一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』

2014-02-15 | 乱読日記

ずっとサボっているうちに本のレビューもしなくなってしまったので、徐々に再開します。

本書は、少数のコテージでホスピタリティあふれるサービスを提供する高級リゾートホテルというスタイルを 確立したアマン・グループの創設者であるエイドリアン・ゼッカをめぐるドキュメンタリー。

ゼッカの日本とのつながり、アマン・スタイルを作った建築課との出会い、からはじまり、 1980年代の香港の伝説のホテル、ザ・リージェントに携わってからホテル経営に 転じるあたりまで遡ります。
そこでは高級リゾートホテルの歴史だけでなく、今では有名な数々のリゾートホテルがアマンの共同経営者などが独立して設立したと知ると面白さもひとしおです。

また、日本のバブル紳士も相次いで登場したり、日本で計画されて没になった案件もいくつか紹介されています。 (本ブログでもちょっと触れた(*1 *2 *3 )アーバンコーポレーションとの提携とその倒産も影響していたようです。)


本書の出版後、アマンは東京に次いで京都への進出も発表しましたが(参照)、 本書で紹介されているゼッカと多くの共同プロジェクトを行ってきた人物の

「京都は、どんなに時間がかかっても、彼はオープンさせると思いますよ」

の言葉が裏打ちされたことになります。


アマンといえば自然環境とホスピタリティ、そして高級というイメージが浮かびますが、エイドリアン・ゼッカを取り巻く人は、アマンのビジネスモデルをこう評しています。

「アマンの凄さは、土地を見極める能力が彼にあることだと思います。でも、その土地選びの能力は、ノウハウとして確立されていないのです。それと、はっきり言ってしまえば、でき上がったものに興味はない。オペレーションでは儲かっていなかったと思います。土地を動かす時に、不動産屋として儲ける、それがエイドリアン・ゼッカの手法なんです。土地のイメージを膨らませて、こだわって、ケリー・ヒルとか使って形にしてゆく。造るまでが、アドレナリン吹きまくりなんですね」

「ゼッカはね、一部屋あたり2000万円までであれば、儲かりますって言うんですよ。最高の自然環境に安く建てるのがポイントだって言っていたね。 ・・・」

これに加え、著者は次のように分析しています。  

そもそも、アマンリゾーツの最もエッジの効いた革新は、マーケティングやPRの手法、そしてブランディングだったと思う。

いかにしてコストを削り、効率化するか、ではなく、いかにしてコストの低いものを高く売るか、ということにおいて、アマンは巧みだった。


そんなこと気にせずにリゾートホテルを楽しめばいいではないか、という考えもあるとは思います。
ただ、 まだアマンに泊まったことのない私としては、もし泊まる機会があれば楽しみが増える本だと思います。

ところで、本書でも触れられていますが、著者の山口由美氏は箱根富士屋ホテルの一族の出身で、 子供の頃リージェントの後の総支配人となったロバート・バーンズがカハラヒルトンの支配人だったころに 宿泊した思い出なども語っています。
一方で、箱根富士屋ホテルは、1966年に国際興業グループに株を譲渡し、山口一族は経営から退いています(wikipedia「富士屋ホテル ホテルヒストリー」など参照)。
その当時、国際航業はハワイのホテルを次々と買収し、一方当時のライバルの東急の五島昇はバーンズと共同出資でリージェント を立ち上げています(香港のザ・リージェント開業前に資本関係を解消)。
著者としても日本の名ホテルの軌跡や近年誕生した新しいタイプのホテル・旅館の経営についても思うところがあるでしょうが、それは次回作に期待したいと思います。


コメント (5)
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