くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

陽暉楼の門松。

2014-12-27 | 日記

Xmasが終わると 街の飾りつけは 一斉にお正月になります。

自転車で街へ出るたびに 得月楼の前を通ります。



得月楼はその昔 陽暉楼と呼ばれ 明治から大正にかけ 西日本一と
いわれた妓楼であった料亭で 陽暉楼を舞台として 宮尾登美子さんは
数々の小説を書きました。

確か昨年も 暮れも押し詰まったこの時期に 得月楼の門松を載せ
陽暉楼の  暉  という字が なかなか出なかった覚えがあります。

女性の目から見た 芸妓の世界の愛憎を 宮尾さんは滑らかな筆で綴り
そのほとんどが 映画やTVドラマになり ヒットしました。

宮尾さんが ふるさと高知に帰り お城の見えるマンションを買ったと
一昨年の夏 高知新聞に載りました。

あれからもう 2年半が経ちましたが その後の消息はプツリと途絶え
今も高知におられるか お元気かどうかも 地元民にも不明です。

若き日の宮尾さんは 再婚した夫と共に上京しますが 最初の夫との間に
確か 女の子がいたはずで 数ある自伝小説にも著しています。

10代で嫁いだ宮尾さんの 娘さんがお元気なら 今は70歳前後と思われ 
ご実家の方も含め 血縁者が何人か 県内におられると思います。

昨年の今頃も 陽暉楼の門松を掲載し 宮尾さんの消息を知りたいと書いて
はや1年経ち また次の年になろうとしております。

どうぞ お元気でいてほしいと 陽暉楼の前を通るたびに思います。


新年まで あと数日となりましたが 相変わらずの悪癖で 未だに
年賀状も掃除もこれからで 毎度進歩のない ズボラ女の年の瀬です。

今から苦手な掃除にかかり  きっちりとはしませんが  ま いいかに
したく今日で今年の くりまんじゅうの日記を 終わらせていただきます。

1年間のご愛顧  まことに ありがとうございました。

皆さまどうぞ  よいお年をお迎えくださいませ。 

 

 

                      
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縫い納め。

2014-12-25 | 縫物

今年はまだ終わってないですが もういくつ お葬式に参列したのか
喪服の出番が多い年でした。

父が亡くなったときの いただいたお香典ノートを見て 母の代理として
参列したものが そのうちの大半を占めます。

黄泉の国へと 旅立った方のご遺族から 喪中欠礼の葉書が 何枚も
届いており 葉書を見て 亡くなったことを知ることもあります。

結婚式などの お祝いごとに出席することもなくなり 式は挙げても
親の上司まで招いての 派手な披露宴も 過去のこととなりました。

以前買った生地で また 喪服を縫いました。

 


この前縫った喪服もどきは くしゃくしゃっ とした生地のためか 予定より
丈が短く仕上がって あわてて裾にフリルを足しました。

それに懲りて 今度は長めに裁断して 着てみてから 丈を切りました。

縫物も 新年早々に喪服を縫うのは これはいやで 暮れうちに済ませて
これで終りと思いましたが 縫い納めが喪服とは これもいやです。

それで ↑と同じ型紙を使い 気に入らずに タンスの肥やし状態であった
生地で チュニックとスヌードを縫い 今年の縫物は終了です。

あらら~~  忙しいと言って  モデルは帰ってしまいました。

 


 
そうだ!  ド素人の主人を助け この1年動いてくれたミシン2台に
ミニサイズの 鏡もちを置こう。

買い物リストに  ミシンの鏡もち2個  と追加しました。
                 
                  
                 


  

                 

                                

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運動補助員Yさんのお話。

2014-12-23 | 日記

認知症患者を連れて 週のうちの数日を いっしょに散歩する運動補助員の
Yさんの話を以前したら 皆さまからたくさんの 感動のコメントをいただきました  ⇒  


  
今も体育教師の担当で 歩いたり 走ったりしながらの 散歩を続けるYさんと
2-3日前に いっしょにゴルフをした夫が また お土産話を持って帰りました。

それはYさんが勤務中の  体育教師と散歩中のことで あと少しで病院へ
帰り着くというとき その日は不燃物収集日で 道端にたくさんの不燃物が
仕分けされて 置いてあったそうです。

その中に一見 新品かと思うほどの ゴルフクラブが1本 捨てられていました。

Yさんは思いました。

これは捨てたものか それともだれかが置いてあるものか どう見ても新品の
クラブを 捨てるはず ないじゃろね  いやいや  不燃物の日に この場所へ
わざわざ置くはずはなく もらって帰ってもいいではないか。。。

だれか来ないものか 来たら聞いてみよう そう思い 離れないように体育教師と
手をつなぎ待ちましたが だれも来ずに 仕方なく 病院へ2人で帰りました。

散歩が済むと勤務が終了ですので さっきの不燃物の場所へ 全速力で走りました。

常日頃 体育教師に鍛えられていますので 脚力には自信があります。

よかった ありました! さっきの場所に 新品の7番ウッドがあり もらって帰って
自分の使っている サビついた古いクラブは捨てようと  そう思ったそうです。

しかし ここからが  さすがYさんです。

不燃物置き場近くの民家を訪ね ここらへんで ゴルフをする人を知りませんか?
このゴルフクラブを 捨てた人を知らないかと尋ね それらしき家を2-3軒聞き出し
2軒目に 捨てたご当人と会えたそうです。
     
買ったけれど 自分には合わないので捨てた わざわざ丁寧に訪ねてくれなくとも
お役に立つなら どうぞ使ってくださいと  相手は驚きながら答えたそうです。

高知にも 中古品のゴルフクラブを扱う店はありますが 扱う品はメーカー品等で
そうでないものは 持って行っても 二束三文だと夫が言います。

更に夫が言うには Yさんが愛用のクラブは 中古品屋で 1,500円で買ったそうで
それをもう 何年も使っているうちに サビが出たそうです。

真面目で 律義なYさんに サンタクロースが来ました。

サンタさんにもらったクラブで Yさんは好成績で優勝し 飛距離でも大きく離され
惨敗の夫は これからあちこちの 不燃物の日に きょろつきそうで怖いです。


マンションの中庭に植わるモミの木に 毎年 管理人と 小学生を持つ家庭の
親子が飾りつけをしますが 今年もきれいに出来ました。 

                      



                                                 
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うれしい手紙。

2014-12-21 | 日記

1階の郵便受けに 小さな手紙が入っていました。

切手の貼ってないこの手紙は  はて どこから来たものか。

同マンションの〇ちゃんからで 硬筆も習っている彼女の
伸び伸びした字で ピアノ演奏会のご案内です。


現在小学3年生の〇ちゃんは このマンションが出来た8年前 うちと同時に
入居した家族で 当時〇ちゃんは まだ赤ちゃんでした。

共働き両親の 病院勤務の母親は 泊りの勤務があるために 若い父親が
夜 階段の踊り場で ぐずる〇ちゃんを抱き あやしている姿を何度も見ました。

「 大変やね 」 と声をかけた私に
「 いいえ  ぼく  子どもの世話は  割と好きなんですよ 」
にっこりと 白い歯を見せた すぐれた父親です。

5歳くらいから始めたピアノは 昼間 窓を開けるとポロンポロンと聞こえ
その音が決して 騒音にならぬ時間を親が選び 夜になると練習はしません。

同じところで何度もつっかえ ほほえましかったものが 聞こえてくる曲が
どんどん難しくなり  〇ちゃん 上手になったねと 夫と話しておりました。

〇ちゃんが学校から帰る午後3時頃は 両親はまだ帰っておらず 自分で鍵を
開けて入った自宅で 〇ちゃんはピアノの練習を始めますが それもきっちりと
1時間は弾きます。

1時間練習は 小学1年のときから同じで だれもいない家で 小さいのによく
集中力が続くねと 感心しておりました。

この前の器楽コンクールで 3年生の最優秀賞を受賞した〇ちゃんが 来週ある
受賞者だけの演奏会に出るらしくて  やはりね  と納得です。

うちにも〇ちゃんと同じ 小学3年の 女児の孫がおりますが たまに旅に出ると
夫は 孫とお揃いで〇ちゃんにも 同じおみやげを買います。

〇ちゃんも  △△のおじちゃん おばちゃんと慕ってくれますが 以前は〇ちゃんに
△△のおじいちゃん  おばあちゃん  と呼ばれていました。

親が注意したものか 今は以前より 若返った呼び方に変わりました。

手紙を見て 残念! と夫が言うのは この日はゴルフの予定で 演奏会には
△△のおばちゃんのみ 聴きに行くことになりました。

ふさいでいた老夫婦に 〇ちゃんサンタが プレゼントをくれました。 

なに持っていったらいいかな  花?  お菓子?  う~~ん  解らんです。

あまったニット生地で まずい出来ながら ママとお揃いのスヌードを縫いました。


こだわり自転車に乗り  さっそうと通勤するママと ピアノや硬筆の塾に通う
〇ちゃんが使ってくれたら  △△のおばちゃんは嬉しいです。

                      
                     

                                     
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母は死なない。

2014-12-19 | 日記

ふるさと高知の田舎で 一人暮らしを続ける 母親の 面倒を見るために
夫の友人が 都会から単身帰ってきて もう5ヵ月になります。


彼は夫と同い年の68歳  定年退職し 妻と2人で都会のマンションに暮らし
近くに住む 息子夫婦の子どもの世話をしつつ 穏やかな日を送っていました。

一人暮らしの母親は現在92歳 高齢ながら 心身ともに しゃんとしており
近くに嫁いだ2人の娘が 日に一度は母の元を訪れ 気をつけておりました。

その母親に 7月に受けた検査でガンが見つかり 1ヵ月の間入院したところ
あんなしっかりしていた頭に 認知が急激に進み 退院後も一人では置けなく
なりました。

病状も余命半年と言われ 夫婦で帰るには 共働きの息子夫婦の子の世話が
あるため 妻は帰れずに 彼一人が実家に帰って 母親と寝起きし 面倒を見て
食事も作っております。

なぜ 近くに住む娘が2人もいるのに 男の彼が単身都会から帰り 長期に渡って
母親の面倒を見るのかと 疑問でした。

その彼から  今日は 母の面倒は姉が見てくれるから 外へ出られるので
飯でも食おうや  と誘いがあり 何年かぶりに彼と会いました。


疑問に思っていたことを尋ねて 愕然としました。

彼の姉の夫も 妹の夫も ともにガンを患っており どちらも末期だと言います。

姉の夫は73-4歳 妹の夫は60歳になったばかりで どちらも若く まだこれから
何年間もの 実りの人生がある歳です。

姉の夫は入院中で 妹の夫はそんな身体ながら 今も夫婦で ハウス農家の仕事を
続けていると聞き 私より7-8歳下の 若き日の妹の笑顔が浮かび 涙があふれました。

同時に彼の心中を思うと 近い将来母親を亡くし 姉も妹もこれから ともに夫を
見送るという 一家に訪れる深い悲しみは 想像もつかぬほど過酷です。

長居をさせてくれるファミレスを選び 3人で焼肉定食を食べながら
「 卵焼きしか出来なかった自分が 今は煮物も作れるようになったが 母が肉を
食べないので 久しぶりの肉だなぁ 」  と彼が言います。

そして 姉と妹の夫が亡くなる前に なんとか母に逝ってほしい 少し呆けていると
いっても 娘婿の顔が見られぬ日が続くと もう隠せなくなる。

年老いて 命の時間が限られた母の なげく姿は見たくない  神様がきっと
願いを叶えてくれ 母を先に連れて行ってくれると 自分は信じていると語ります。

                      


私たち2人は返す言葉もなく 私はだらしなく鼻水をすすり続け 2時間ほど話を
する中で 私が追加注文したホットケーキがきましたが 味も分からず食べました。

とにかく今 彼が倒れたらなんともならず 身体に気をつけて暮らし だれか母親を
見てくれる時間が出来たら  こうしてまた食事しよう 話をしよう  時間はこちらが
合わすからと そう言って別れました。

別れ際に彼が言いました。

「 なんの根拠もないけれど 母はいつまでも元気でいると思っていた 母は死なないと
思っていた  その自分が今は  母が逝くことを願うようになるとは‥‥  」

ミシンの前に座っても ふとんへ入ってからも その言葉が ずうっと胸に残りました。
                      

                       
                      


                                          

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