美術館ツアーの最終は 4月に開館したばかりの 大阪中之島美術館です。
オープン記念として開催されている『モディリアーニ』展へいきました。
モディリアーニの女性像は かたむけた長い顔と首・眼は瞳がなく 洋服が
ずり落ちそうななで肩で・・デカ頭で首短族の私とは 真逆の女になります
35才で夭折したイタリア人画家 モディリアーニの 代表作のほとんどが
パリに出てから 1916~1919年のわずか3年のあいだに描かれ その大半が
身近な人の肖像画と裸婦 といわれています。
モンパルナスの貴公子 と呼ばれたイケメンの彼は とてもモテました。
『自画像』1919年頃
学生のモデル ジャンヌは モディリアーニと恋に落ち 未婚のままで
彼の娘を産みます。
酒と薬物乱用のため モディリアーニは35才で死亡し 彼が逝った翌日
内縁の妻 ジャンヌ21才は 2人目の子をお腹に宿したまま アパートの
5階から身を投げ あとを追いました。
孤児となった 母と同じ名の娘ジャンヌ (1918-1984) は 伯母のもとで
育てられました。
モディリアーニはジャンヌの肖像を 30枚ほども残しました。
その中から 4枚を並べてみました。
ふっくらお腹のジャンヌは 最初の娘を妊娠しています。
『赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテルヌ』 1917年
『大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ』1918年
このときジャンヌは つぎの子を妊娠していました。
『エビュテルヌの肖像』1918年頃 大原美術館所蔵
『肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ』1919年
ジャンヌの他にも モデルの個性をとらえた すばらしい
肖像画が並んでいました。
今回モディリアーニ展の ポスターにも使われた1枚
『 若い女性の肖像』 1917年頃
『ルニア・チェホフスの肖像』1917年 ポーラ美術館所蔵
『緑の首飾りの女 ムニエ夫人』 1918年
モディリアーニが パリに出た直後に描いた1枚です。なぜか
受け取り拒否をされました。もっと美人に描いてほしかった?
『騎馬服を着た婦人』1909年
きゅうりの顔 だけでなく丸顔だって描いています。
『ジャック・リプシッツとその妻』1916-17年
『赤ん坊を抱くジプシー女』1919年
モディリアーニが描く子どもの絵が 私はとても好きです。
『おさげ髪の少女』1918年 名古屋市美術館所蔵
『少女の肖像』1918年 アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵
『青い服の少女』1918年
大阪中之島美術館で 今回は2枚だけ 写真OKの絵がありました。
モディリアーニの裸婦像を 1989年に大阪市が 19億3千万円かけ
買いました。それが33年後の今では 10倍以上の値がついています。
『髪をほどいた横たわる裸婦』1917年
そして写真OKのもう1枚は 女優グレタ・ガルボが終生愛し 彼女の部屋に
飾り続けていた モディリアーニの小さい絵 『少女の肖像』1915年頃
グレタ・ガルボと 彼女の部屋です
モディリアーニと同じ時代を生きた 仏在住の画家とは仲がよく 藤田嗣治と
親しかった と書かれていました。会場には藤田の『タピスリーの裸婦』など
3枚が展示され ゴッホ・ピカソ・シャガールの作品もありました。
モディリアーニとピカソ。撮影者はなんと ジャン・コクトーと書いてあります。
お昼は楽しみにしていた リーガロイヤルホテル15Fの コースの
中華料理でしたが 疲れ果てて 順番に出されるものを じっくり
味わうことなく口に放りこみ 帰りのバスに乗りました。
目が覚めると もう徳島県の 池田まで帰っていました。
久しぶりのプチ旅は 疲れたけれど 行ってよかったです。
長い牛のヨダレblogに 連日お付き合いいただき ありがとうございました。