。


一昨日のエントリを引用いただいた47thさんの「フィードバックとトライ・アンド・エラー」
を拝見しながら、日本的には政府提出法案だと法案提出前に関係官庁への照会をして重箱の隅までつつくので、こういうことが起きたりすると「そんなことも考えずに特別法なんか作るなんておかしいんじゃないか」ということになるわけですが、こういうのが平気で起きるのはいかにもアメリカ流だなぁと思った次第です。

昨晩飲みすぎてヘロヘロの状態でのエントリなのですが、忘れてしまう前にメモ代わりということでご容赦ください。
機会があれば後日補足しますので今日はこの辺で。
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「安全な日常生活」についてのコンセンサス

2006-03-25 | 法律・裁判・弁護士

PSEなし中古家電の販売、事実上容認
(2006年 3月24日 (金) 22:31 読売新聞)

電気用品安全法の安全基準を満たしたことを示す「PSEマーク」のない家電製品(259品目)が4月から販売禁止になる問題で、経済産業省は24日、マークのない中古家電について、当面の間、レンタル扱いすることで事実上、販売を容認する見解を表明した。

PSE法については、メディア(特にラジオ局など)でも反対の大合唱だったわけですが、個人的にはそんなに電子楽器が特権的な地位を持つものなのかなぁ、という疑問があります。

(この手のことになると必ず出てくる坂本龍一の自称「インテリ」「クリエイティブ関係」の人々に対するポジションが、「庶民」に対するみのもんたのポジションに似ているように思えるので、なんとなく胡散臭く感じられてしまう、ということは置いておくとしても)マスコミやブログなどの論調でも「音楽文化」を守ろうとか「中古品流通業者が可哀相」というようなこの件に関してだけは妙に感情的な議論が多いように見受けられます。

僕自身は口三味線以外の楽器をたしなまないので特にそう思うのかもしれませんが、生活をめぐる安全については車検制度(利権の問題ならこれも議論されるべきだし、逆に構造偽装問題とのからみでは民間委託の是非という論点もあります)とか玩具のSTマークとかいろいろあるわけで、それらと比較して日常生活に不合理な制約を与えるものか、ということをまず検証すべきだと思います。

また、「万が一感電してもそれは本人が承知」というような部分については、白物家電についてもそれが言えるのか、とか、日本には失火責任法という法律があって隣家に延焼しても故意か重過失の場合以外は責任を負わないので、エレキギターマニアの漏電事故だからといって単に「自己責任」で済む訳ではない、という問題もあります。

言ってみればこれは

国民の安全を配慮するために日常生活についてどこまで国が規制をかけるか

という枠組みで議論すべき問題なのではないかと思います。


その意味で注目すべきは

志賀原発の運転差し止め命じる 金沢地裁判決
(2006年 3月24日 (金) 20:47 朝日新聞)

井戸謙一裁判長は「電力会社の想定を超えた地震動によって原発事故が起こり、住民が被曝(ひばく)をする具体的可能性がある」として巨大地震による事故発生の危険性を認め、住民側の請求通り北陸電力に対して志賀原発2号機の運転を差し止める判決を言い渡した。
 井戸裁判長は判決で、志賀原発2号機の敷地で起きる地震の危険性と耐震設計について検討。耐震設計が妥当といえるためには、運転中に大規模な活動をしうる震源の地震断層をもれなく把握していることと、直下地震の想定が十分であることが必要だと述べた。
 その上で、国の地震調査委員会が原発近くの邑知潟(おうちがた)断層帯について「全体が一区間として活動すればマグニチュード7.6程度の地震が起きる可能性がある」と指摘したことを挙げ、「電力会社が想定したマグニチュード6.5を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」と述べた。

僕自身は原子力発電の是非については「まだよくわからない」というのが正直なところです。

化石燃料による火力発電の温暖化問題
水力発電もダムが流砂で容量が加速度的に減ってしまい耐用年数が意外と短いという問題
原子力発電の事故の場合の被害の甚大さ、使用済み燃料の核兵器への転用可能性
はたまた、そもそも遠隔地に発電所を置く現状のシステムの送電コストや送電ロスを考えると、利用者の近くで小口で発電するコ・ジェネレーションの方がいいのではないか
などの問題をどう評価すべきかの意見がまだ持てていないからです。


ところで、僕が今回の判決を注目するのは、いままでの住民訴訟とそれを容認した判決に見られるような「憲法上の幸福追求権」などだけから大上段に違法、とした(言うなればおおざっぱな)判決ではなく、言ってみれば「隣家の塀が傾いてきて危ないので取り壊すなり建替えるなりしてくれ」という訴えと共通する民事訴訟の枠組みの中で、安全性と事故の際の危険性を評価して判断を下しているように見えるからです。

建築当初の国の安全基準さえ満たしていればいい、というわけでないのは、不特定多数のお客さんが出入りする商業ビルで、築年数が古く建築当初は適法だからといって、耐震性能等について全く配慮しなくていい(耐震補強促進法上は努力義務に過ぎないのですが)というわけでないのと(ざくっと言えば)同じです。

そういう他の施設と同様の法的枠組みの中で、原発の事故の際のリスクの高さとその有すべき安全性の基準を検討した結果、この原発は危険だ、と両当事者の主張を比較して裁判所が判断(実際は裁判官の信条によるバイアスがかかっているのかもしれませんが)した結果、専門知識も資料も弁護士を雇う財力も持っているはずの北陸電力が負けたわけです。
ひょっとして北陸電力側としては、国の基準に準拠していれば民事上も免責とタカをくくっていたのでしょうか。まさか運転停止までくらうまい、という慢心があったのかもしれません。


北陸電力は(もちろん)控訴するようですが、高裁でも、普通の民事事件の枠組みの中できっちり判断してもらいたいものです。「今更元に戻せないから仕方ないではないか」というような事情判決は避けて欲しいと思います。


これらの話題を契機に、そもそもの生活の安全を守るためにどういう制度的枠組みが重要なのかを考え直してみる必要があるように思いました。


<追記>
PSE法については経済産業省も妙に弱腰ですね。
それに上記記事の対応策だと、法律としての安定性に欠けるような気もします。
それでも、法律自体はかなり前に出来ていたのですから、中古業界の自助努力不足もあるのでは、とか、ディーゼル車の排ガス規制はよかったのか(この規制で戦後ウイリス社からライセンス生産たとこから始まった三菱JEEPは乗れなくなってしまったんですよね)というようなひっかかりが残ります。

 

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ドタキャンな弁護士

2006-03-15 | 法律・裁判・弁護士

山口・母子殺害の上告審、弁護人欠席で弁論延期
(2006年 3月14日 (火) 23:58 朝日新聞)

山口県光市で99年に母子が殺害された事件で、14日に予定されていた当時18歳の被告(24)の上告審の弁論は、弁護人が「弁護士会の仕事がある」として出廷しなかったため開かれなかった。弁護人は2週間前に選任され、「準備の時間がない」と期日延期を求めていた。最高裁第三小法廷は4月18日に改めて期日を指定。浜田邦夫裁判長は「正当な理由なく出頭しないのは極めて遺憾」と異例の意見を述べた。

被告は一、二審で無期懲役とされた。刑事訴訟法上、重大事件では弁護人がいなければ開廷できない。検察官は「遅延目的だ」と抗議し、遺族の本村洋さん(29)は「これほどの屈辱を受けたのは初めてだ」と会見で怒りをあらわにした。

第三小法廷は死刑を求めた検察側の上告を受理し、昨年12月に弁論期日を指定。二審判決が見直される可能性が出てきた事態を受け、当時の弁護人は今年2月になって死刑廃止運動のリーダー格・安田好弘弁護士らに弁護を依頼し、自らは今月6日に辞任した。安田弁護士は「記録を精査して事実を究明するには3カ月はかかる」とし、遅延目的を否定している。

刑事事件ではどうなのか知りませんが、民事事件だと上告されても受理されるかどうかはしばらくわからず、ある日突然に不受理通知がきたり、受理されて弁論期日が指定されたりするので、被告人側としたら受理されまい、と高をくくっていたので準備をしていなかったのかもしれません。

そうだとしても、昨年12月に弁論期日が指定されたのに3月6日にいきなり辞任というのは、前任の代理人弁護士は相当無責任だと思います。
そもそも上告が受理されることを想定していなかったとしたらプロとしてズサンですし、上告審での弁護に自信がなければとっとと辞任すべきです。
土壇場になって放り出されては、依頼者が一番困るでしょう。

新しく選任された安田弁護士としては、非難されても上のようにしか答えようがないでしょう。

テレビなども含め、報道は「被告人側」や当日欠席した弁護人を非難する、というトーンですが、被害者の遺族の気持ちはわかるものの、報道の視点としてはちょっと公正さに欠けているように思います(今回は事件の悪性を非難するのでなく、手続きの不当性を非難するという立場でしょうから)。
被告人としては、今回の辞任劇が意図的なものではないということを明らかにするためにも、前任の弁護士の懲戒請求でもしたほうがいいのではないでしょうか(最高裁まで来ると、この手のゴタゴタの心証はほとんど斟酌されないとすると意味がないかもしれませんが)


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(3/15追記)

矢部善朗弁護士の「元検弁護士のつぶやき」では

今朝の読売新聞を読んでみますと、本件を審理している最高裁第3小法廷の浜田邦夫裁判長が5月下旬で定年退官するんですね。
弁護側の意図が120%明瞭になりました。
浜田裁判長の定年退官前に結審していなければ、浜田裁判長の後任者を含めてあらたに合議をして死刑か否かを決めることになりますから、死刑に消極的な裁判官が浜田裁判長の後任者になることを期待して、死刑判決を考えている現在の合議体による判決を回避しようとしているわけです。
つまり訴訟遅延行為であることは明白です。

という指摘をされています。

私のエントリは犯罪の罪状云々を別にして公平なスタンス(のつもり)で書いてみたのですが、安田弁護士は死刑廃止論者の代表選手のような方のようなので、矢部弁護士の推測のような意図もあるのかもしれません。

ところで、こういう行為は弁護上の技術として許容されるべきなのでしょうか。(アメリカでは当然に許されそうですが)

個人的には、遅延行為が効果的な主張の準備に必要であれば許容されるけど、単に判決を引き伸ばすだけ、というのは不適当だと思います。

ただ、矢部弁護士の記事中に

最高裁が必要的弁護事件で弁護人抜きで審理した事件の上告を棄却した例もあります。

ともあるので、裁判所の心証を害するリスクを承知でやっているとすれば、弁護活動としては「あり」なのかもしれないなぁとも思ったりしてます。

コメント (2)
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