一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『収奪の星 天然資源と貧困削減の経済学』

2013-02-03 | 乱読日記

タイトルからは天然資源の収奪が自然破壊と途上国の貧困をもたらしている告発本風ですが、原題の副題"How to Reconcile Prosperity with Nature"(成長と自然をいかに和解させるか)が本書の内容をより正確に伝えています。

著者は経済学の視点から自然資源のレント(超過収益)を産出国、産出国の政府と国民と企業、産出国以外の先進工業国・発展途上国、そして現在と将来の人々の間でどのように配分するのが合理的か、という分析から、天然資源を収奪に終わらせるのでなく途上国の成長と貧困削減につなげる方法を考察しています。

最貧国に必要なのは高度成長である。そしてこのことが、貧困の削減と自然の保存を対立させる結果を招いている。環境保護主義者は、経済成長と環境の持続可能性を両立させなければならないと主張する点で正しい。経済学者は、持続可能性とは必ずしも保存を意味しないと指摘した点で正しい。環境保護主義者が自然をそっくり保存することに固執するなら、世界の貧困との闘いにおいて、彼らはまちがった側につくことになる。

そして自然資産を持続可能な開発のために活用する方法について考察しますが、同時にその難しさ、それゆえに今まで実現できなかった理由も指摘します。

政府がここまでに三つの決定をうまく下してきたとしよう。第一に、地質調査を行って資源の存在を裏付ける十分な情報を収集し、資源発見の高い採掘権を入札にかけて高値で落札させた。(*1)第二に、自然資産の経済価値の大半を捕捉できるような税制を設計し(*2)、税収のかなりの割合を貯蓄しながらも、将来世代に対する義務は果たせると判断したうえでいくらか消費を増やした。(*3)そして第三に、国内インフラ投資のリターンは外国の無リスク資産のリターンよりはるかに高いことを理解し、それを活かせば将来世代に対する責任をより効率よく果たせると気づいた。(*4)となれば残る環はただ一つ。その国内投資を実行することである。

(注)
*1 これにより情報の非対称性や賄賂により企業に不当な安値で採掘権を与えるのを防ぐ。
*2 商品相場の変動リスクを企業と応分に負担する安定的な税制をつくることは、採掘権を取得した企業の安定的な経営と不正への誘因を減らし、国への安定的な税収をもたらす。
*3 持続的成長のためには、枯渇性資源からの収入は浪費してはならない。
*4 資源収入を国内投資にふりむけ、持続可能な収入につなげる必要がある。

しかし、この3つのハードルを乗り越えたとしても、そもそも公共投資の収益性の低さに加え、さらに政府支出に群がるロビー活動と汚職、未熟なプロジェクト推進体制、輸入資本財の高騰などっ国内投資にも多くの問題を抱えるため、資源保有途上国が持続的成長軌道に乗る処方箋を実現するのは困難を極めます。
そこでは途上国自身の統治構造や制度自体が問われることになります。
(「ナイジェリア無敵艦隊(Cement Armada)」のエピソードは笑うに笑えません)

本書の話は、漁業資源の問題や、最近ブームの小規模農家の礼賛や遺伝子組み換え作物禁止、バイオ燃料への異議などさらに広がります。


終章では著者の主張が運動論として語られています。
ナイーブになりすぎることなく、かつ希望を持ち続けて国際社会に働きかけていく姿勢は日本も大いに学ぶべきだと思います(そのまえに国際社会に顔を売ることが必要ですけど)。

 新興市場国は、富裕国の責任を言い募ることをいつまでも逃げ道にするわけにはいかない。富裕国と同じく、新興国市場でも政府に説明責任を果たさせなければならない。多くの新興市場国、とりわけ中国では、市民にそのような経験がほとんどない。だが、国境をやすやすと飛び越えてしまう技術の力を使えば、他国の経験から学ぶことができる。
 
 富裕国がかつてやったことをわれわれがやってなぜ悪いのか--新興市場国のこの主張がもはや通じないことを、私は本書で示そうと試みた。・・・安い自然が豊富にある時代は終わったのである。私たちは、自然が貴重になった時代の世界共通のルールを作る必要がある。

 


 

 

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