少し経ちましたが、3月16日は明治18年のこの日、福沢諭吉が『アジアの悪友論』を発表した日でした。
この論文は戦後の左翼歴史学により中国と朝鮮を捨てて西洋列強を目指す「脱亜入欧論」のようにみられました。
しかし読んでみれば、
①日本にとって不幸なのは支那と朝鮮という隣国があることだ、
②支那と朝鮮は志士があらわれて日本の維新のようなことをやらなければそのうち列強に分割支配されるに違いない、
③西洋人は日本と支那朝鮮の区別がつかないようだが一緒にされるのは日本にとっての「一大不幸」でやめてほしい、
④だからもう支那朝鮮のような悪友と付き合うのはやめよう
要点はこの四つです。
とても130年も前の発言とは思えず、現代にもおおいに参考になります。
そこで以下に福沢諭吉の文をほぼ全部引用しておきますので、ぜひ読んで下さい。
わが日本の国土はアジアの東辺に在りといえども、その国民の精神はすでにアジアの固陋を脱して西洋文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは近隣に国あり。一を支那といい、 一を朝鮮という。…この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義といい、学校の教育は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者のごとし。我輩をもってこの二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、まず国事聞進の手始めとして、大いにその政府を改革することわが維新のごとき大挙を企て、まず政治を改めて共に人心を一新するがごとき活動あらば格別なれども、もししからざるにおいては今より数年を出ずして亡国となり、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑いあることなし。…西洋文明人の限をもってすれば、三国の地利相接するがために、時にあるいはこれを同一視し、支韓を評するの価をもってわが日本に命ずるの意味なきに非ず。たとえば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、…支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠もこれがために掩われ、朝鮮国に人を刑するの惨酷なるあれば、 日本人もまた共に無情なるかと推量せらるるがごとき…。…わが日本国の一大不幸というべし。されば今日の謀をなすに、わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興す猶予あるべからず。その支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人がこれに接するの風に従って処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。