小田島隆のコラムは面白い。
理路の足元を照らしながら歩くような語り口についていくと、気がついたら切り口が景色として目の前に提示されている。
まあ、最後までグダグダなのもなくはないが、そのグダグダも面白い。
本書は小田島隆がコラムについて語る、という自己言及はなはだしい本。
エッフェル塔の足元ではエッフェル塔がどう見えるかというような企画である。
なので、理路グダグダ感が満載で、面白いことこのうえない。
まずは読んでいただきたい。
ネタバレになってしまうが、気に入った個所をいくつか紹介。
どうしてアタマの良い人が、良い文章を書けないというようなことが起こりうるのだろうか。
おそらく、このことは、魅力的な会話を成立させる能力と、マトモな文章を書くための能力が、まったくかけはなれているということに由来している。
技巧のない書き手は、どんなに良い話を持っていてもそれを良質のテキストとして結実させることはできないし、意欲を高く保ち続けることのできない書き手は、最終的に、原稿を読める水準の作品として着地させることができない。
つまり、モチベーションは、書きすぎると、枯渇するわけだ。
とはいえ、書かないでいると書かないことによる枯渇が訪れる。
ダブルバインドだ。
ともかく、やってみればわかることだが、現実的には、「全体を受け止める」ことと、「印象的な一行を書く」ことは、非常に両立しにくい作業なのだ。っていうか、ほぼ無理だと思う。
・・・結局のところ、われわれは、「流れ」と「印象」のいずれかを選択せねばならないことになる。
問題は、乗れているときに書いた原稿の出来が、必ずしも素晴らしくないことだ。
最後のは特に。