くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

次からは気をつけてください。

2014-09-30 | シーラカンス定例会

月一のシーラカンス例会を 9月も残り少なくなった先日やりました。

まずリーダーのぶんたち姐さんから 先月 脳梗塞で救急搬送された
メンバーの Hさんの容体が知らさせます。

Hさんは だいぶん回復し 救急病院を出て 今はリハビリ病院にて
懸命にリハビリに励んでいるとの由。

がんばって 暮のお泊り忘年会には 間に合ってほしいものです。

 

 

 


今回の話題は 農家の〇さんが 今年はカメムシが大量発生し 難儀している
とのボヤキから ごちそうを食べながら なぜか 臭いカメムシの話になりました。

カメムシは 街中でも 夜の灯りに飛んできて ガラス戸にとまっていたりします。

夜は網戸を締めないと 家の中にも入りこみ ティッシュで そろっと摘まんで
外へ出しますが 強く握ると臭い液を出して 悪臭がしばらく続きます。

何ともやっかい者で  ま  昆虫のスカンクですね。

相手がショウジョウバエなら 喜んで跳びつくくせに カメムシの臭さを知っている
我が家のデブネコは ガラス戸にくっついた天敵を見ても 知らんふりです。

 

 

 


同じく農家の△さんが語るには 待ちかねた抜き菜を 間引いてきて妻に渡し
夕飯の食卓に出された菜を  どれどれと 一口食べました。

と同時に  ぎゃお~~  と叫び トイレに駆け込んだそうで 抜き菜と共に
おひたしになったカメムシを 噛みしめたそうです。

夫が犠牲になり 妻は災難から逃れましたが 調理中に 臭うはなかったかね
と聞けば 妻は風邪をひき 嗅覚が鈍っていたとのこと。

「 そんなこたーない 胸に手ぇ当てて よー考えてみ  奥さんに なんぞ借りが
あるはずじゃ  こりゃ   いやがらせじゃね 」  とは全員の弁です。                 

ま 毒を盛られたわけじゃなし まさか女房に ビンタ一発! てなことはないろうね
と訊ねてみれば

「 ないない  そんなことしたら あとで  どんな仕返しがあるかもしれん
オレは涙目で 次からは気をつけてくださいと  こう言うた 」  そうでありました。

わが家もそういえば 中華の店で夫は パクチーを脇によけて 決して食べません。

カメムシと同んなじ臭いがする との理由ですが 料理下手女房の パクチーを使う
献立はレパートリーにはなくて この点では恵まれております。  

                  
                  

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母の冬支度。

2014-09-28 | 縫物

北の地の 初冠雪の便りは 何日か前に聞きましたが 南国土佐では
日中はまだ暑く 運転中はエアコンが要りますが 朝夕は違ってきました。

母の施設でも そろそろ衣類の入れ替えをせねばならず 長袖のTシャツを
3枚縫いました。

どれも基本の形ですが 丈を2cm長くして ひんぱんに洗濯しますので
まず第一に 丈夫でないといけません。

そして ポケット好き母ちゃんの衣類は ポケット付が 必須条件となります。


もう少し長めの丈で チュニックにしたかったけれど 裾を汚す怖れがあり
この丈にしました。

母は ブラウスやTシャツの上に チョッキや カーディガンを羽織るのが好きで
シマムラでいくつか買い 入れておきましたが ポケットがないため いつまでも
着ずに タンスの肥やしとなっていました。

持って帰って ニット生地の端切れで ポケットを縫い付けましたが ちょっと
大きすぎましたね。


               
Tシャツと半そでカーディガンは 次の病院日に 持っていこうと思います。

母ちゃんはきっと 赤いチェック柄は気に入らんでしょう 分かっています。

この生地は ボロボロ端がほつれて とても縫いにくく 苦労しましたので
もし気に入らんでも 着てもらわねばなりません。


どこからか ぷ~んと いい香りがします。

姿は見えずとも 金木犀は 香りで居場所を知らせますが 夏の不順な
天候からか 花の付きようが 例年よりも少ない気がします。





                  

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おはぎ今昔。

2014-09-26 | 食物関係

お彼岸には必ず 母ちゃんがおはぎを作った と夫が言います。         

今までは買っていましたが お彼岸も明ける頃になって この歳で
初めて おはぎを作ることにしました。

夫の田舎では 1升飯で作ったおはぎをお重に詰めて 自転車に乗り
親戚に配る大役は 当時 小学生の夫だったそうです。

お返しは その家のおはぎをもらって帰ったと言い もらったおはぎは
それぞれ各家の味がしたそうで ほのぼのとした古きよき時代の 昭和
32-3年頃の話でしょうか。
              
え~とぉ もち米 あんこ きな粉 黒ゴマと メモを持ってスーパーへ。

もち米2合白米1合 計3合で 太り過ぎの12個が完成です。上に掛けたり
中に包むあんこが 予想より膨れて デカくなりすぎました。 

クックパッド頼りの初おはぎは まずくとも 食べてもらわねば始末がつかず
娘宅へも配りましたが あまり歓迎してない様子です。

「捨てたりしたら 絶対 バチが当たるきね!」  釘を刺して置いてきました。

昔 母が作ったおはぎも げんこつほどの大きさで 食べでがありました。

今のように既製品のあんこがなく 前の晩から煮るわけで 手間がかかる分
明日はおはぎだ! とワクワクしましたが 今の若者は喜びません。

もっとも あんこもきな粉もスーパーにあり ご飯さえ炊けばすぐ出来ると
便利な世の中になって ありがたみも薄れたのでしょう。      

                   
                  
                                      

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みょうが考。

2014-09-24 | 食物関係

産直市に みょうがが並んでおり 2袋買いました  260円也。
夏の天候が不順だったせいか 例年ほど粒がそろっておらず 大小があります。


おかしいもので みょうがの時期になると そろそろ甘酢漬けを食べなさいよと
体の中から 声が聞こえます。

作り方はとても簡単 洗って熱湯を回しかけ 冷めたら甘酢に漬けるだけです。

しばらくすると 甘酢がどんどん紅色に染まっていき みょうがの色も鮮やかに
なります。

一晩おけば 翌朝には食べられます。


確か 昨年もblogに書きましたが 夫はみょうがを食べません。

みょうがは物忘れが激しくなり 頭が悪くなると 母親に言われて育ったらしくて

「 お母ちゃんの  遺言じゃき  おれは  食べん! 」  そうです。

夫の兄弟も皆みょうがは食べず 母親の遺言を固く守る 息子・娘はなんという
親孝行者でしょうか。

子どもに 食べてはいかんと禁じた親は 目の前で ぱくぱく食べていたそうで
これはどうしたことか。。。

ま  いいでしょう  無理に食べろとは言いませんから。

かくして妻は1人で みょうがを ぱくぱく食べるわけです。

夕方 スーパーへ行ったのに メインの買い物を忘れ 目についたものばかり
買って帰り 家へ帰ってから  ありゃりゃ  と思いました。

みょうがの物忘れは 迷信じゃないかも知れません。   

                    


 

                   
                                 
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眠れぬ夜。

2014-09-22 | 日記

2-3日前 昔いっしょに机を並べた職場の友から 〇ちゃんが急逝したと
報せが入りました。

〇ちゃんは55歳の男性で 本来なら まだ現役で仕事をしていたはずで
一瞬  交通事故かと思いましたが 心筋梗塞で倒れて あっという間に
亡くなったそうです。


急逝よりも もっと驚いたことは 〇ちゃんはアル中になり ここ1-2年は 入退院を
繰り返しており 絶対に止められていた酒を 隠れて飲んでいたらしい。

〇ちゃんは 仕事の出来る男で 入社したときから 同期メンバーと比べてもはるかに
優れており 上司の信頼も厚く 将来は 会社の幹部になるだろうと 当時の私はそう
思いました。

20数年まえの 〇ちゃんの結婚式では 新婦の職場の上司が 友の父上であった
ため 披露宴会場で 2人の大恋愛エピソードをこっそり教えてくれ 一途な彼らしい
話に 吹き出したことが思い出されます。

50歳になったら 永年勤続のごほうびとして 会社からお金が出て たいていは配偶者と
海外旅行をしますが  5年前 〇ちゃんは1人で 海外旅行したという話を聞き 仕事を
持つ奥さんが 休めなかったのね と思っていました。

あんなに仕事が好きで 責任感が強く それでいてカタブツではなく 人間的な魅力に
あふれていた彼が 仕事も放って 入退院を繰り返すほど アル中になったのは なぜ?

子どもはまだ修学中のはずで 永年勤続旅行も1人で行った〇ちゃんと 妻との仲は
どうなっていたのか 葬儀も済んでから知った死亡の話は 何十年も 彼とは職場が
離れていたため そこらへんが まるで分かりません。

〇ちゃんが新卒で入社したとき 初めて買ったと思われる背広は 小柄な彼には 袖が
えらく長くて 袖口から少し出た指を見て なぜもっと サイズの合うものを買わんのかと
聞いた私に

「 いや  今から背が伸びるはずじゃき  ぼっちりになります  ズボンの裾も
伸ばせるように  うんと  折り込んでもろぉちょりますき 」

真剣な顔で言った 〇ちゃんが思い出されます。


死亡の報せを聞いた夜は眠れず なにがあったのか 何も分からずとも
知りたくもなくて  若い頃の 仕事をバリバリこなした彼こそが 本来の
〇ちゃんの姿であったと思います。     

最近は 年下の訃報を聞くたびに やりきれない思いがします。

ご冥福をお祈りします。
                   
                   
                    

                   

          
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