和歌山毒物カレー事件の林真須美被告が二審でも死刑判決を受けました。
刑事事件は「疑わしきは罰せず」なので、被告が犯人である事が合理的な疑いを入れる余地がない程度に立証されていることが必要です。
新聞やTV報道程度でしか事件のことは知らなかったのですが、
①毒物を混入した現場を誰も見ていない
②凶器についた指紋のように直接的な証拠がない
③被告人が全面否認している
という状況では、普通は「合理的な疑いを入れない程度」の立証は難しいはずです。
このなかで検察側がどういう立証をし、裁判所がどういう認定をして死刑判決が下されたのか、改めて興味を持ちました。
新聞などで控訴審の判決要旨を見ると、一審で黙秘していた被告が控訴審で一転して供述し(これはかなり異例のことのようです)、カレー事件について、一審が認定した犯行時間帯には「二女といっしょにおり、犯行機会はなかった」と関与を否定。夫などへの殺人未遂事件についても「三人で共謀した保険金詐欺で、二人は自らヒ素を飲んだ」と無罪を主張したことの信用性が最大の争点となったようです。
これについて控訴審では、「一審判決を踏まえた上で、自らの利益のためにそのすき間をつく弁解をすることはたやすかった」として「客観的証拠とも一致せず、これまで誠実に事実を語ったことが一度もなかった被告が突然、真相を吐露したとは考えられない」と信用性を否定しました。
一方で、一審判決については「事実誤認はなく、正当」と結論付けました。
となると、一審判決がどのように事実認定したか、に関心がうつります。
一審の判決要旨は毒物カレー事件 判決要旨詳報(2002年12月11日 信濃毎日新聞社)にかなり細かく載っていました。
これを見ると、被告が完全黙秘の中で検察側は状況証拠のつみ重ねで犯行の立証を試み、そのため裁判所も相当慎重に事実認定をしているように思えます。
決め手になったのは、
①被害者が食べたカレーの中から検出された亜ヒ酸、夏祭り会場に落ちていた青色紙コップに付着していた亜ヒ酸、被告宅の台所に収納されていたポリ容器内の亜ヒ酸などの同一性がスプリング8(高周波誘導結合プラズマ発光分光光度計)による鑑定結果で認められたこと、と
②目撃証言を時系列で積み重ねると、被告が1人でいた時間帯に亜ヒ酸が混入された蓋然性が高い、と認定されたことのようです。
結局控訴審で、被告人側がこれらに対して有効な反論ができず(状況証拠に対して合理的な疑いをさしはさめばいいわけですから、比較的難易度は低いはずです)、自らの供述を中心に主張を組み立てたことが、説得力がなかった、ということだと思います。
直接的な証拠や証人がない限り犯罪者が処罰されない、というような世の中はいいはずはありません。
一方で、あやふやな状況証拠や思い込みで、無実の人が刑罰を科されるのはもっと危険です。
その意味からも、今回の判決、というよりその前提となった一審の判決の慎重な事実認定と、状況証拠しかない中で着実にそれを積み重ね犯罪を立証した和歌山県警や地方検察庁の努力は改めて評価されていいと思います。
林真須美被告の振る舞いや、被害者・遺族の思いも大事だと思いますが、人間ひとりに状況証拠だけで死刑判決を下す事の意味合いや、それを支えた人々の努力や公正さ(もちろんもしあるならそれへの疑問でもいいですが)に注目した報道があってもいいと思いました。
(ひょっとしたら一審判決のときには取り上げられたのかもしれませんが)
刑事事件は「疑わしきは罰せず」なので、被告が犯人である事が合理的な疑いを入れる余地がない程度に立証されていることが必要です。
新聞やTV報道程度でしか事件のことは知らなかったのですが、
①毒物を混入した現場を誰も見ていない
②凶器についた指紋のように直接的な証拠がない
③被告人が全面否認している
という状況では、普通は「合理的な疑いを入れない程度」の立証は難しいはずです。
このなかで検察側がどういう立証をし、裁判所がどういう認定をして死刑判決が下されたのか、改めて興味を持ちました。
新聞などで控訴審の判決要旨を見ると、一審で黙秘していた被告が控訴審で一転して供述し(これはかなり異例のことのようです)、カレー事件について、一審が認定した犯行時間帯には「二女といっしょにおり、犯行機会はなかった」と関与を否定。夫などへの殺人未遂事件についても「三人で共謀した保険金詐欺で、二人は自らヒ素を飲んだ」と無罪を主張したことの信用性が最大の争点となったようです。
これについて控訴審では、「一審判決を踏まえた上で、自らの利益のためにそのすき間をつく弁解をすることはたやすかった」として「客観的証拠とも一致せず、これまで誠実に事実を語ったことが一度もなかった被告が突然、真相を吐露したとは考えられない」と信用性を否定しました。
一方で、一審判決については「事実誤認はなく、正当」と結論付けました。
となると、一審判決がどのように事実認定したか、に関心がうつります。
一審の判決要旨は毒物カレー事件 判決要旨詳報(2002年12月11日 信濃毎日新聞社)にかなり細かく載っていました。
これを見ると、被告が完全黙秘の中で検察側は状況証拠のつみ重ねで犯行の立証を試み、そのため裁判所も相当慎重に事実認定をしているように思えます。
決め手になったのは、
①被害者が食べたカレーの中から検出された亜ヒ酸、夏祭り会場に落ちていた青色紙コップに付着していた亜ヒ酸、被告宅の台所に収納されていたポリ容器内の亜ヒ酸などの同一性がスプリング8(高周波誘導結合プラズマ発光分光光度計)による鑑定結果で認められたこと、と
②目撃証言を時系列で積み重ねると、被告が1人でいた時間帯に亜ヒ酸が混入された蓋然性が高い、と認定されたことのようです。
結局控訴審で、被告人側がこれらに対して有効な反論ができず(状況証拠に対して合理的な疑いをさしはさめばいいわけですから、比較的難易度は低いはずです)、自らの供述を中心に主張を組み立てたことが、説得力がなかった、ということだと思います。
直接的な証拠や証人がない限り犯罪者が処罰されない、というような世の中はいいはずはありません。
一方で、あやふやな状況証拠や思い込みで、無実の人が刑罰を科されるのはもっと危険です。
その意味からも、今回の判決、というよりその前提となった一審の判決の慎重な事実認定と、状況証拠しかない中で着実にそれを積み重ね犯罪を立証した和歌山県警や地方検察庁の努力は改めて評価されていいと思います。
林真須美被告の振る舞いや、被害者・遺族の思いも大事だと思いますが、人間ひとりに状況証拠だけで死刑判決を下す事の意味合いや、それを支えた人々の努力や公正さ(もちろんもしあるならそれへの疑問でもいいですが)に注目した報道があってもいいと思いました。
(ひょっとしたら一審判決のときには取り上げられたのかもしれませんが)
刑法でも「起訴した方に立証責任がある」んでしょうか?
よくは分かりませんけど、「とにかく黙秘しろ」と言った弁護がいるんでしょうね。
不当に逮捕された(かもしれない)政治犯ならともかく、こういう犯罪の裁判で「完全黙秘」は、何と言うか・・・「やりきれない」ですね。
特に
第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
というあたりが、黙秘権の根拠になってます。
これは日本に限らず、近代西欧文明圏においては基本ルールになってます。
それだけ王権とか独裁者による刑罰の濫用がひどかったんでしょう。(逆にいえばそういう制限がないと拷問とか冤罪をしがちなんでしょうか)
そう言う意味では、林被告の行動自体は非難されるべきものではないと思いますし、それに対して、自白に頼ることなく立証した検察の努力や、裁判所の判断の合理性にもうちょっとスポットライトが当たってもいいと思います。
そうなると、「A」を「A’」や「A”」または「B++」にされちゃうんですね。
「自白に頼ることなく立証した検察の努力や、裁判所の判断の合理性にもうちょっとスポットライトが当たってもいい」というのは全く同感です。
裁判が迅速じゃないと、無罪の可能性のある人を何年も拘束する事にもなりかねず、かといって「さっさと吐け」はキケンだし・・。なかなか、たいへんですね。
私にとって「見るからに大変そうで、ごくろうさまですと頭が下がるお仕事」は、まず医者、次に警察や裁判所関係、弁護士、次ぐらいにトレーラーの運転手、ダンプ、タクシーと、運転手関連が続きます。運転きらいだからかもしれませんが・・・。