一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

割れない試験管

2008-07-19 | よしなしごと

NHKドラマ「監査法人」の最終話を見ました。
途中一部見逃した部分もあるのですが、なかなか楽しめました。


前回(第4話)を見ながら思い出だしていたのがイギリスのベストセラー作家のアーサー・ヘイリー
彼は『ホテル』や『マネー・チェンジャーズ』『ストロング・メディスン』など、大組織が腐敗から自壊していく様子を描くのが得意でした。

アーサー・へイリーの(国内で翻訳されたものとしては多分)最初の長編小説に『最後の診断』という作品があります(まだ絶版になっていなくてちょっとびっくり)。
これは、アメリカの医学部で病理学教室で学ぶ主人公のガールフレンドの膝の腫瘍を教授が悪性と診断し、彼女は脚を切断することになったものの、術後の病理検査の結果腫瘍は良性で誤診であったことが判明するというストーリーです(単純化してしまって作者には申し訳ないのですがプロットの積み重ねがとても上手で楽しめる本です)。
そして最後に教授が主人公に述懐する科白に

教授になって、やっと自由に研究ができると思った瞬間に、「割れない試験管」だのを売り込む業者の相手に忙殺されて、結局自分の研究ができなくなる。

というのがあります(うろ覚えですが)。
この「割れない試験管」というフレーズが、当時中学生だか高校生だかだった僕の脳味噌に妙に深くひっかっかっていて、実質上は価値がない仕事だけどなぜか忙殺されざるを得ない「身過ぎ世過ぎ」(=組織なり権限を維持する)のための雑務の代名詞のようにinputされていました。 

会社に入って中間管理職になると、ホントに「割れない試験管」仕事というのは多くて、しかもそれが業者からの売り込みでなく、会社の中のルールや許認可の手続きでも異常に多いということを実感しました。

また、アーサー・ヘイリーはその硬直化した大組織(とそれを象徴する権威・権力者)とそれに対抗する若手、という構図が得意でもありました。
そして、権力者を倒して入れ替わった若手改革者がまた組織維持(「割れない試験管」)に追われて倒される側に回る、という無限連鎖をも示唆しています。


ドラマ「監査法人」でもエスペランサ監査法人の理事長になった小野寺氏がまさにそれで、小野寺氏の不正を正す更に若い主人公の若過ぎ杉会計士とが最終回で対決します。

そういう意味ではオーソドックスな構成をとったドラマではあります。


ただ、このドラマは「真実」とか「正しさ」という言葉を使いすぎているところが気になります。
会計処理が「正しい」か否かは「公正なる会計慣行」にしたがって決められるわけで、それはあくまで「慣行」である以上(特に時の経過に対しては)相対的なものであるにもかかわらず、若杉会計士はやたら「真実」とか「正しい」を乱発します(最後家族との関係で多少自分の姿勢を考え直すのですが基本スタンスはほとんど変わっていないように思えます)。
この部分については、ちょうど昨日、粉飾決算 最高裁判決 旧長銀元頭取ら逆転無罪という、「公正なる会計慣行」の判断に係る最高裁判決が出たのもなにかの因縁を感じます。

それから、最後で若杉が尾張部品の経営改善を託されるあたりですが、本来会計士は問題点や改善効果の高い部分を指摘したり、改善効果を検証することは得意でしょうが、どうやったら経営改善ができるかについては、本来経営陣が考えることだと思います。
それまで会計士に委ねてしまったら、それこそ何のための経営者かわかりませんよね。
尾張部品の会長(大滝秀治)もいきなり若杉を引っ張ってきた経理担当役員のうじきつよしに社長をまかせようとしますが、それも経営建て直しのための後継者選びとしてはどうなんでしょうか(ちなみに、JALの西松社長は経理畑出身だそうですが・・・)

NHK名古屋放送局の製作なので「終わり部品」じゃなく「尾張部品」なので、続編がもし作られたらしっかり復活していることと思います。
そしてうじきつよしが

会計監査人の引き受け手がいないから足元見ようったって、その手は桑名の焼き蛤よ!

などと見栄を切っているのではないでしょうか。



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