NHKの「激論TPP」というTPP問題についての解説委員による討論を見ていて思ったこと。
・「 今TPPの交渉に参加しないと、枠組みの決定に参加できず、日本の主張も反映できない」という主張
これは僕もそう思うので、「交渉に参加」はした方がいいんじゃないかと漠然と思っています。
Wikipediaで拾った「環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP) の概要と意義」( 亜細亜大学 国際貿易投資研究所)を見ると「サービス貿易の自由化約束についてネガティブ・リスト方式を採用している」とか「競争法の適用除外分野はannex で提示されている」など、枠組みが決まってからだと不利になる可能性のありそうなところとか「地理的表示については、TRIPs 協定第22 条によるチリのワインおよびスピリッツについての地理的原産地の表示の保護が規定されている」というように、早めに言っておけば日本の主張も反映できそうなところなどもありそうなので。
ただ一番の心配事は、日本政府の交渉力。
よくあるパターンとして「交渉に入る、入らないの議論は盛り上がるが、一度交渉に入ると決まると、次は「交渉に入った以上妥結する」ことが至上命題になってズルズル譲歩を繰り返してしまう。」というのがあります。
いつの間にか政治家の面子や交渉担当の官僚の成果測定の問題になってしまうパターンです。
(企業間の交渉もそういうケースもあるし、逆に相手をそういう方向に持っていくというのもテクニックの一つではありますが)
現状の議論が「交渉をする=相手の言い分を飲む」という風になってしまっているのがとても気になります。
和平交渉ではないのだから、冷静かつ粘り強く交渉して、結局国として利益にならないと判断したら調印しなければ言いだけの話だと思うのですが。
もっとも「普天間問題で怒らせてしまったアメリカへのお土産」などという主張もあるそうで、そういう動機があるのだとしたら交渉に入らないほうがいいと思います。
・ 日本の農業はどうなる
専門知識がないので物品貿易が完全自由化されると日本の農業が壊滅してしまうのか、競争力を持つように生まれ変わるのかはよくわかりません。
ただ、議論で気になったのは、「安全でおいしい農産物を作れば競争力が持てるし輸出もできる」という論調。
この前提として「安全でおいしい農産物」は高級品として品質で勝負するのか、価格競争力で勝負するのかを整理したほうが良かったと思います。
たぶん「安全でおいしい農産物を輸入食品と同程度の価格で」というのは難しいと思うので、国際競争力を持つのは「安全・高品質な高級品」になるはずです。
そしてそれは「お金のある人は安全・高品質な食品を食べて、お金のない人は輸入原材料による安価な加工食品やファストフードを食べる」という今のアメリカと同じ状況をもたらすのではないでしょうか。
それは避けたい。
そうすると、農業問題は、安全で高品質な農産物を適正な価格で食べられるくらいに国民の所得レベルを維持向上させることができるのか、という経済政策とも関連してきます。
企業が労働力をコストとしてのみ考えると、労働分配率が減り総需要が減少するという合成の誤謬の指摘もありますし、一方で労働政策で対応しようとすると既得権のある(僕らの年代以上の)年寄りの抵抗も予想されます。
そのへんが自分としてはいまひとつ整理できていない感じでした。
野田首相とか経産省とか経団連はどう考えているのかにも興味があります。
<追記>
そのあとBSで「キング・コーン-とうもろこしの国を行く-」というアメリカのドキュメンタリーを見ました。
アメリカのトウモロコシはほとんどが牛の飼料や高果糖コーンシロップ、コーン油など食品や添加物の原料として使われている。
それは1970年代に食料補助金制度を増産にインセンティブを与えるように変えて、安価に大量のトウモロコシが供給されるようになったことによる(この既存の米国の農業補助金がTTP上どうなるんでしょうか)。
そのため栽培されているトウモロコシは収穫量とデンプン量を最大にするように品種改良されたいわば工業品であり、直接の食用には適さない。
逆にアメリカ人の摂取する食品の80%がトウモロコシを飼料や原料にしていて、それが糖尿病などの成人病を引き起こす原因になっている。
というような内容です。
(本来穀物を食べるようにできていない牛の飼料にすることの弊害や糖尿病の問題については『フードインク』でも指摘されてました。)
つまり、デンプンを安価に供給できれば、何もトウモロコシ(や場合によっては農業自体)に頼る必要はないわけです。
ここからは思考実験。
たとえばトウモロコシよりもデンプンを採取するのに高効率な穀物がどこか(中央アジアとかアフリカの奥地とか)で発見され、その遺伝子特許を日本企業が取得して、たとえばオーストラリアとかで大量に生産することになった場合、TPPではアメリカは関税をかけられない一方で日本の特許は保護されることになります。
そのときにアメリカは自国の農業の衰退を座して待っているだろうか。TPPの例外規定を作るとか、脱退をほのめかすとかするのではないでしょうか。
日本が交渉に参加するのであれば、そういう連中と交渉する、そしてこちらも同じくらいの振る舞いをする覚悟が必要なんだろうと思います。
個人的にはそこのところが一番心配・・・
現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。
時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。
守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。
時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812