著者の松岡正剛氏(有名な方らしいですが私は不勉強で存じあげませんでした)は日本文化はそれ自体「○○である」と一義的に定義できるもの(著者はこれを「主題の国」と表現します)ではなく、多様性多義性を「編集」するところにその文化の独自性がある「方法の国」であるとします。
そして本書では、「おもかげ」「うつろい」をキーワードに、古代の漢字文化を万葉仮名として取り込むところから、江戸幕府における朱子学・陽明学の輸入から国学への発展、明治維新後「近代国家」たらんとして結果満州事変に向かう「日本という方法」の失敗まで、豊富な例を挙げて説き起こしています。
外部の文化を取り込むという意味では内田樹の『日本辺境論』の視点に通じる部分もありますが、内田センセイは「辺境人であるがゆえに・・・自分の未成熟を正当化する文化においては、霊的な成熟に至ることが妨げられている」と「『主題の国』に至らない日本」を描いているのに対し、外部(や日本の中の多義性)を取り込む方法自体に日本の特殊性があるというとらえ方をしています。
これは非常に興味深い指摘だと思います。
欲を言えば、近世まではアジアにおいてスタンダードだった中国文化を「編集」してきた「日本という方法」が、現在のグローバル・スタンダードの世の中においてどう生きているかの分析があるとより理解が進んだと思います。
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