一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

過去をふりかえる時間軸

2009-07-03 | よしなしごと

過去を理解する上で、現代の価値観から評価するのでなく、当時の人の立場に立って考えてみるというのはなかなか難しい、などと思ったのはこんなニュースがきっかけ

古墳期の田畑にも洪水跡 被害と闘い農業営む 池島・福万寺遺跡 大阪
(2009年7月2日7時56分 産経新聞)  

弥生時代の大規模な洪水跡が発見された東大阪市池島町の池島・福万寺遺跡で、古墳時代中期(5世紀後半~6世紀前半)の水田や畑跡が府文化財センターの発掘調査で見つかっていたことが1日、分かった。水田跡などは洪水で水没したことも判明し、洪水に見舞われながらも懸命に農業を営んでいたことを物語る興味深い資料になりそうだ。  

水田跡は、畑跡より数十センチ低い場所に築かれていたことから、水が確保しやすい低地に水田を設け、稲作と畑作を効率的に営んでいたことも分かった。  

水田跡や畑跡の一部は砂で覆われていたことから、洪水によって水没したと推定。同遺跡では、弥生時代前期~中期初め(紀元前4~1世紀)の大規模な洪水跡が見つかっており、この地域はたびたび洪水被害を受けていたという。  

昔学校で「エジプト文明はナイル川が起こす洪水が肥沃な土壌をもたらしていた」と習った記憶があるのですが、当時の灌漑技術や施肥の実態を考えると洪水が災厄なのかな?というのが素人の第一の疑問。  

また、「洪水で水没した」跡が遺跡に残っているということは1回の大洪水で壊滅的打撃をうけたのかもしれません。
「紀元前4~1世紀」という400年の期間に1回あった洪水だとしたら、干ばつ、冷害、日照不足などの他の自然要因のほうが日常的にはインパクトがあったようにも思います。 

また、池島・福万寺遺跡のサイトをみると、遺跡は川沿いに広がっているようなので、洪水が日常的にあったのかもしれません。
さらにナイル川と違ってそれが歓迎できないものだとしたら、当時の人もなんらかのリスク回避をはかっていたんじゃないかと思います。たとえば田の配置を分散させるとか。  

こういうのを掘り下げて考えると、考古学って面白いんだろうな、と思いながら、そこから先になかなか興味が進まないんですけどね・・・

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