一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『イスラーム国の衝撃』

2015-02-01 | 乱読日記

週末にレビューを書こうと思っていたら、後藤健二さんのニュースが飛び込んできてしまった。
非常に残念であると同時に憤りを感じる。

政府の対応については、水面下で何が行われていたかは表に出しようがないので(水面下の話が漏れるようではそれこそ政府として問題)、当然マスコミや一般人には情報はなく、TwitterのTLなどではその人の安倍政権に対する好き嫌いの表明になっている感じがする。
逆に政府も結果に対してしか責任の取りようがないので、それだけに日頃の国民からの信頼が重要ということだろう。


さて、本書。
著者の池内氏は中東地域研究、イスラーム政治思想の専門家であり、著書も多数。
タイトルは出版社サイドが営業的な観点から決めたのだろうが、内容的にはアジり・決めつけなどはなくイスラーム国について一般に流布している誤解を解いたり、背景をきちんと説明している。

本書では911以降のアル=カイーダからグローバル・ジハード、イスラーム国に至る流れを丁寧に解説する。
さらに、イスラーム国はイスラム世界に突如として登場してきたものや、新しい主張ではなく、過去の中東の秩序とイスラーム世界の歴史から生まれたものであり、今イスラーム国が登場したこと自体が現在の中東の思想的・政治的状況の反映であると俯瞰する。

  「1914」(注:第一次世界大戦の勃発)は、アラブ世界に民族と宗派に分断された複数の国家を残した。それを超えると称する「イスラーム国」は、「1952」(注:エジプト・ナセルのクーデタと民族主義の高揚)や「1979」(注:イラン革命とイスラーム主義・ジハード主義)に掲げられたイデオロギーの断片を振りかざすが、独裁や抑圧や宗教的過激主義・原理主義といった、それらの画期に伸長した勢力の負の側面を受け継いでさらに強めた。「1991」(注:湾岸戦争)に確立された米中心の中東秩序に挑戦したのが「2001」(注:911)だが、それに対する対テロ戦争の追撃を受けて世界に拡散した過激思想と組織が、米国の覇権の希薄化と「2011」の「アラブの春」をきっかけに、(注:①中央政府の揺らぎ、②辺境地域における「統治されない空間の拡大」、③イスラーム主義穏健派の退潮と過激派の台頭、④紛争の宗教主義化、地域への波及、」代理戦争化の帰結として)「イスラーム国」という形でイラクとシリアの地に活動の場を見出した。・・・  

 「イスラーム国」は、中東近代史の節目ごとに強硬に発信されてきた、反植民地主義や民族主義、そして宗教原理主義といったイデオロギーを現実に実践して、その負の側面や限界、そして危険性をあからさまに体現してしまった。・・・  

 「2014」は、過去の変動期に解決されずに抱え込んできた問題が噴出し、過去の不十分な取り組みの帰結や負の要素を清算しようとする、それ自体が新たな問題を引き起こす解決策が試みられた、構造変動の軋みが表面化した年と言えよう。この年に現れた「イスラーム国」は、当事者や共感する者たちから見れば、症状を一気に解消する「夢の療法」なのであるが、実際には、中東の抱えた問題のいわば「症状」なのである。それは、中東・イスラーム世界の近代化の帰結であると共にその不全の表れであり、それを乗り越えようとする困難な試みという側面を兼ね備えている。その試みの多くは、不調に終わるだろうし、さらなる混乱をもたらすだろうが、不可抗力的・不可逆的な変化の一環だろう。

また、イスラーム国の実態についても、多方面のデータや情報そして著者の知見を使って、素人にもわかりやすく描いている。
「イスラーム国の衝撃」を易しくかみ砕いてみたでも紹介されているが、今回もなされたネットでの動画公開に代表されるようなメディア戦略に長けていること、また、それらの声明・文書もイスラーム教の教義体系の中から有用な概念やシンボルを選び出して自らを正当化するプロパガンダであるという指摘など、役に立つ部分が多い本だと思う。


余談だが、メディア戦略といえば、今日の安倍総理のインタビューを見て思ったのだが、この人は大きな言葉・強い言葉を使うほど不自然で気持ちがこもってないように聞こえてしまう癖があるような感じがした。


コメント
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